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[Web Log] / 12/31 23:33
ベッドの上で2013年最期の蠅がブンブン唸りながら飛び回っている、、、。 懲りもせずにまた来るよ新しい年が。 64回目となるといいかげん飽きるわけで、いつの頃からか年末だとか正月だとか本当に色々面倒臭くなってきていて、なんかこうひっそりこっそりとスルーできないものかと思うのだけれど、なんとしても世間はそれを許さず、一般的な社会人としての自覚なんてとんとないくせに、やはりそこは社会不適合者にもなり切れない意志薄弱な自分もいて、必然的に色々巻き込まれていくわけです。 だから皆様よいお年を! そして明けましておめでとうございます!(笑)。 2013年の年の瀬が迫って来た頃、自分では小説を読むでもなくましてや書くわけでもないのに、やたら僕の文学的周辺が騒がしくなってきた。 それだけじゃなく南の島周辺も騒がしいのだけれど、、、??? まずイソケンこと礒崎憲一郎が「往古来今」(文芸春秋社刊)で10月に第41回泉鏡花賞というのを受賞したので、仲間内でお祝いをしてあげようということになり、12月14日に鎌倉で祝賀会を開きましょうということになった。ただ、当日はその件だけではなく、やっぱり仲間内の大手出版社の編集者であるS君が、脱サラして南の方の小島に移住するということが判明し、その送別会も兼ねようということになった。 その時点では移住の事情がよく分からなかったのだけれど、それがなんともまあファンタジーな話しで、自分ではなかなかできない決断だけれど、知り合いが決行するぶんにはすごーく楽しそうな話しだった。 話しはこうだ。 フィリピン、セブ島の近くに東京ドームほどの大きさしかないカオハガン島という小さな島がある。島の人口は600人ほどで、ほぼ何もない、あるのは美しい自然だけ、というある意味理想郷のようなところ。 そこを1991年に日本人で元出版社社長の崎山克彦という人物が購入した。 つまり、この島は個人所有の島なのだ(笑)。 そして、崎山氏はこの島に教育施設や宿泊施設を作るばかりではなく、島民には観光収入となるべくカオハガンキルトと言われるキルト作りを指導し、今や「何もなくて豊かな島」として、日本からの観光客もそこそこやって来るという状況になった。 ところが、崎山氏自身はもはやかなり高齢になってきており、後継者もいないことから、かねてから誰かあとを継いでこの島の運営をしてくれる人はいないだろうか、とそう思っていたらしい。 そこで、かつて崎山氏を仕事で取材したことがきっかけで仲良くなったS君に白羽の矢が立ったのだという。 その話しを持ちかけられたS君もさぞや悩んだことだろうが、三十半ばの独身だし、自分一人だったらこの先どうにでもなると思ったのだろうか、今回ついにその申し出を受け、日本でのキャリアや生活をすべて投げ出し、これからの人生はその小さな南の島に捧げよう、、、、とまあ漫画みたいな展開のお話(笑)。 (ちなみに、鎌倉の食事会で判明したことだけれど、そのカオハガンキルトというものを鎌倉長谷の或るお店で売っています。店名忘れたので、もし興味あるならiSHONANに問い合わせてみて下さい。あとで調べてお知らせいたします) ※カオハガン島オフィシャルホームページ:http://www.caohagan.com/ というわけで、鎌倉のガーデンハウス(西口スターバックス隣)に予約を入れ着々と準備を進めていたところ、予定外だったが、11月に入ると今度は保坂和志が「未明の闘争」(講談社刊)という小説で第66回野間文芸賞をとってしまい、そういうことならそれも一緒に祝いましょうということになった。 で、結局12月14日に三十数人集まって鎌倉でお祝い兼送別会をやったのだけれど、三日後の17日には帝国ホテルで野間文芸賞の授賞式が待っている。 思えば去年の今頃は山下澄人が「緑のさる」(平凡社刊)で第34回野間文芸新人賞をとったので、この同じ会場に行ったばかりである。 その授賞式の当日、僕は鎌倉に住む保坂の母を伴い会場へ向かうことになった。 お母さんは「私の生きているうちの最期の賞かもしれない」からと(笑)、それはそれは大喜びであった。 授賞式の様子を京都から出て来た友人のカジ君はネット上で以下のように書き込んだ。 無断引用だけどまあいいだろ、見つかったらあとで謝るし(笑)。 「東京に来ている。保坂和志さんの、野間文芸賞授賞式典に潜入。帝国ホテルとか、なんだかんだと豪壮で、緊張がすごいことになってしまった。帝国て。1000人くらい人おるし。 その後の立食パーティー、二次会三次会まで、何者でもない素人代表としてふんばり、誰彼となくに握手してください、と言って取りすがる。苦行の連続であった。柴崎友香にはまたまたずいぶんお世話になってしまった。湯浅学さんがいらっしゃって、レコードの話などし、ほっこりした。町田康さん、西村賢太さん、青木淳悟さん、佐々木中さん、そして念願の、綿矢りささんと、握手をしてもらった。しかし、がぶんさんの弟さんが、なぜだか際立って芸能人のような、イタリアのようなオーラを放っていて、妙な感じになっていた。私は一眼レフのデジタルカメラを首からぶら下げていて、写真もたくさん撮った。光が足りず、ブレブレだが。移動中に、よくわからない宝塚スターの出待ち現場に巡り会ったので、ついでにその人の写真も撮った。東京すげー、と、また思った。そのあと新宿の大きな木の根元にゲロを吐いた。今日食べたローストビーフやら高級食の大方を、吐いてしまった。木は嬉しいのだろうか、木が嬉しかったらいいのに、と思った。」と。 ちなみにこのカジ君っていうのは、柴崎友香の小説「きょうのできごと」(河出書房新社刊)に登場する人物のモデルの一人で、その後この小説は行定勲監督によって映画化されたことで知られている。主演は田中麗奈、妻夫木聡だったが、カジ君が妻夫木の役のモデルであったかどうかは映画も見てないし実のところよく知らない。当然だがカジ君は妻夫木とは似ても似つかない男ではある(笑)。 会場で柴崎と出会って「今日カジ君来てるよー!」と言ったら「えー、あの人わざわざ京都から出て来たのー!?」と、すごく驚いた様子だった。 だいたいからしてカジ君はいつも金欠で、東京で数回会っているが、京都からの往復はいつも高速バスである。京都では京都市役所前で「100000t」という古レコード&古本屋をやっていて、以前は店の老オーナーに雇われていたのだが、2年ほど前にその老オーナーに「ワシは引退するから店はお前にやる」と言われて、ある日突然なぜかオーナーになってしまった男であった。 なんだか南の島のS君の話しとよく似ているな(笑)。 それから色々あって、店を数十メートル横の新店舗(アローントコと改称)に移し、今もなかなかいい感じで営業している。 そのせいか、今回の上京は新幹線を使って来たというから「おー出世したな」と褒めておいた(笑)。 会場には当然山下澄人も来ていたが、翌18日、今度は山下の「コルバトントリ」(文学界10月号)が第150回芥川賞候補になったことが発表される。 だもんで山下には「次は東京会館で会おう」とメールしたが、本人的には芥川賞候補になるのはこれで3回目なので「なんかもう恥ずかしいっす」ということだが、さてどうなることやら、2014年1月17日の発表を待つばかり。 でも、芥川賞っていうのはタチが悪い。 本人が応募するでもなく勝手に候補に入れられてそれで何度も落とすかよ。その度に周囲がザワザワして、確かに山下の言うように、いいかげん恥ずかしくもなる、、、かも知れない(笑)。 もっとも先の柴崎友香だって3回芥川賞候補に勝手にされて、今のところまだとってないけれど、彼女は既にあっちこっちの賞の候補になりいくつかの賞もとり、作品は映画化され、たぶんもう芥川賞なんていらないのかも。 芥川賞候補になるためには、それに見合った長さの小説(100枚前後?)が必要だけれど、最近そういう長さの小説を発表していないしね。 そんな今年の年末であった。 まとにかく、オレ以外はみんな忙しそう(笑)。 いつか、カオハガン島の砂浜に寝そべって、満天の星を眺めながら鼻歌でも歌おう。 死ぬにはちょうどいい島の夜だ。 高瀬がぶん Add Comment [Web Log] / 12/15 17:54
このところニュースと言えば、「特別秘密保護法の成立」と「猪瀬都知事問題」。 もうこればっかりで、いいかげんうんざりしている。 但し、「つまらない」ことと、国民にとって重要であるかどうかということは全く別の問題。 でも、あまりにも同じような意見がマスコミに溢れているから「つまらない」ということになる。 これでもし僕が「特別秘密保護法大賛成!!」とか、「猪瀬都知事は悪くない!!」という独自の意見を持っているなら、これは「つまらなくない」ということになるのだが、やっぱりほれ、多くに人たちと同じように「特別秘密保護法反対!!」だし、「猪瀬、お前は悪いぞ!!」と思っているわけだから、ここでなにか意見を述べるとしたら、もうなんにも書くことないくらいみんなと一緒なわけで、いくら書いても「そうそうそうだよね、みんなそう言ってるしな」ってなことになって、議論の余地がないことを、わざわざコラムで発言することに最早何の意味もない。 だからつまらない。 そこで、なんとか面白くできないかと考えてみるのだが、やっぱり嫌なものは嫌だし悪いものは悪い、という思いが変わることはないので、本当に絶望的なまでにつまらないわ。 だからこの二つの件については何にも言わない(笑)。 だからとらえ方を変えてみる。 このところの猪瀬都知事に関する報道を見てみると、ものすごく気持ちが悪い。 イスラム圏には現在もまだ『石打刑』という残酷な処刑方法がある。 これは、だいたい不倫した男女やらがその刑を喰らうのだが、、、、まず死刑囚となった男女を一人づつ、衆人環視の中を腰紐付きで引っ張り回し、地面に穴を掘って首だけ出して埋める。 いくつかの動画で確認したところ、たいてい頭部には布袋が被せられていて顔そのものは見えない状態になっている。 そして、周囲を取り囲んでいる一般市民の中から、特に死刑囚の被害関係者(浮気された夫とその親類縁者)が真っ先に拳大の石を死刑囚の頭部めがけて投げつける。 死刑囚は不思議なことに無反応なことが多く、石が当たる度にただ軽く頭部が揺れるだけだ。 そうして関係者がひとまわり石を投げ終わると、そのあとは回りを取り囲んでいる一般市民(ようするにヤジ馬)が、次々と石を投げつけて行く。 こういう場合、必ずそういう奴が一人二人いるのだが、けっこうな大きさの岩を抱えて近づいたところで「ドン!」と頭に投げ下ろしたりもする。 そうして頭部に被せられた布袋が徐々に血に染まってゆく。 ようするに「石打刑」のコンセプトはなぶり殺しなのである。 拳大の石を一発二発頭に喰らったところで、ものすごく痛いとは思うが、とりあえず死ぬことはない。 しかしそれが五発十発、、、と絶命するまで続くのだ。 これほど残酷で嫌な死に方もない。 まるでマフィアのリンチのようである。 ん~、なんなんだろうなぁと思う。 文化的宗教的背景が全く違うし、それに伴い社会通念も全く異なるという理由はあるにしても、やっぱり僕にはよく分からない。 