あんなこと書いて即完売。
あんなこと書かれて人気回復。
果たしてWin-Winなのか?、、、というような見方をするのはよくないぞ。
言わずもがな週刊朝日VS橋下氏。

それにしても、あれほど分かりやすいバカ記事もないものだ。
「勝負の行方は明白」
おそらくあれを読んだ瞬間、橋下氏はそう確信したに違いない。
しかも、橋下氏の出自や父親や叔父の話しとて、特に目新しいものではない。
一年ほど前の新潮45や週刊文春の記事の焼き直しにしか過ぎない。
あとはライターの妄想と、既出のデータをパクって更に口汚く表現しただけの話し。
あれが天下の週刊朝日ではなく、週刊ナックルズやブブカであったなら、おそらく橋下氏はあんなに怒ることはなかっただろう。相手に不足あり、だからだ。
その点週刊朝日ならば喧嘩し甲斐があると踏んで、朝日新聞まで巻き込んで突っ込んでいったのだろうと思われる。
そして相手はその術中に見事にハマる。
うちと朝日新聞社とは関係ございません! といくら言い張ってみても無理な話。
週刊誌とはいえ「朝日」という金バッチをつけることで成り立っている会社なのだから、そのメリットだけは受けるがデメリットは波及させない、なんてそんな都合のよい話しがあるはずがない。

結果、もちろん橋下氏の完勝に終わり、いやまだ正確には終わってないが、橋下氏もさすがに心得たもので、事の経緯の検証を売り物の記事にするなと釘を刺すことも忘れない。
それこそ、また完売で儲けられてはたまらないからだ。

橋下氏の抗議→謝罪記事
このレスポンスがあまりにも早過ぎたのは、いかにも不自然だった。
そんなにアッサリ謝罪するくらいなら、はじめから掲載などするはずがないからだ。
少なくとも「これでよし!」という記事全体に対する総体的な判断のもとに掲載に踏み切ったのだから、例え何がしかの抗議を受けたとしても、後々謝罪することになるにしても、即時に反応することはなかったのではないかと思われる。ましてや、それが外部ライターの署名記事であるなら尚更その対応は慎重にならざるを得ない。
にも関わらず、即座に謝罪を表明することになったのは、その判断が週刊朝日編集部のみによってなされたものではないことの何よりの証拠と言えるのではないか。
その背景が朝日新聞社を指すのかどうかは分からないが、いずれにせよ週刊朝日編集部の権限を遥かに凌駕するある地点から、うむを言わさず「謝罪を表明せよ」というお達しがあったということなのだろう。
勝ち目がないことは明白、この際、佐野某や編集長の体面など構ってはいられぬ!とばかりに、、、。

それにしてもだ、あれが記事として掲載されるに至った経緯はともかくとして、第一回を発表した時点で、現在のような無様な状況を迎えることに、週刊朝日は本当に思い至らなかったのだろうか?
それが不思議でならない。
去年の騒ぎが「子供編集長」の仕業だとしたら、今回は「幼稚園編集長」みたいなもので、大の大人が何人も寄り集まって編集会議を開き、議論を重ねた末にあの記事?
常識を持つ人ならば、「同和地区を特定するような記述はマズいんじゃない?」と思うだろうが。

もともと「同和地区」とは正式な行政用語であって、インフラ改善などを国費で賄うことを目的にした「同和対策事業特別措置法」を実施するために取り決められ地区のことだ。
そして1969年から始まったこの事業に15兆円が費やされ、一応の改善がなされたということで、2002年にこの事業は基本的には終了している。
よかれと思って始めたこの事業も、地理的に定義が曖昧な「被差別部落」とは違い、地図上ではっきりとした輪郭を持たせた地区を「同和地区」として指定せざるを得なかったことで、新たな差別を生み出す結果となったことも否めないが、少なくとも事業が終了をみた現時点では、その地区がどこにあるとかないとか、それを論じることはもちろん、その地区を明らかにすることの意味はまったくない。
もし意味があるとすれば、それは、その地区を差別することの表明に他ならず、まさしく今回の週刊朝日はそれをやってのけたということになる。
従って、ライター及び週刊朝日編集部全員、差別主義者と言われても仕方がないだろう。
なのに「差別するつもりはございませんでした」とか、、、笑止。

迷惑をかけるのはもちろん当の橋本氏家族だけではない。
当該地域に住まいする人たちにも当然謝る必要があるだろう。
しかも全国平均でも旧指定地区内に住んでいる非差別部落の住民の人口はすでに50%を切っている。そう、半分以上は外部からやってきた住民なのである。
ある地域を明示して差別的表現をするということは、いわれなき差別を助長するばかりか、いわれなきいわれなき差別が生じるということにもなるのだ。
週刊朝日の責任者は、その地域に出向き、公民館かなにかを借りて住民たちに詫びるべきだと思う。
そして、糾弾されるべきだ。
それだけに留まらず、無理と分かっていても完売した雑誌の回収に着手すべきだ。
明白に謝罪したのだから、その記事で儲けてしまったままにしておくのは不合理。
回収が物理的に無理というなら、せめて売り上げの全額を返上すべき。
どこの誰へ返上するのかは難しいだろうから、せめて社会奉仕としてしかるべき所に寄付せよと言いたい。

それと、解放運動をしている人たちはなぜ動かないのか、それも不可解だ。
あの記事が糾弾されなくて、いったい何が糾弾の対象となるのか。
これまで、ことあるごとに糾弾してきたではないか。
大阪市に於いて採られている橋下氏の政策が、被差別部落の人たちにとって好ましくないものである、という現在の事情はある。
でも、それとこれとは話しは別ではないか。
大阪の問題は一地方都市の問題。
しかし、あの記事で書かれているような内容は、記載されている地域のみならず、日本全国に及ぶ人権そのものの根幹に関わるものであって、問題の大きさが違う。
週刊朝日を糾弾することが、結果として橋下氏を助けることになってしまう、ということで躊躇しているのだとしたら、なんだかショボい話しになってしまうではないか。

いやいや、一組織の問題でもない。
今回のことは国会で取り上げてもよいくらいの大きな問題だと思う。
政府もマスコミもあれほど差別はいかん差別はいかんと言ってきたではないか。
最近の流行か、いじめ問題には超敏感になっているくせに、被害人数がより多い差別問題に無関心とはこれ如何に。
今、鎌倉に住んでいて、こうした差別問題に触れるたびに古い歴史に思いが至る。
その昔、鎌倉長吏頭藤原弾左衛門が源頼朝の朱印状を得て、中世の被差別民の頭領の地位を確立したとされる。
それから1000年近く経っても差別というものはなくならない。
それが人間に備わった「業」というもの、、、なの?



高瀬がぶん