殺したいほど憎い奴に向かって石を投げつけるのなら分かるが、個人的な恨みなんて全くないはずのヤジ馬達が、まるで狂気に取り憑かれたようにして攻撃的になって行くのがどうしてもよく分からない。 単なる群集心理というのではない。 石を投げつけることが正義、というお墨付きをもらったとたん、必要以上の残酷さを発揮する人々。 ふつう人が自分の残酷性を表に出せばそれは批判の対象となる。 しかし、その場で、自分とは無関係の相手に石を投げつけて殺しても、自分が批判を浴びることは一切ない。 それどころか大衆からの賛同を得られるだろう。 こんな状況は滅多にない、だったら思いっきりやっちまえ! と、ようするに、一種のお祭り気分と言ったらよいのか、とにかく心のどこかで密かに楽しんでいるのではないかと思えるほどだ。 そして、これが今の猪瀬都知事とマスメディアの関係のように思えて仕方ない。 もはや死刑囚とも言える猪瀬氏に対して、ヤジ馬たるマスメディアは容赦なく石を投げ続ける。 まさになぶり殺し状態。 そして投石は死ぬまで続くことだろうし、遅かれ早かれ猪瀬氏は政治的に確実に死亡する。 もっとも、流すのは血ではなく大粒の汗。 いやマジ、文末に(笑)をつけたいほど、僕的にはこの処刑のイメージとぴったり重なってしまう。 それにしても、不倫したくらいで石投げつけられて殺されることを考えれば、意味不明の金借りたことで都知事をやめるくらいは何でもないだろう。 猪瀬氏自身も自らの立場を客観視すれば、もう先が見えているはずだし、そんなにムキになって頑張っても意味ないだろうにな、、、見ていてそう思う。 そんなマスコミが言い立てている様々な批判に、実は僕もおよそのところは同調している。 でも、それを口に出すのは誰かの批判の後追いになるだけ。 だからここは、思っているだけで何にも言わない、そのかわり聞かれたら答える、くらいのスタンスでいるのが一番スマートだと思う。 話しは変わるが、「特別秘密保護法案」については、一点だけ面白いことがあった。 テレビの討論会か何かで、自民党議員(誰だか忘れた)が、他の出席者の連中に散々ダメを喰らった末に、苦し紛れにこう言った。 「しかし、サイレントマジョリティは賛成してるんです!」 おいおい! サイレントなのに何で賛成だって分かるんだ!、、、という話し(笑)。 で、意見はやっぱりみんなとほぼ同じなので、ここではいちいち言わない。 そう言えば、一時は「食材偽装問題」のニュースばっかりが流れていた時期があったな。 こっちの方はかなり面白いと思った。 ざっくり言えば、国民の味覚音痴がハッキリしたというだけだわコレ。 それと、企業が次から次へと自らの罪を発表していく様子を見ていると、まるでツイッターで自分の犯した犯罪を告白していくバカッターのようで面白い。 それに発表するオヤジたちの苦しい言い訳も見ていて笑える。 ハッキリした確信犯のくせに、あーでもないこーでもないと言葉を言い換えるが、結局その目は異常なほどに小刻みに動いているか虚ろのまま。 ああいうのを「嘘を吐いても顔に書いてある」っていうんだろうね。 それと、食材の高級さの定義がいまいちピンとこない。 結局、仕入れ値段が高いか安いか、いっぱい採れるか少ししか採れないか、そんなことで決まっているだけのことで、実際のところ、値段と美味しさが正比例するなんてことはなくて、エビはエビ、だいたい何エビ喰っても旨いじゃん、ってことでいいんじゃないかと思うんだけど、違うか? となると、味音痴とかじゃなくて、もともと流通の在り方で高級かどうかが決まっているだけで、味そのものは大差ないってことに落ち着くなこれは。 ちなみに、エビフライが好きな僕は、どこの店とかじゃなくて、エビフライならだいたいどこのでも美味しくいただきます。 そんなもんじゃないか? ただ、言っておきますけど、高級中華料理店でごちそうになっている時に、芝エビの芥子ソース煮を白いご飯に載せて口に入れたまま同時にコカコーラを飲み始めることで、奢った甲斐がないと、よくヒンシュクを買う私です。 高瀬がぶん [Web Log] / 12/01 13:27
目が覚める。 部屋は外光がまったく入らない構造にしてあるので、朝だか昼だか夕方だか、にわかには分からない。 だいたいからして、何時に起きなければならない、なんてことはめったにない人生を送っているので、特に起きる必要もないのだけれど、やっぱり自然と起きてしまう。 起きるけれど目はつむったまま。 「あと6分寝ようと思う」 そして6分が経ち、もう6分このままでいるかと思う。 こうして、僕の場合はほぼ毎日6分という単位で起きるか寝ぼけるかを決定することになる。 それは「江の電」が通る音。 睡眠が浅くなり、ある瞬間江の電の音が聞こえて目が覚める。 音の聞こえる方向からそれが藤沢行きか鎌倉行きかは判断ができる。 上りと下りの間隔は6分と決まっている。 だから「さてと、次の上りで起きるか」という具合に決心する。 それでもまだ目はつむったままだ。 手探りでiPhoneに手を伸ばし、Siriに時間をきく。 「いま何時?」 「12時23分です」 時には、 「○時○分です。ハッピーハヌカー!」などと訳のわからんことを言う。 (どうやら、ユダヤ教のクリスマスみたいな祝日のことをそういうらしい) 機嫌のいい時には、 「次の時報で時刻は○時○分です。ピッピッピッ、ポーッ!」と口時報付きで教えてくれる。 かと思うと、夜中に時間を聞いたりすると、運がいい時には、 「1時27分です。おやすみなさい」と言ってくれたり、 「随分遅いですよ…○○:○○分です」とか、 「○○:○○分です。思わずあくびが出そうです」 なんてお茶目なことを言ってくれたりすることもあったりして、そういう時は思わず「おー、ラッキー!」とつい喜んでしまったりする。 さておき、 今日はつれない返事、単に「12時23分です」と言ってくれただけだ。 つまんないの。 とにかく目は覚めたけれど、まだ真っ暗なので、手探りでタバコとライターを探し出し、手探りで昨日の晩飲み残したコーヒーを手に取り慎重に一口飲む。 なぜ慎重なのかと言うと、寝しなにコーヒーカップを灰皿代わりにしたことをすっかり忘れて、タバコ入りコーヒーを過去に五六回飲んだことがあるからだ。 よかった、今日は大丈夫そうだ、、、。 タバコに火をつけ、またコーヒーを一口すする。 さ〜て、すっかり目も覚めたし出掛けるとするか! どこへ? 何しに? 決まっちゃいないが、人間は起きたら着替えて顔洗って歯磨いてどこかへ出掛けるものだ(笑)。 「あっ、セブンイレブンでドリップコーヒー飲んでホットドッグ食べよう!」 それがまずは今日の第一目標となったので、いざ出発! アパートの部屋のドア前の極狭スペースに110ccスクーターを置いてあるので、外に出る時は左右5センチ程度しかない空き幅を慎重に確認しつつバックで出なければならない。 最初のうちは出ようとする度に何度も切り返さなくてはならず、それでも左右どちらかの鉄骨の柱にハンドルをぶつけたり、それをうまく避けようとすると反対側のボディをプロパンガスのタンクで擦ったりと、それはなかなか大変な作業だった。 ところが、こういうことはいつしか自然とコツをつかんだりするもので、しばらくすると一度も切り返すことなく、しかも左右5センチの余幅をピッタリと残して一発で出られるようになるからとっても不思議。 それでも体調が悪いせいなのか? 10回に1回くらいは上手く行かない時がある。 1センチ以下ぐらいの誤差で、どうしても通り抜けられないポイントがあって、仕方なく切り返すのだが、そういう時は自分でも驚くほどイライラして、「クソーッ!」とか「ゲーッ!」とか、かなり大きな独り言を発してしまう。 その日もまさにそれで、「ウガーッ!」と一唸りしてハンドルを切り返し、とても嫌な気分でバイクを道路まで引っ張り出した。 部屋の前の道路はなだらかな坂道になっているのだが、坂の下の方からよく似たキャップをかぶった小学3年生くらいの男の子二人が、何やら楽しげに歌いながら? こちらに向かって歩いて来た。 何を言っているのかよく聞き取れなかったのだが、どうやら「太陽電池」と言っているらしかった。 太陽電池という言葉によくわからんメロディーをつけて元気よく歌い上げている。 「ん? 太陽電池?」 何だろう? ひょっとして反原発チビデモ?(笑) 気になって仕方ないのでつい呼び止めた。 「ねぇねぇ、何て言ってるの? 太陽電池?」 歩みを止めて一人が答える。 「うんうん!」 「何よ、太陽電池って」 「だから太陽電池だよ〜、学校の宿題で作ったんだよ」 「へ〜、いいもの作ったんだね〜! どんなものよ」 「えっ? 持って帰って来たよ、、、これだよ!」 そう言ってその子はランドセルを道路に置くと、中をかき回してそれを取り出し、ひょいと頭上に掲げて見せた。 それは銀色の折り紙を段ボールか何かの厚紙に貼っただけの粗末なものだったが、とりあえず褒めておくことにした。 「なるほど〜、それが太陽電池かぁ、すげーなぁ」 「僕のはこれだよ〜!」 そう言って、もう一人の男の子がランドセルから取り出したものは、20センチ四方くらいの単なる段ボールの板のようなものだった。 というよりまさに段ボールそのもの、銀紙が貼ってあるでもなく、、、、。 ところがびっくり! それは飛び出す絵本のような構造になっていて、左右に広げると厚紙で作った立体的な小さな家が出現し、その屋根の部分に銀色の折り紙が貼ってあるではないか。 え〜? 小学校三年生くらいでこんな複雑なものができるのかと疑問がないわけではなかったが、「お前ズルして誰かに作ってもらっただろ」、、、なんていうのは野暮というもので、、、よく見ると切り取った段ボールのエッジがぐにゃぐにゃ曲がっており、いかにも子供が慣れないハサミを使って切ったようにも見え、やっぱりこの子が自分で作ったのだろうと確信するに至った。 となれば大したものだ。ひょっとしたら実際の飛び出す絵本を参考にしたのかもしれないが、それでも家の展開図を考えて、とっても上手く出来ている。 「すげーすげー! よく出来てるじゃん。それ、ソーラーパネルなんだね!」 「え〜? だから太陽電池〜!」と言ってニコニコ笑う。 「それにしても、チビのくせにうまいな〜」 そういうと、最初に見せてくれた男の子が急に不機嫌になって、僕の顔を睨みつけるようにして言った。 「ねぇねぇ、おじちゃん、このボロい家に住んでるの?」 いやぁ、来ましたねぇ、直球で。 いかにも子供らしい清々しさだ(笑)。 「ははは、確かにボロいわ。じゃあね、ボロいボロいって10回言ってごらん」 その子は指を折りながら早口で言い始めた。 「ボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロい」 言い終わると「でっ?」というような顔つきで僕を見る。 「よくできました! じゃあバイバイ〜!」 バイクのエンジンをかけ、「???」を子供たちの頭に置き去りにしたまま、さっさと走り出す(笑)。 あの子たちが40歳くらいのジジイになった時、果たして原発はどうなっているのだろうか? 日本は本当にこのままでいいのか? たぶんそれ相応のツケを払わされることになるんだろうなと、そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐに消え、頭の中はセブンイレブンのホットドッグとドリップコーヒーで一杯になった。 高瀬がぶん [Web Log] / 11/16 11:01
セブンイレブンのレジ台に色んなお菓子が置いてあり、脇に小さなメモがあって、なんだかド下手な数字がいっぱい書いてある。どうやら足し算しているらしく、最後の数字は750となっている。 そこへ、二人の女の子がやってきた。 姉妹らしく上の子は8歳くらいで下の子は5歳くらいだろうか。 上の子が手に持ったお菓子をレジ台に乗せ、 「う〜ん、これで870円かぁ、もう少しだね」 そう言って、メモにそれを書き足した。 レジの女性も僕もいったい何だろうと考えつつ、、、あっ、そうか! レジの女性が言った。 「そっかぁ、今日はハロウィンだもんねー」 なるほどそういうことかと僕もようやく気付き、 「どうりでこんなにたくさん、ハロウィンだったねぇおじょうちゃん!」 するとそのおじょうちゃんは、実に素っ気なく、 「別にぃ、ヒマなだけ〜」 「、、、、、、、、、」 そんなことってあるか? おじちゃんと、たぶんレジのおばちゃんもメチャ切ないよ〜〜!(笑)。 Yahooニュースの記事に対してコメントをすることを「ヤフコメ」という。 ここのところ気になるYahooニュースとしては、まずは、「山本太郎氏、園遊会で天皇陛下に手紙を渡す」、「メニューと販売商品の偽装表示」、そして、小泉純一郎氏が叛意するかのように反原発に与したという話題もあれば、「特別秘密保護法案問題」とか、アントニオ猪木が勝手に北朝鮮へ渡る、という記事もあったりして、いったいどれにコメントしたらよいのやらと迷うばかり。 その中で、特にヤフコメ連中に人気があったのはやはり山本太郎問題だったと思うので、今回はそこに的を絞ってコラムることにする。 いわゆるネトウヨたちの脳内には、反原発=左翼思想、天皇に直訴=もってのほか! プラス根っからの嫌韓という図式が成り立っており、その点から言って山本太郎というのは実に叩きがいがある人物らしく、ほとんど生け贄状態、在特会のヘイトスピーチばりに口汚く罵ることしきり。 ただ、コメントのレベルはかなり低く、おまえのかーちゃんで〜べそ! を思いっきり下品にしたようなものばかり。 で、そういうコメントが入ると「いいねボタン」がドドドーンと押され、「だめねボタン」は数えるほどしか入らないという現象が起こる。 面白いのは、そういう常識外れの投稿者に限って、やれ「ルールを守れ!」とか、やれ「礼儀知らず!」とか、やたら社会人としての常識を山本氏に求めるところだ(笑)。 そういうコメントばかりを眺めていると、「おいおい、そういうお前らはどうなんだ? 社会秩序を乱すようなことはしてないか?」とツッコミたくなるわけで、今回の山本太郎の行為の是否はともかく、アウェイを承知で挑発的な発言をせずにはいられない。 考えてみれば僕ははっきり原発即やめろ派であるわけで、その点については山本氏と思いが同じなのだから、反論のしがいもあるというもの。 ただ、天皇陛下に手紙を渡すという行為そのものについては、はっきり言ってどの程度失礼なのかはよく分からない部分もある。 天皇陛下に手紙を渡すこと自体が不可なのか、それとも、TPOに問題があるのか。 聞けば、天皇陛下に毎年年賀状を出す国会議員もかなりいるというから、いや一般国民の中にもおそらくそういう人は相当数いると思われるが、それはそれで特に問題がないわけで、ここはやはり園遊会という場で直接渡したという行為が非難されてしかるべきところであろうと思われる。 もっとも、ネトウヨたちに対してはそんな生易しい解釈は通用しないが、、、。 ところで僕はこう思った。 少なくとも、年齢差はもちろん明らかに目上の人が両手を添えて手紙を受け取ろうとしているにもかかわらず、懐から出した手紙を片手で渡すなんて、そりゃ山本、いかにも無礼だろ! ! ネトウヨのように「世が世なら、時代が時代なら、戦前なら」という前置きをした上で「手打ちになるところだ!」なんて時代錯誤のことは言わないが、突然差し出された青年の手紙を、両手で受け取る陛下の礼儀正しさを目の当たりにした瞬間に己の無作法に気付けよバカ、ぐらいは言いたい(笑)。 これはほんと、途中で気付いて、遅まきながらでもいいから、もう一方の手を添えるくらいのことをするべきだった。 というわけで、山本氏の至らなさにも大いに不満はあるものの、それを言っちゃったら論旨が狂うので、その点には触れず、こんな風にコメントしてみた。 「ところで、あんたたちはなんで原発推進派なのさ。どうせあれだわ、山本太郎は左翼票で当選、で、左翼が反原発だからこの際推進派に回らなきゃカッコつかないぜ、程度の、原発軽卒推進派なんだろ。アホじゃん(笑)」 すると想像通り怒濤のごとく「だめねボタン」が押され、たま〜に、ひっそりと咲く月見草のように「いいねボタン」がポチッと点く。 そういう彼らの僕に対する攻撃は、「お前みたいな奴はさっさと半島へ帰れ!」というような、ここに書くのも憚られるような朝鮮半島絡みの侮蔑的発言ばかり。 そんなレスがこれでもかと複数続き、それぞれに大量の「いいねボタン」が押される。 困ったもんだよ、このヤフコメは。 明らかにネトウヨのたまり場になっていて、自分の過激な発言に「いいねボタン」がたくさん押されると、それを「国民の声」とか言って自分の発言を正当化しようとする。 だから僕はまたちゃちゃを入れる。 「おいおい、『いいねボタン』がたくさん点いたからと言って、それが『国民の声』なわけないだろ! ろくでもない奴がゴソッとここに集まっているだけの話し(笑)」 そんなことを何度か繰り返したものだから、僕の発言に対する総合評価では「いいねボタン」を10とすると「だめねボタン」が500くらい点くというとんでもない結果に!(笑)。 それで頭にきて(笑)、さらに挑発的なことを書き、「、、、。こういうこと言うと『だめねボタン』がじゃんじゃん点くんだよね〜、おもしれ〜(笑)、さあ、遠慮しないで押したまえ! 諸君!」 すると、思ったより「だめねボタン」が伸び悩むという結果に。 ったく、みんなひねくれ者なんだからぁ(笑)。 発言はすべてアカウント入りなので、そのアカウントをポチッとすれば過去の全発言も自由に見れるシステムになっている。その人がどんなニュースに興味を持ちどんな発言をしているか、それも全てあからさまになるので、その人となりがおよそ把握できてしまう。 基本的にバカはどこでもずっとバカで、発言主旨の統一感もあるのだが、中にはそうではない人もいる。 あっちでバカ発言しておきながら、こっちでは極めて常識的でまっとうな発言をしたりする。 そういう人は言わば確信犯で、バカを演じることにそれなりの意味を見い出しているに違いないので、バカ発言に釣られてうっかりバカ返信をすると、いきなり格の違いを見せつけるような小難しいワードを駆使した長文の返信が返ってきたりする。 そしてバカ返信をした者はタジタジになる。 たぶんそれを楽しんでいるのだ。バカ発言はいわゆる「釣り」もあるので注意が肝心(笑)。 そんな中で、僕の発言で一番多く「いいねボタン」が押されたのは次のようなコメントだった。 「日本の天皇陛下は世界で一番偉い。なぜなら現存する唯一の皇=エンペラーだからだ。エンペラーは王や女王よりも格上と、世界の社交界での序列でそう決まっている」。 反面、一番多く「だめねボタン」が押されたのはこれだ。 「ヒトラー、ムッソリーニ、天皇陛下、、、かつて、これが世界の三大悪魔と呼ばれていたことを知っていますか?」 、、、、炎上!(笑)。 あと、「山本、次はローマ法王で頼む!」もかなりの評判の悪さであった(笑)。 たぶん僕のアカウントで全発言を読んだ人は戸惑うことだろう。 僕も確信犯だけれど、発言の一貫性はまったく無い(笑)。 「お前、あっちではこう言ってたくせに、こっちではこれかい!」みたいなツッコミを受けたら、とても耐えられそうにないが、幸いそんなことするヒマ人もいないようで、何も言われたことはない。 そうして、今ではヤフコメそのものに飽きちゃったので、自分の過去の全コメントを削除した。 アカウント名を変えてまたいつかやろうと思っているところだ。 コメントとは離れて、、、、 「天皇の政治利用」ということが今回問題視されているが、なんなんでしょうか今さら。 天皇家というかいわゆる朝廷が政治利用されなかった時代なんてあったか? それは現在も同じ。 法律のどこをひっくり返しても日本国の「元首」の規定がないことから、天皇を法的に元首として定めるように働きかけている現政権の目的は何か、よーく考えてみよう。 もっとも国際社会は日本の「元首」は総理大臣ではなく天皇と、ずっと昔からそう決めてかかっているようだが。 そりゃそうだ、名前を覚えるヒマもないくらいコロコロ変わる総理大臣なんて、誰があてにするものか。 ところで今回の山本騒動で一番「?」と思った、というかおかしかったのは、山本氏の謝罪の言葉。 「、、、一番猛省すべきは天皇と皇后陛下の御宸襟(しんきん)を悩ませてしまったということだ」 え〜っ! あの山本太郎が御宸襟なんていう言葉を知ってるわけねーだろう!? という点。 宸襟=天子のお心 これは天皇にしか使わない言葉で、金輪際、日常会話では出て来ない言葉である。 にもかかわらず、あのキャラのあの男が、まるで当然のように謝罪の言葉に入れてきた。 誰かの指図でそうしたのは明らかだが、、、とりあえず「相当ヤバい」と思ったことは間違いなさそうであり、そうなることを予測できなかった軽挙妄動を反省したことも確かなようである。 そんなこんなしているうちに今度は「山本太郎参議院議員に刃物が送りつけられる」というニュースが流れたが、なぜだろうか、ネトウヨたちはすっかり飽きてしまったらしく、コメント数がたいして伸びない(笑)。 と思ったら昨日ニュースで、「天皇陛下、山本太郎氏の脅迫事件を心配される」と。 いやはや、本当に御宸襟(しんきん)を悩ませる事態になろうとは、、、、。 [Web Log] / 11/01 15:15
現実(リアル)と現実感(リアリティ)。 面白いのは、時として現実を現実のまま表現すると却って現実感を損なうことがあることだ。 例えば、テレビのサスペンスドラマのラストシーン。 たいていそこは荒海に面した崖っぷちで、真犯人とかが崖から真っ逆さまに落ちて行く。 カメラは崖の高さがはっきりと分かるような引いた位置から落下者をとらえる。 そんな時の映像を見ると、 「なんだよ、手足の動きの無さ、あれじゃ人形落としたのが見え見えじゃないか、視聴者をなめんなよ、もっと予算かけろよ」 なんていう感想を抱いたりする。 これがハリウッド映画なんかだと、落下シーンはグッと豪華になる。 悪党のボスがラストに高層ビルの屋上から落ちるシーンでは、カメラは真上から俯瞰してとらえ、ボスは空をつかまんと手足をばたつかせ、カッと目は見開き断末魔の叫びをあげながら落ちて行く。 たぶん、そういう映像を見慣れているせいだろうけれど、日本のテレビドラマの安っぽい落下シーンのリアリティの無さにげんなりしてしまうのだが、、、。 けれど、それは大きな間違いであった。 9.11のニュース映像などがそれをよく表している。 逃げ場を失い世界貿易センターの数十階の窓から次々飛び降りる人々、、、見るとほとんどの人が手足をばたつかせることなく人形のように落ちて行く。 そう、それが現実(リアル)なのである。 ものの本によれば、高所から落下死するほとんどの人は落下直後に失神してしまうからだという。 失神してしまえば、なるほど全身の筋肉は弛緩し手足はぷらぷらと、まるで人形のように落ちて行くわけだ。 僕の勝手な思い込みだが、それは人間の防御本能のなせる業ではなかろうかと。 落下する時点で事態はほぼ絶望的で、数秒後には確実に自らの死を迎えることになる。 そのことを承知で、最期の最期まで正気を保つのはあまりに酷である。 地面なり海面なりに激突する恐怖やその時の肉体的苦痛を考えるならば、この際、その前に失神してしまう方が色んな意味で合理的ではないかと思われるからだ。 一方同じ落下でも、スカイダイビングやバンジージャンプのケースでは、事態はまったく逆になる。 中には失神する人もいるかもしれないが、基本的にスカイダイビングやバンジージャンプの場合は生還することが前提で、自身もそのことを承知している。 だから、防御本能の観点から言えば、「こんな時に失神してる場合じゃないぞ!」ということになるだろう。 気持ちが生に向かっているのか、それとも死に向かっているのかでは大いに違う、とそう思う。 ところで、ハリウッド映画はなぜあのようなウソを描くのか。 それは、現実はどうあれ、あのようにわーわーぎゃーぎゃーわめきながら落ちて行くほうがリアリティが増すと判断するからで、実際、それを見る観客たちもその方がリアルであると感じるからである。 いずれにせよ、ハリウッドの映画制作者や日本のTVドラマ制作者が、現実に落下者がどのような落ち方をするかについて深く考えているとは思えないが(笑)。 現実(リアル)そのものではなく、現実からちょいと超越?逸脱?した表現で、より現実らしさ(リアリティ)を感じさせる。 こうした手法は絵画のシュール・リアリズムにも通じるものだ。 シュール・リアリストとして名高いサルバドール・ダリの代表作「記憶の固執(別名=柔らかい時計)」は特に有名だろう。 あの絵画を見てシュールだと感じるのは、なにも「硬い時計がぐにゃぐにゃひん曲がってるなんて何かおかしい」という単純な理由からだけではない。 その奥にあるのは「時計=時間そのもの」についての洞察である。 「ぐにゃぐにゃとひん曲がる時間?」、この奇妙な感じ、、、。 一般的に言って、時間というものは硬直したもの、直線的で一方向に一様の速度で流れていると考えられている。 そう考えるからこそ奇妙な感覚を覚えるのではないだろうか。 常識的に考えればみなこう思う。 君の時計が一時間進めば僕の時計も一時間進む。 ひいては、誰の時計だって同じように一時間は一時間、同じように進む、、、と。 しかし、そんな常識は100年も前にアインシュタインによって覆されている。 アインシュタインが1915年に発表した一般相対性理論の中で提唱した「時間」というものは、それぞれの物質(人間も含む)の運動状態(重力)によって進み方が変化する、というものだった。 そして、後年に行われたいくつかの実験によって、それが科学的真実であることが証明された。 平たく言えば「地球でじっとしているアナタの時計が一時間進んだとしても、準光速のロケットに乗っている私の時計は5分しか進まないよ」と言うような具合で、、、時間は硬直したものでは全然なくて、もっとフレキシブルなものである、ということを意味している。 その時間の概念は、まさにダリの描いた「柔らかい時計」そのものである。 アインシュタインの理論が発表されたのは1915年、そしてダリがその作品を描いたのは1931年。 とすれば、ダリが科学に興味を持っていれば、とっくにその事実を知っていたはずだ。 しかし、ダリはその事については一切触れていない。 ダリはこの作品について、「カマンベールチーズを見て、、、スーパー・ソフトという哲学的問題について、長い間瞑想に耽った」と、なんかトンチンカンなことを述べるにとどまっているが、本当にそれだけで、科学的知識はなかったのだろうかと、それが今もって大いなる謎である。 ところで、このケースの場合はリアルとリアリティの逆転現象が起こっていると言えそうだ。 なぜなら、上述したように、ダリの「柔らかい時計」は時間のリアルな姿そのものを描いたと言えるわけで、そうなれば、シュール・リアリストというよりむしろリアリストと言った方が相応しいのではないかと思えるからだ。 絵画絡みでもうひと話し。 ヘンリー・ダーガーは、「非現実の王国で」を膨大な量の挿絵と文章で一生をかけて、しかもこっそり描いたが、彼自身はとっくにその王国の住人であったろうと思われる。 彼が50年以上もの間、現実世界で黙々と病院の掃除夫をしている時は、彼にとってそれは仮の世界の出来事であり、部屋に戻って机に向かったとたん「カチンッ!」とスイッチが入って、自分が戻るべき「非現実の王国」という彼にとっての現実世界が全身を包み込む。 この際、彼に何らかの精神障害があったかどうかはさして問題ではなく、彼が感じるこの世界の価値観やリアリティは、こっちの現実世界ではなくそっちの非現実の世界の方にあった、、、と、そう考えてもいいのではないかと思う。 300枚の挿絵と15000ページの文章にも及ぶその超超大作を、本人はまったく発表するつもりがなかったというのも実に清々しい。 結果として他人によって世間に発表されてしまったが、もし誰も気付かずそのまま焼かれていたりしたら、、、いや実際彼がそう望んでいたという言質も残っているし、そういう彼の自己完結っぷりは実に見事というか、まさに尊敬に値するものだ。 ところで、非現実の王国に住む者は何もダーガーだけではない。 僕の父の晩年もまさにそうであった。 父は認知症が徐々に進み、現実と非現実の区別がつかなくなって、どんどん幸せ(本人にとって)になっていったと思う。 ある時の父との会話。 父「あわわわ、ちょっとお前わしの身体抑えてくれ!」 僕「どうしたの?」 父「身体が浮いちゃってちょっと気持ち悪いんだ」 僕「え~、そりゃ大変、何センチくらい浮いちゃってるの?」 父「十五センチくらい布団から浮いちゃってるわ」 僕「はい分かった、エイヤッ! これでいい?」 父「うん、悪いがしばらくそうやって抑えていてくれ。すぐに浮かなくなるから」 僕「はいよ、ところでオヤジ、最近どう? 元気?」 父「おう、まあまあだな」 僕「そういえば、昨日、田舎の○○おばちゃん(父の妹)から、あんちゃんは元気にしてるかって電話あったよ」 父「そうかそうか、元気だよーって伝えといてくれ」 僕「おばちゃんももういい歳だけど元気だよねー」 父「ははは、元気なのは○○だけじゃないぞ、おかげさまでわしの兄弟9人とも全員元気にやっとるわ」 僕「そうかそうか、そりゃよかった」 父の兄弟9人のうち生き残っているのは父とその○○おばちゃん二人だけだった。 先の戦争で男兄弟4人が亡くなったのを始め、兄や姉もやがて亡くなり、末っ子の○○おばちゃんとそのすぐ上の兄である父だけが残っていた、、、それが紛れもない現実。 でも、その現実にいったい何の意味があるのだろうか? 父が感じているリアリティは、兄弟9人全員が元気で暮らしている非現実の世界にあるのだ。 だから父の言う事を否定はしない。 リアルよりもリアリティのほうがずっと価値があるからだ。 人々が感じるリアリティの数だけ、この世界のリアルは存在する。 だから僕も自分のリアリティの世界に棲んでいる。 いわんや、羽虫だって羽虫のリアリティの世界に棲んでいる。 羽虫が部屋の中を飛んでいる時、その大気は、それはちょうど人が水をかき分けながら進む時のような抵抗と粘着を示すと言われている。 羽虫は大気のリアルをそうしたものと受け止めている。 それではここで問題です。 何かというと「リアル」という言葉を連発するのは誰でしょうか? 正解は出川哲朗、、、ではありません。 たぶんイラン国民です。 「リアル」というのはイランの通貨単位ですから(笑)。 高瀬がぶん [Web Log] / 10/15 11:50
比較的新しいパチンコ台の「CR冬のソナタ・Final」を打った。 今さら冬ソナでもないだろうにと思いつつ。 この会話が始まるとプレミアム! というリーチで大当たり! チュンサン「好きな動物は?」 ユジン「私は犬かなぁ、あなたは?」 チュンサン「ひと、、、」 ユジン「」 とまあ、ドラマの方は一度も見たことがないので分からないが、どうやら名シーンらしい。 でも、これじゃ面白くないなと思った。 チュンサン「好きな動物は?」 ユジン「私は犬かなぁ、あなたは?」 チュンサン「ひと、、、で」 ユジン「きゃあ気持ち悪い!」 これだったらウケるのに、、、と妄想してしまった。 バカだわオレ。 それにしても韓流ブームってのは「冬のソナタ」を超えるものはなかったなぁ。 十年ほど前の新聞の小さな囲み記事を思い出した。 横浜のみなとみらいの遊園地にある観覧車の下で、なにやら挙動不審の中年男がいた。 閉園時間を過ぎて夜中が近いというのに、何をするでもなく途方に暮れたようにぼっと佇んでいた。その様子を目にした誰かが通報したのか、それとも巡回中の警察官の目にとまったのかは定かではないが、とにかくその男は交番に連れて行かれた。 しかし、その男は自分がどこの誰なのか、どこからやってきたのか、なぜ観覧車の下にいたのか、それらを全く覚えていなかった。 理由は分からないが、完全な記憶喪失に陥っていたと記事は伝えていた。 その後、数日か数週間かは忘れたが、経過報告のようにして今一度その男についての小さな記事が掲載された。 何を聞いても覚えてはいなかったが、言葉の訛りから出身地域にあたりをつけ、そちらの管轄署に家出人届けを照会したところ、運良く素性が分かったということだった。 確か、静岡県のどこそこの町の人で、突然姿を消した家人の捜索願いが提出されていたことで本人確認ができたという話しだった。 記事はそれで終わっていたのでその後どうなったのかは知らないが、おそらく無事家へ戻ったことだろう。 もっとも記憶も戻ったかどうかは知る由もない。 なぜ静岡から横浜にまでやってきて、あえてその観覧車の下で佇んでいたのか、それは謎のままだという。 いわゆる、自分の過去の思い出やエピソードをすっかり忘れてしまう、全生活史健忘という記憶障害。 このニュースをなぜ思い出したかというと、五月末に書いたコラム「失われた時間」にあるように、僕自身がほんのちょっとだけど、記憶を失っているからだ。 事故で意識を失う直前の、おそらく五秒程度の記憶が全く抜け落ちている。 従って、事故の危険を察知するということもなく記憶は途絶えている。 意識を失っている間の記憶がないのは当然だが、意識を回復したのちの数十分間の記憶も曖昧だ。 自分の人生の中での数十分程度の記憶がすっ飛んでいるというだけでも、かなり気持ち悪くて、なんとかして思い出したいと努力?するのだが、今のところ思い出す気配はない。 だとしたら、このニュースの男のように自分の過去の全記憶を失ってしまった人は、いったいどんな気分なんだろうと、そのことが気がかりでならない。 僕の場合は、継続的な記憶の歴史にぽっかり小穴があいたみたいなもので、いや、だからこそ気持ち悪くてなんとかその穴を埋めたいと思うのかもしれないが、いさぎよく過去を全部忘れてしまった人は、案外さっぱりしていい気分なのかもしれないとも思う。 誰だってひとつやふたつ忘れてしまいたい過去はあるわけで、言葉のあやじゃなく、人生を最初からやり直すことができるなんて、かなりエキセントリックな体験に違いないけれど、ある意味魅力的でさえある。 記憶喪失が長時間治らないという人のために、法律的にもちゃんと決まりがあって、いつか過去を思い出すまでの間、仮の措置として、新しい戸籍や姓名さえも取得することができるという。 まったく別人として生き、結婚したり運転免許をとったりすることも可能である。 もちろん、一生過去を思い出すことがなければ仮ではなく正式なものとなるわけだが、、、。 もしある時過去を思い出したとしたら、仮の戸籍や姓名も元に戻せるということになっているらしい。 ただ、人間の頭っていうのはいったいどうなっているのやら、古い記憶を取り戻した瞬間、記憶喪失が始まって以降の新しく蓄積された記憶は全部失って、上書き保存されてしまうこともあるというからややこしい、記憶っていうのは本当に不思議。 ものを忘れるというのは、人間の脳の欠陥ではなく機能のひとつであるという。 生活の知恵として、それはよく分かる。 自分にとって大切な人を失った場合、時間の経過が記憶を少しずつ奪い、悲しみの濃度が薄れていく。 忘れるわけではないけれど、衝撃の鮮度が落ちることによって気分は楽になる。 そうじゃなきゃ長い人生やってらんねぇ、ということなのだろう。 一方、病的に忘れる機能を失う人たちもいて、それがいわゆるサヴァン症候群と言われるもので、記憶に関する特殊技能を発揮して見せたりするわけだ。 記憶がどんどん蓄積されて、そのうち脳がパンクするんじゃないかと心配になるが、カレンダー人間はカレンダーだけ、音楽人間は音楽だけ、というふうに、一点集中で記憶を蓄積するだけなら大丈夫ということなのだろうか、よく分からん。 僕らはふつう、大切なことは覚えていて、たいして意味のないことはすぐに忘れる。 と、そういうふうに思っているが、それがそうでもないから面白い。 記憶と事の重要性は直接的には関係ないのかもしれないと思う。 駄菓子屋のおばさんの左目尻の小さなホクロ。 五十年以上も前、僕が小学三年生くらいの時に、当てくじで四等(はずれ)を引き、小さな赤い飴を手渡すおばさんの顔の記憶。 その出来事は僕の人生にとって、ほぼなんの意味もない。 その駄菓子屋には毎日通っていたし、特等も数回引いているわけで、あえてその四等を引いた瞬間のおばさんの顔を覚えていてどうすんだ、という話しなのだけれど、なぜか鮮明に覚えている。 逆に、特等を当てたという記憶はあるものの、その時の映像を頭に浮かべることは今となっては全くできない。 そういうふうにして、今こうしてとりとめのない子供の頃の記憶を思い起こそうとすると、、、ビスケットに描かれた国会議事堂の絵柄、レの音が出ないハーモニカ、思い出せない誰かの葬儀の時に祭壇の裏で発見した五円玉、パチンコ好きのオジサンがくれた景品の安っぽいチョコレートの匂い、小学校の教室の一枚だけ割れている窓ガラスの割れ残ったガラスの形、、、そんなものが、無意識のうちに次々と浮かんでくる。 しかも、どれもこれもがエピソードとも言えぬ、その後の僕の人生に影響を与えるものではあり得ないほどの些細な出来事ばかり。 どうしてそんなものが脳ディスクに残っていて、今さらダウンロードされるのだろうか。 もちろん、僕にとって特に印象的な出来事は、それはそれでちゃんと覚えてはいるのだが。 思い出すものと思い出さぬものがある以上、その記憶の淵に何らかの意味があるということなのか。 それは僕が無自覚なだけで、何十年も経った今も記憶に残っているということは、そういった一見無意味に思える些細な記憶の積み重ねこそが、現在の僕という人間の人格を形成していると考えるべきなのだろうか。 人間は歳をとればとるほど過去の記憶にしがみつく。 未来の時間はどんどん減って行くのだから、それは当然と言えば当然のことだ。 いつか、自分の人生の出来事の思い出せる限りのことを思い出すことにトライしてみようと思う。 時系列なんてどうでもよい、果たしていくつのエピソードを思い出すことができるだろうか。 人生の全てを思い出すという、死ぬ間際のフラッシュバックなんてあてにならないからね(笑)。 ただ、本当にフラッシュバックが始まったとしたら、どんなに危篤だろうと僕は永遠に死ぬことはない。 フラッシュバックの最期の死の瞬間を迎える時に、再びフラッシュバックが始まるはずで、そのループはいつまでも続く、、、はず。 高瀬がぶん [Web Log] / 10/02 9:12
稲村、極楽寺に長いこと住んでいるからには、9月26日に開催されたイナムラサーフィンクラシック(通称イナムラクラシック)について触れないわけにはいかないだろう。 よく覚えてないが、このコラムを始めた当初にもしかしたら一度書いているかもしれないが、まぁいいや、どうせ覚えていないでしょうから、また書くことに。 今三十歳以下くらいのサーファーたちにとって、このイナムラサーフィンクラシック自体がもはや伝説的と言えるだろう。 なんせ、1989年に開催されて以降、24年振りに開催された大会なのだから。 とにかく気長に待つしかない、滅多には開かれない大会なのである。 「稲村にでかい波が立つぞー!!」 という状況がやってこない限り、主催者側は大会を開くつもりはないのだから、、、。 大会の実行委員長は日本におけるサーファーの草分けの一人、長沼一仁氏。大会名誉顧問には小泉純一郎氏を拝している。 もともとこの大会自体長沼氏がナガヌマクラシックと称して始め、二度ほど開催された後にその名をイナムラクラシックと変えたものだ。 長沼氏と言えば、みなさんもういい歳の人たちばかりの稲村ロコ(稲村ローカルと呼ばれるサーファー集団)の一人。 六十三歳というからちょうど僕と同い年(笑)。 僕は直接面識はないのだが、たぶん高校生くらいの時に出会っているんじゃないかと思われる。 当時僕ら不良学生(笑)は、よく稲村のR134沿いの喫茶店でパーティを開いていた。 そこはいつ行っても暇そうな、友人の父が道楽でやっているような店で、ちょくちょく店を閉めてはパーティを開催する。 集まる連中はみんな鎌学(鎌倉学園高等学校)の同級生ばかりだから、当然男の子のみ。 基本、女の子はあらかじめ用意しない。 パーティやるぞー! ってなってから、由比ケ浜や稲村ケ崎での現地ナンパ調達。 メンバーが散って二時間ほどすると、だいたいいい具合に女の子の参加者が集まって来るという感じではあった。 そんなことを何回かやっているうちに、友達の友達っていう感じで、他の学校の同級生ではない男の子たちもやってくるようになって、そんな中にサーファーたちも何人かいた。 といっても、当時はサーフィンなんてやっているやつはまだ珍しく、というか「冬なのに海入るなんてバカヤローだわ」という時代で、彼らの多くはいつも咳き込んでいたような印象が強い。 寒さでみんな気管支をやられているのだ。 その当時はまだウエットスーツという物がなかったのだ。 いや、あるにはあったがスキューバダイビング用の超高価なもので、よほどの金持ちじゃない限り、そんなものを使う者はいなかった。 そんな中にひょっとして長沼氏もいたんじゃないかなぁ、と今になるとそう思えてくる。 稲村ロコは十数人いるが、その中にはけっこう仲良くしているゴーちゃんこと行岡豪もいる。 たぶん知ってる人も多いだろうが、江の電稲村駅から極楽寺駅へ向かう踏切のところで、サーフワンというサーフショップをのんべんだら〜りと経営している。 ゴーちゃんはたいていは店の中で寝っころがっているか、波を見に行っているか、向かいのピザがめちゃうまいキーウエストでコーヒーを飲んでいる。かと思うとたまーに、藤沢のパチンコ屋で顔を合わせることもある(笑)。 このゴーちゃんに以前稲村の伝説について話しを聞きに行ったことがある。 伝説と言ってもイナムラクラシックのことではない。 何十年かに一度やって来ると言われる、幻の大波「大稲村」のことだ。 これは稲村のセンター(稲村ケ崎公園の先端から沖にかけてのサーフポイント)で割れる日本最大級の大波のことを言う。 その高さはおよそ12メートル。 センターの沖合の海面下にショウセン根と言われる岩棚があり、そこに波が当たって立ち上がり、岸に到達する前に消えてなくなるという。 ゴーちゃん曰く「本当の大稲村が割れると、逗子から江ノ島まで一本の波でつながる」というから、確かに凄い。 この幻の大波「大稲村」をモチーフに作った映画が、言わずと知れたサザンの桑田の「稲村ジェーン」なわけだが、これには色々あって、、、実はこの映画を作るに際し、製作サイドが稲村ロコたちに協力を求めて来たという。 しかし、稲村ロコと言えば、なんせ頑固ジジィたちの集まりみたいなものだから(笑)、その商業主義的な態度が気に入らなかったのか、一切の協力を断った、と。 結果、映画のサーフィンシーンは伊豆の弓ケ浜で撮影することになったというお話し。 余談だが、僕的に桑田は鎌学の後輩にあたるので、ちょっとした親しみを感じるのだが、やはり茅ヶ崎の人間ということで、今ひとつ稲村ロコたちとは噛み合わなかったのかもしれない。 もっとも稲村ロコの一人でありウエットスーツ販売の草分け的存在である「RASH」の代表者も鎌学の一年後輩なんだけれど。 この「RASH」、社名は「イナポリトレーディング」と言って「稲村ポリス」の略。 つまり、稲村駅近くにある駐在さんを揶揄したなかなか気の利いた名称なのである。 この駐在さんと僕も同い年ということで親交があったのだが、確か四十代後半頃に突然亡くなってしまって気の毒なことだった。 で、イナポリトレーディングの彼もイナムラクラシックの主催者側の一人で、いつだったか(たぶん10年くらい前)、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で見かけたことがある。 テーマはずばり「イナムラサーフィンクラシック」のことであった。 海に面した「RASH」の社屋から気象情報を気にしながら沖を眺めつつ、「ようし開催決定!」と一旦は全世界に向けて発信! これはマジ、過去の大会では当時の世界チャンピオンも遥かアメリカから駆けつけており、その時のライディングの写真を見せてもらったこともある。 大げさに言えば、世界の至る所にいるサーファーたちがこの大会の開催を楽しみにしていて、そのテレビ番組の時は、開催決定の発表が開催日の一週間前程度だったもので、世界のどこにいても稲村ケ崎に駆けつけることができたはずだが、なんと三日ほど前になって気象状況が不十分で開催が突然キャンセルされるという結果に(泣)。 話しを戻して、、、。 さて、この「大稲村」と言われる伝説の大波、実際に来たことがあるのか? そして、その大波に乗ったサーファーはいるのか? 話しを聞けば、今から四十年ほど前に一度だけ来たという。 この波が立つ条件は非常に厳しいものがある。 まず台風が寄り添うように二つ連なってやって来なければ「大稲村」までの大きな波にはなりにくい。 加えて、本土に上陸してはダメで、すれすれに本土をかすめて太平洋岸を通過しなければならない。 この二つの条件をクリアしなければ「大稲村」は生まれないのである。 今回のイナムラクラシックでは、大会開催者側は、気象状況的に台風が本土沖合をかすめるように通過するであろうことを予測し、2日前に開催決定を発表しているが、やはり一個の台風では力不足か、映像を見る限りいい波は来ているが、「大稲村」と呼べるほどのものではなかった。 それに2日前では、さすがに海外からは駆けつけにくい(笑)。 では、その四十数余年前はどうだったのか。 その当時の気象図を調べたことがあるが、確かに目玉のように連続して二つの台風が太平洋沖合を通過している。 稲村ロコと言わず、全国のサーファーで「大稲村」に乗った者はまだ一人もいない、、、。 「一人だけ、挑戦した人間がいるんだけどね、、、」 ゴーちゃんがそう言って挙げた名前はカカイ君こと抱井保徳氏。 これまたレジェンドサーファーでありレジェンドシェーパーの一人でもある。 カカイ君は元々千葉の人間で、日本初のプロサーファーである川井幹雄氏に師事し、’75年に湘南に移り住み茅ヶ崎のゴッデス、そして七里のナガヌマサーフボードを経て、現在はK-SHAPE SURFBOARD(ケイシェープサーフボード)を経営、という人物。 その当時カカイ君は稲村のメイン(レストラン)の裏にあるアパートに住んでいて、僕はもちろん訪ねて行き直接その時の話しを聞いた。 「何しろすごい波でした。岸からパドリングでポイントめざして沖に向かうんですが、あまりにも波のうねりが大きくて、途中でどっちが沖でどっちが岸なのか全く分からなくなりました。前後ともに視界がまったく効かない状態で、正直命の危険を感じていました。それでも頑張ったんですが、途中で力尽きて、ほんとに命からがら引き返してきたんです。結局、波が立っているポイントにも到達できなかったわけで、、、」 僕はこう質問した。 「パドリングでポイントまで行くこと自体が無理なんじゃない? 他に方法あるだろうに」 するとカカイ君は言った。 「それはあります。逗子の方からモーターボートかジェットスキーを使って一度沖合に出て、そこからショウセン根の方に向かえば、たぶん乗れます。でもそれじゃダメなんですよ。たとえそうやって乗れても、ロコの連中は誰も認めてくれやしませんし、僕自身もそれじゃイヤなんです。飽くまで岸からパドリンで行って乗れなきゃ意味ないわけで、、、」 「そうかぁ、いつか東京者あたりがジェットスキー使って大稲村に乗るね(笑)」 そんな話しをしたのが、かれこれ二十年ほども前のこと。 そして現在。 「大稲村」が割れたというその時からはすでに四十年ほど経っている。 それでもまだ東京者も「大稲村」には乗れてはいない。 そりゃそうだ。 あれから四十年以上経っても、幻の大波「大稲村」は割れていないのだから、、、。 高瀬がぶん [Web Log] / 09/15 11:28
米ニュージャージーで4歳の男の子が6歳の男の子をライフルで射殺! アメリカではよくあることとは言え、やっぱり驚くわけで、さらに、そのライフルは誕生日に親にプレゼントされた「子供用ライフル」だというから、もう驚きを通り越してバカアメリカ!と怒鳴りたくもなる。当該銃器メーカーによれば「子供用ライフル」は自社だけでなく他社も製造していて、自社製品は年間6万丁ほど売れている、、、と。 ホントにさ〜、何考えてるんだよアメリカ。 近い将来、そんな国と集団的自衛権で仲良くしちゃったりして大丈夫かよ、おいっ! と、怒り心頭ではあるのだが、よく考えると日本もその昔、武士の子供(小学生くらいの)には守り刀というのを持たせていたし、元服(12〜16歳)すればもう大小二本を差していたわけで、文化的背景としてそのことについて疑問を差し挟む人は誰もいなかっただろうと推察される。 よかったよ、その文化が現代の日本に受け継がれていなくて(笑)。 してみると、時代は違えどやはりこれは文化の違いなのだなとつくづくそう思う。 今の時代に子供用のライフルを作って売る。 もちろん玩具じゃなく実弾を発射できるホンモノである。 危ないから弾は一発しか装填できません、、、、って、その発想がすでに理解不能。 充分危ないわっ!! 一万円程度でホームセンターとかで売っているらしい。 年間6万丁って、まさか三つ四つの子供がひとりでやってきて、 「おじちゃん、ライフルふたちゅちょうだいな! ちゅばちゅば!(飴)」 そんな風にして買いに来るわけがないから、その全ては親が買い与えたものと考えていいだろう。 とすれば、アメリカと日本との文化の違いは、未来永劫相容れないものだと断言できる。 だからいい顔だけ見せて適当にあしらっておいた方がいい。 「戦争手伝ってやりたいけど、、、ざんね〜ん! 憲法九条があるから鉄砲打てないんだよ。文句は言うなよ、その憲法あんたたちが作ったんだからさ」と。 「なにぃ! ズドーン!!」 ま、そうされる危険はあるけれど。 夏はいつも‥‥。 ベッドでパンツいっちょで眠っていると、体中にゾクゾクゾクっと何かが走る。 これは虫酸(ムシズ)というやつだが、僕がこの感覚に陥るときは、たいてい本当に虫が身体を走っている。 名前も知らない黒い小さな虫。 どうやら空も飛ぶらしい。 部屋の中で、僕は日々この虫たちと闘っている。 虫たちと言ったが、実はもう数種類いる。 普通のコバエと蚊、そして、とても小さな蛾のようなやつ(やっぱり名前は知らない)。 それらが、僕の夏の部屋にはやたらといるのだ。 ちなみに、ムカデにも二度ほど刺されていて、一度目はかなり酷く左胸全体が赤く大きく腫れ上がり、救急で病院に行ったけれど、とにかく焼け火箸をずっと当て続けられているような激しい痛みで、とてもじゃないが鎮静剤では効かぬと、医者が麻酔注射を胸にブスリと。 痛みは一週間ほどで引いたが、結局、腫れそのものが引くのに一ヶ月以上かかったのだった。 この時のムカデは実は目にしていない。 熟睡中に刺され、痛みで飛び起きた時にはもうどこにもムカデの姿はなかったのだ。 だから実際問題として、果たしてムカデに刺されたのかどうかさえ、その時点では分からなかった。 それが確かにムカデだと断定したのは病院の先生である。 それでムカデの痛みを覚えて、つい先日、やっぱり寝ている間に右足の中指あたりを「チクチク!」とやられた。すぐにムカデだと分かったが、一度目に比べると全然たいしたことなく、ムヒ塗ってすませる程度だった。 刺されてから五分ほどして、ベッドの足下にうず高く積み上げてあった洗濯物の中から三センチほどの子ムカデが現れ、何喰わぬ顔(たぶん)してどこかへ去っていった。 さて、そうした虫たち。 昼間はあまり見かけないのだが、夕方以降、パソコンの画面や蛍光灯の周りに点々とそいつらが。 それもそのはず、いつも夏は玄関開けっ放しで寝る習慣で、一応合わせカーテンタイプのルーズな網戸をつけてはいるが、下の方はスカスカで、虫の出入りは自由になっている。 それプラス、部屋が不潔だからか? その通り(笑)。 不潔っていうとちょっと語弊があるけれど、部屋の中でウサギとインコとハムスターと亀(悲しいかなこの間死んでしまったので今は空の特大のガラスケースだけだが)を飼っているので、どうやら虫たちはその餌や糞から湧くらしいのだ。 ネットで調べてみたらそれらしいことが書いてあったので、たぶんそう。 例えば、インコの餌を買って来て、密閉されたガラス容器に移して保管するのだが、ある日見てみると、そのガラス容器の中にすでに羽化した蛾もどきが数羽いたりする。 ようするに、餌を買った段階ですでにその中に幼虫がいる、ということになる。 これは防ぎようがない。 ハムスターの餌も同じく、自然食を使っているのでやはり虫が湧くらしい。 亀とウサギの餌はいわゆるカリカリ食なのでたぶん虫が湧く余地はない。 ただ、ウサギには牧草を適度にあげているので、やはりそこから虫が湧く可能性は高い。 問題は、その虫たちをどうやっつけるかということだ。 動物たちがいる以上、殺虫剤系は一切ダメ。 で、仕方ないので殺虫成分を一切含まない、瞬間冷却スプレーを用意。 それと、小さなプラスティック容器のコバエとりと、テニスラケット型の電気ショック蚊取り。 加えて、ちょっとしたランタンくらいの大きさの電気ショック殺虫灯。 これは通電部分がプラスティックの檻の奥に引っ込んでいるので、僕の帰宅と同時に部屋内野放しにしているインコが感電するという危険性はない。 それと、蠅取り紙。 台所には昔ながらのクルクル引っ張って伸ばす、天井から吊るすタイプのやつを下げ、パソコンの前にはその進化型なのか、骨だけにした傘を逆さまにしたような形状のハエ取り棒を設置。 ところが、先日インコが何を思ったか、そのハエ取り棒に直行激突! そりゃあもう大パニック。 暴れれば暴れるほど棒に絡めとられて行くので、思い切ってエイヤッ!と。 そしたら、羽が四、五本抜けてキーキー鳴きながら部屋内空中をグルグルと飛び回り、止まり木に止まったのを見ると、明らかに鼓動が激しく、お前ハトかよ!っていうくらい胸のあたりが出たり引っ込んだり、それはおかしかったこと。 ま、それだけ羽が抜けても、その後の様子を見ているとたいしたこともないらしく、十分ほどするといつものインコに戻った。 早く鳥小屋に帰ればいいのに、興奮したせいかなかなか帰らず、結局夜中まで僕の頭やら足やら肩やらを止まり木代わりにして遊んでいる始末。 こいつを無理につかまえて鳥小屋に戻すのは無理。 だいいち捕まえられない。 最悪の場合は、居場所を確認した上で電気を消し、部屋を真っ暗にし一歩も動けなくした上でバスタオルでバッ!と捕まえるのだが、それはあくまで緊急避難の場合だけ。 だから自主的に鳥小屋に入るのを待って、入ったとたんに扉をカチッと閉めるのがいつものパターン。 一方、ウサギは僕がいようといまいと年中部屋の中で野放しだけれど、殺虫灯の高さまで届くような配置になっていないので安心。 自作の一畳分くらいあるウサギ用の小屋もあって、鉄網で塞げるようになってはいるのだが、もともとウサギはトイレの心配がない(小屋内に設置した猫用トイレで必ずする)ので、いつのころからか鉄網を外し自由気ままに暮らさせるようになっていた。 たいていは僕のベッドのすぐ脇の床で、猫と同じように横向き腹這いになって日がな一日過ごしていることが多い。 夜になると、時たまベッドの上にピョンと僕の顔の真横に飛び上がって来て驚かすが、一、二分顔や耳をグジグジ触りまくっていると、嫌がってベッドから飛び降りる。 ただウサギは何でも、本当に何でも齧るので、それがかなり問題だ。 少なくともこれまで、パソコン、テレビ、扇風機、ビデオ、DVD、それらのコードを一度は噛み切られている。そればかりか、掛け布団、敷き布団、毛布、枕、、、みんな齧られている。 コード類に関しては、その後クルクル巻くタイプのコードカバーをそれぞれにつけたので、コードカバーがところどころ齧られている程度の被害で済んでいる。 あまり気にしていないが、それでも二ヶ月程度たつと、カバーを買い替えなくてはならなくなる程度ではある。 ベッドに脱ぎ散らかしたジーパンやシャツも齧られる。 たぶん、ジーパンは五本くらいダメにされているが、今どきだからそれもファッションに見える。 ちょうどいい具合のダメージジーンズになったりして、ダメと言いつつ、それは普通に穿いている。 インコの場合もなぜかコードを突っつくのが大好きなのだが、ただウサギに比べると非力なので、僕がこれまでダメにされたコードは、マウスコード三本とイヤフォーンコード五本くらいである。 齧るといえば、ハムスターもちっとも痛くない程度に僕の指を齧ったりする。 夏以外は大き目の熱帯魚用の水槽で飼っているのだが、今は夏の別荘というか、普通の金網の鳥小屋で暮らしている。 毎日毎日夜中に起きてきて、一度は必ず「外に出たいよ」ってな顔をするのでつまんで出してやると、しばしベッドの上であちこちと冒険をする。 その道すがら僕の身体に乗って来て、腕とか指とかをチクッとする。 たぶん食べものと間違っているのだが、この小さな痛みこそが僕とハムスターのコミュニケーションの証なのであって、噛まれるとちょっと嬉しくなったりする。 その点、インコの嘴はするどくて、指を回してからかったりすると、必ずぼくの手を目がけて突撃してきてガッチリ噛むというか嘴で挟んでいく。すごく痛い。たいてい血が出る。 一方、うちのウサギはあんまり人を噛まないけれど、腕枕で無理矢理寝かせていたりすると、時たま二の腕あたりを小刻みにガシガシすることもあって、やはり身体がでかい分インコ以上に痛い。ほっといたらたぶん肉を喰いちぎられるので、そういう時はすぐに顔をギュッってつかんでやめさせることにしている。 というわけで、毎夜僕はそれぞれの動物と遊ぶのに忙しく、その間にも、そのへんを飛んでいる虫たちに向かって、シュッ! ビリビリ!とやっている。 こうしてパソコンのモニター上でコラムを書いていても、黒い点々が三つほどテキストの間をもぞもぞと動き回っている。 時折、あれ? 句読点が動いているような錯覚に陥ることもある(笑)。 その虫が止まった瞬間にプチッ!っとやって排除。 そして今もまたプチッとやろうとしたのだが、、、。 よく見ると羽ばたきを始めた。 飛ぶ準備をしているのだ。 「こいつにも意思があるのだ」 そう思ったとたん僕の手が止まる。 次の瞬間蛍光灯に向かって飛んで行った。 こういう気紛れな寛容さを示すと、まるで神になったような気分が味わえる。 なんかいやな感じの自分。 高瀬がぶん [Web Log] / 08/31 23:25
洗濯物干しっぱなしにしておいたら、なかなか止まぬ雨が降り出して、それでも2日間そのままにしておいて、やがて晴れてすっかり乾いたので取り込んで、シャツを着たら「あっ、雨の匂いがする」、なんかいい感じ。 「はだしのゲン」の閲覧制限が解除されてよかったよかった! ある調査によると、今どきギャルの9割が閲覧制限に批判的だったという結果が出ているそうだ。 で、たぶんだけど、そのギャルたちのほぼ全員が知らない事実もあったりして、オジサンはなんかしっくり来ないのだよ。 そもそも、松江市小中学校での閲覧制限が報道されるや、本の売り上げが三倍に伸びるって、いったいどれだけミーハーなんだろうこの国の人たちは。 「さてさて、どんな残酷な場面が描かれているんだ?」と、そりゃあもう興味津々?(笑)。 原爆被害がどれほど悲惨なものだったかは、「はだしのゲン」をあらためて読むまでもなく、およそのことはみんな知っている。 毎年夏になれば一度や二度と言わず数回、おなじみの被爆写真がテレビやマスメディアに流れるわけで、それを目にしたことのない人(子供も含め)はほとんどいないし、こんなことが二度と起こってはならないと、誰しもそう思うはず。 にも関わらず、閲覧制限になったからといってすぐに「はだしのゲン」に飛びつく人たちが大勢いるって、、、これはアレです、、、ダメだと言われたとたん、どうしてもそれをせずにはいられない体質の関西芸人がいて僕はけっこう好きだけど、それとたいして変わりない人たちってことですね。 そして、そのミーハーたちは最初の何巻かを読んでこう思う。 「確かに子供にとってショッキングな描写も多い。しかし、原爆の悲惨さを伝えることは重要だ! 閲覧制限なんてけしからん!」と。 でもね、今あなたが読んだ第一部一巻から四巻あたりまでの「原爆の悲惨さを伝えている部分」、そこはもともと閲覧制限になってなんかいませんよ! 閲覧制限されたのは、第二部六巻以降の、主人公が思想に目覚め、どんどん左翼化していく部分なのだから。 まず、そのことを知らずして見当違いに正義を振りかざすのはやめといたほうがいい。 自らの情弱を晒すだけだから。 この漫画が「少年ジャンプ」に掲載され始めたころは、僕自身はもう二十歳を超えていて、漫画雑誌そのものから卒業していたこともあり、パラパラと読んだ記憶はあるものの、通してちゃんと読んだことは一度もない。 それにしても面白くはない、決して面白くはない。 それどころか、考えさせられたりためになっちゃたりする。 僕の信念から言うと「ためになる漫画」なんていらない。 漫画は下らなくて面白くなくちゃ意味がない。 と言いつつ、「罪と罰」を手塚治虫の漫画で済ませた自分(笑)。 おまけに、「ゴルゴ13」ではだいぶ世界情勢を勉強させてもらい、うかつにもとてもためになっちゃったりしたが、エロいサービスシーンも必ずあり、エンターテイメントとしてストーリーも完成されているので、実に面白いという点でセーフ。 その点「はだしのゲン」はアウトっぽい。 なぜなら、漫画のくせに、まるで神格化とまでは言わないまでも、教科書扱いされているのがどうにも薄気味悪いからだ。 その薄気味悪さは、無垢ではない大人の「思惑」を感じるからに他ならない。 そもそも「少年ジャンプ」への掲載が終わった時点で完結させておけば何も問題はなかった。 そうすれば、みなさんのおっしゃる通り、原爆被害の悲惨さの記憶を後世に残すための青少年向け優良漫画として誰からも文句は出なかったと思う。 どんな歴史認識を持っていようと落ちたものは落ちたわけで、原爆投下は歴史的事実としてそこに争う余地はないからだ。 松江市教育委員会もそこんところはよく分かっていて、原爆被害が描かれている第一部については閲覧制限をかけることはなかった。 ところが閲覧制限をかけた第二部以降については、歴史的事実であるかどうか、争う余地のある表現が数多く出て来るわけで、、、。 最初に閲覧制限をかけるきっかけとなったのは、一般市民からの陳情があったからだが、その陳情者も第一部については何も言わず、第二部以降のみを撤去せよと言って来た。 陳情者曰く「天皇陛下への侮辱、旧日本軍のありもしない蛮行など間違った歴史認識を子どもたちに植え付ける。図書室から即座に撤去することを求める」 その陳情に応える形だったのかどうかよく分からないが、結果、松江市教育委員会は第二部以降に閲覧制限をかけた。 さすがに撤去ははばかられたのだろう。 但し、その理由はいかにもお役所仕事らしいものになった。 間違った歴史認識かどうかについては一切触れず、 「反戦を訴える価値は素晴らしく、作品を否定するものではない。しかし、各所に暴力シーンなど過激な場面があり、一定のルールを設けるべきだと判断した」 と述べたにとどまる。 でも矛盾してないか? 第一部で描かれた原爆投下の様子だって言わばアメリカによる壮大な暴力シーンであり、見るに耐えない悲惨な姿をあからさまに描いているではないか。 そっちはよくて第二部の旧日本軍が行ったとされる暴力シーンだけが過激とはこれいかに。 つまりこういうことだ。 陳情者は自らの思想に基づく歴史認識との食い違いが気に喰わないので撤去せよ、と言って来たにも関わらず、お役所は「暴力シーン」だけを問題点ととらえ閲覧制限をかけた。 なぜその理由に限定したかといえば、お役所の保身術、「歴史認識」や「天皇」や「思想」や「宗教」などに言及することは基本的にヤバイからだ。 第二部では、旧日本軍の蛮行として、面白半分に人の首を切り落とし、人を銃剣術の的にし、女の腹を裂いて子供を取り出すシーンなどが描かれる。 松江市教育委員会はそれが歴史的事実としてあったかなかったかという問題には一切触れず、その描かれ方の過激さだけを問題点にするというへっぴり腰。 それを読む子供たちは、残酷描写に驚く一方、まず「そんな酷いことを日本兵はしたんだ」という認識を持つだろう。 ませたガキなら、「ほんとうにそんなことしたのかな?」という疑問を抱くかも知れないが、ふつうのガキは「ひどいことしやがる」と、素直にそれを信じるだろう。 では、本当のところはどうだったのだろうか? 難しいところだが、まったくなかったと断言するわけにはいかないだろう。 先の陳情者の「旧日本軍のありもしない蛮行など間違った歴史認識」というのは言い過ぎ。 それはおそらく、ある一定の確率で実際にあったことであろうと想像できる。 但し、それが旧日本軍全体を批判するに値するものであったかどうかは別の問題だ。 なにしろ、この現代社会でも無作為に10万人ほどの人を集めれば、統計上およそ2000人近くが刑事事件の犯罪者なのだから、戦場という特殊な環境を加味すれば、中にはそんな酷いことをした人もいるだろうよと言う話し。 従ってこれは、旧日本軍のみの特殊な事情ではなく、人間はもともと潜在的にそういった愚劣さを持っている、ということでもある。 しかし「はだしのゲン」においてはいささか事情が異なる。 主人公のゲンは明らかに旧日本軍に対し批判的だったわけで、その象徴としてそうした蛮行を例に出したからには、中にはそういう人もいたかもしれない、程度の生易しい話しではなく、旧日本軍全体が常態的にそんなことをしていた、というとらえ方をしているのでやはりそこには議論の余地が生まれる。 フランスの諺で「一冊しか本を読まない人を信用するな」とかなんとかあるらしいが、もしその子供が戦争の歴史について「はだしのゲン」が初めて手に取った本で、それ以外一切読まなかったとしたら、当然のことながらそれを歴史的事実として受け止めたまま成長するだろう。 本来はそういうことこそが問題じゃないのか? 歴史認識ってのは、だいたい「あったかなかったか論争」になるわけで、「あった派」の主張が描かれる漫画が子供たちに広く読まれるならば、同時並行的に「なかった派」の主張が描かれた漫画も読まれなくてはならない。 そうして、子供たちは初めてそこに「歴史認識の違い」があることを知る。 そういう状況が保たれない限り、一方に偏向したものだけを子供に読ませたりしちゃダメでしょ。ましてや義務教育の現場だよ。 それとも、子供がそれを読む度に先生がいちいちついて回って「この漫画ではこういう風に描かれているけれど、それが本当にあったことかどうかということについては色々意見があって、、、」と説明でもしてくれるのか? 松江市教育委員会はそういっためんどくさい論議に巻き込まれるのを避けるために、歴史認識を無視して残酷描写だけを問題にした。 そのへっぴり腰につきる。 もっとも、それに関してはへっぴり腰で正解。 お役所に特定の「歴史認識」や「思想」や「宗教」について積極的にお薦めされたりしたら、それこそたまったもんじゃないからね。 うーん、先の陳情者は少なからず右っぽい人だったかもしれないが、色々事情を知ると右っぽい人じゃなくても「はだしのゲン」の第二部以降はどうなんだ、と疑問に思うのではないだろうか。 なぜなら、「少年ジャンプ」への掲載が終わり、時間をあけて始まった第二部(東京編)以降は、掲載誌が左翼系雑誌の「市民」から日本共産党の論壇誌「文化評論」へ、さらに日教組の機関誌「教育評論」へと続き、やがて作者の体力が尽き未完のまま終了。 これは驚くわ、いや驚けよ(笑)。 お〜い! この閲覧制限された部分、いくらなんでも掲載誌が左に傾き過ぎじゃないのか〜い!? これが小中学生が読むべき、一般の子供向け漫画と果たして言えるのか? そもそも、特定の思想もなくのほほんと暮らしている一般の大人たちだって、ある意味特殊な雑誌と言っていいこの三つの雑誌自体を手に取る機会はまずないだろう。少なくとも僕自身は六十三年の人生において一度もない。 正直、「はだしのゲン」がいつの間にやらそんな雑誌に掲載されることになっていたなんて、これっぽっちも知らなかった。 「少年ジャンプ」の掲載が終わった時点でもうおしまいなのかと思っていた。 それよりまず、「少年ジャンプ」に載っていた子供向けの漫画が、なんだってまたそんな特殊な雑誌に載るようになるわけなの? その時点からもう子供向けじゃなく、特定の思想を持った大人向けの漫画になったんではないかい? という疑問。 それにはそれなりの、子供向けじゃない大人の事情があったりするので、そこもなんかイヤラシイ。 話しは簡単、主人公のゲンが戦後どんどん左翼思想にはまっていき、旧日本軍を批判するだけにとどまらず、天皇の戦争責任を主張し、国歌斉唱を拒否する中学生のゲンの姿も描かれる。 どっちにしても、こうなるともう、さすがに「少年ジャンプ」っていうわけにはいかないだろ。 内容からして、掲載誌は自ずから限定されて行ったと考えるのが普通だ。 掲載誌が、共産党の機関誌→自民党の機関誌→靖国神社の、、、だったらある意味笑えたのに。 ところで、こういうふうに論理を展開していると、僕自身がひょっとして右じゃねぇかと思われるかもしれないけれど、それは大きな間違い。 選挙では三回に二回は共産党に入れるし、自民党に入れたことは一度もない。 といって、共産主義バンザイ、、、ではないよ。 思想は関係なく、政治に大切なのはバランスと考えているためで、共産党の存在価値を大いに認める者の一人でもあるからだ。 いいかげん野郎と言われてもいいし、究極のノンポリと言われるのも悪くない(笑)。 とは言えだ! 思想的に左に偏向している雑誌ばかりに掲載されていた部分を、思想的に中立であるべき義務教育の現場に置くのは、どうしたっておかしい。 ってことは、僕が感じた「思惑」というのは、最終掲載誌である日教組の思惑、、、かも。 だから初めから原爆部分の第一部だけ置けばよかったのだ。 子供に思想なんてまだ必要ないし、もし必要だとしても選択肢がいくつも目の前に並んでいなければならないハズだ。 従って、第二部を自由に閲覧させよ!という意見をいう人の気持ちが分からない。 そのような漫画を推奨することは、まだ無垢である子供の思想を不自由なものにするリスクがあることを承知の上でそう言っているのか、それとも単なる考えなしなのか。 「思想に深く関わる雑誌」に載っていた漫画であることを知ってもなお、親として、自分の子供に自由に読ませたいと思うものなのだろうか? きわめて疑問だ。 とりあえず、閲覧制限ではなく、僕も陳情者同様、第二部以降は撤去すべきだと思う。 それより、最初っから置くなよ、って話しだけどね。 しかし、陳情者のように左だからダメというわけではない、これが右でも当然ダメ。 ようするに「偏向」がダメということだ。 なのに、、、陳情受けて文句言われるのが怖いから閲覧制限して、それがバレてネットで署名運動とかされて、閲覧解除署名が二万名超えたと知るとさっさと閲覧解除するという松江市教育委員会。 それにしても松江市教育委員会のこのだらしなさ、お役所としていい味出してるとしか言いようがない。 「文句が出た? じゃこうしましょ。え?その反対の文句? じゃああしましょ。ん? その反対の反対の、、、あ〜もうわかんな〜い! けど文句は言われたくないなぁ!!」。 モンスターペアレントに屈する学校のお手本を見るような思いがするわ。 この問題がフューチャーされ自由閲覧になった途端、それは、ご自由にどうぞの域を超え、ぜひ読みましょう! みたいな空気が流れるに決まっている、って言うかすでに流れている。 そしてますます神格化が進む。 やだ〜、怖え〜よ。 そうならないために、とりあえず中和剤として、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」でも置いとくか? 小中学校の図書館に。 いやいや、もう置いてあったりするかも、、、、珍しい右翼の校長のごり押しで(笑)。 高瀬がぶん [Web Log] / 08/16 11:45
異常になついあつじゃなくてあついなつ!! 地球温暖化がいかに深刻かよく分かった。 バイト連中があんなに冷凍庫に入りたがるなんて、、、、。 フリーライティングの仕事をしていた時期があった。 その頃はまだパソコンじゃなくワープロで文章を打っていた。 パソコンも既に使ってはいたが、原稿を書くにはやはりワープロのほうが使い勝手がよかったからだ。 具体的な仕事の内容は、編集プロダクションからの注文を受け、セブンイレブンとかローソンとかによく置いてある文庫本を書くことだ。 ジャンルは「エッチ本」「とんでも科学本」「雑学本」「医学本」「ギャンブル必勝法」「オカルト本」「恐怖本」と多岐にわたるが、いずれも一冊400字詰め原稿用紙250枚程度で、それを一人で書く場合にはおよそ3週間というなかなかのハイペースでこなしていく。 同業の仲間もおり、本によっては、それぞれ章を分担して共同で書き上げることもよくあった。 我が家に男と女のライター2人を集め、ワープロ三台並べて鬼打ちするのが常だった。 一冊書くとだいたい45万円程度にはなるので、一人で三週間かけてもけっこうおいしい仕事ではあったと思う。本によっては二週間程度で書けるものもある。 それを三人で書けば当然一週間くらいで書き上がるので、それで15万程度になるのだから決して悪い仕事ではない。 ただ、「とんでも科学本」や「雑学本」の場合は下調べが必要で資料の下読みにも時間がかかるのであまり効率がよくない。 もっとも、資料集めが必要な場合には、発注先から資料本の提供を受けたり、ギャラも2割程度上乗せがあったと記憶している。 その点、効率がよく一番楽だったのは「恐怖本」や「エッチ本」である。 資料調べとかはまったく不必要だし、あとは自分の想像力とスケベ心だけで書き進めることができたからだ。そりゃまあ筆の進むこと(笑)。 特に「エッチ本」の注文が多かったが、ほとんどの場合投稿告白スタイルで、様々な職業の女性(投稿者はたいてい女性という設定)が、色んな場所で色んな人と色んなエッチをするという、それはもうくだらない内容なので(笑)、ほぼ推敲することもなく次々と話しをでっち上げていく。 断言するが、恐怖体験にしろエッチ体験にしろ、出版メディアに掲載されている記事は100%ライターの作り話だからそのおつもりで(笑)。 しかし、同じような内容で何冊も書くのだからそのうち書くことがなくなってくる。 三人分担で自由に書いていると色々重複する部分が出て来たり、特に、主人公となるべき女性の職業設定も、気付いてみると先生や看護婦(今は看護師)がやたら多くなっていたりして、こりゃマズいということになり、ある時考えついた! まず、考えられるだけの職業を100個以上リストアップする。 そして、ポスター程度の大きさの紙を用意して、大きな円を描き、円を適当に分割してその職業全部を書き写す。 そう、ちょうどダーツの的のようになる(笑)。 そして、離れた場所から三人順番に実際にダーツの矢を放ち、当たった職業の設定でひとつの話しを作る。 それを繰り返す。 たまたま連続して同じ職業に当たってしまった人も、これはやっぱりルールだからさ! というわけで、大して意味の無いルールに従い同じ職業で話しを作る。 思いつく限りの職業なものだから色々ある。 それにしても、「土地家屋調査士のエロ話」って、いったいどんなんだー! と自らツッコミたくなるようなケースも出て来て、それがまた意外で面白かったりする。 なんとかアイデアをひねり出し、無理矢理エロ話しに持ってゆくところが楽しい苦労となる。 三人がそれぞれ規定の枚数を書き上げると、内容の照らし合わせをすることになり、重複部分の訂正や、他の二人が意見を言い、エロさ具合が足りないとか、エロ過ぎてリアリティに欠けるとか、、、そしてさっさと書き直す。 書き手の意地とか誇りとかとは無縁の世界なのだ(笑)。 どうせ著者の個人名は出ない。 著者はたいてい「○○研究会編」というような編著となる。 そうやって出来た本がコンビニに並ぶ。 基本的に今でも同じスタイルで書かれた「テキトー本」が何冊も並んでいると思われる。 そうした本に、基本的に増刷はない。 当時は、一作6000〜10000部刷られ、神奈川県内に2000件ほどあったコンビニに、3〜5冊程度ばらまかれ売り切りを目指す。 一店舗当たり3〜5冊程度なら、まぐれでもなんとか売れそうな感じ、、、ではないか。 中にはその2倍くらい刷られた本もあった。 「学校の怪談」や「トイレの花子さん」とかは、二ヶ月後映画化されるんでその前に急いで!! という注文だったので、やっつけで書いた記憶がある。 中身は小中学生の投稿スタイルなので、子供思考に戻って書くのだが、それもまた楽しからずや(笑)。 ペーパーバックライターにはモラルなんてない。 というか、世に氾濫している出版物にはほとんどモラルなんてないのではないかと思われる。 ひょっとしてこのコラムは内部告発?掟破り?かもしれないが、面白いので書いちゃってます(笑)。 タレントや著名な医者のゴーストライティングもする。 タレントの場合は、広告の裏側やノートの切れ端やティシュ(笑)などに書かれた数百枚のメモ書きを渡され、それを一冊の本にまとめあげる。 医者の場合は、編集プロダクションからその人物が過去に出版した10冊程度の書籍がまとめて送られてくる。 で、注文は、その十冊の中から様々なデータを寄せ集め、新しいコンセプトを立てて一冊の新しい本にして欲しいと。 かと思えば、大手出版社が発行しているメジャーな旅雑誌(これは今でも発行されている)の体験旅日記という仕事もあったが、書いていてさすがにこれは気がひけた。こんなんでいいのか!と。 その時の仕事は、25歳のOLと40代の主婦の一人旅日記、、、という設定。 そのどちらの目的地も、僕はまったく行ったことがない場所。 しかも、発注元の条件として、現地にライターを派遣するほどの予算はないので、取材はすべて電話で済ませること(笑)。 あらかじめ受け取っている資料を元に書くのはもちろんだが、それはあくまで過去のデータなので、現状がそれと一致しているかどうかを電話で直接確かめる必要があるからだ。 そうして、空想上旅人が立ち寄る店や現地で会うしかるべき人たちに電話取材を行い、あたかも見て来たような嘘を、それぞれの女性に見合った筆致で書いていく。 あとは、適当な写真データを添えて、はい出来上がり。 その一環として清水次郎長の家に電話したこともある。 電話に出たのは次郎長の末裔の奥さんで、旦那が病気で倒れて入院生活が長く、商売のお土産屋さん(次郎長関連グッズ中心)を切り回すの大変でやんなっちゃうと、なぜかひどくぼやいていたが、そんなことは書けない(笑)。 それが実際に旅日記として雑誌に掲載される。 それを読んでいる読者は、まさかそれが創作であるとは思うまい。 そうやって記事が作られていることを知ったら怒るだろなー(笑)。 果たして、今もそうなのか僕は知らないが、たとえそうであってもたぶん何の問題も起きない。 高瀬がぶん |