僕のコラムに何度か登場する友人の山下澄人(劇団FICTION主宰)が、「緑のさる(平凡社)」という作品で、11月6日に発表された第24回野間文芸新人賞をとった。
ついこないだ横浜の山下公園で芥川賞落選残念会を催したばっかりなのに(笑)。
彼は前回の芥川賞に「ギッちょん」という作品でノミネートされ、残念ながら落選したわけだが、この「緑のさる」という作品は「ギッちょん」よりずっと以前から書き続けていたもので、校正校正でなかなか完成せず、数年間に渡り書き直して来たものだという。
それが初の単行本となって、いわばデビュー作で、しかも読んで面白い。
保坂和志が帯を書き、これは世間に広めなきゃ、ということで僕も帯同して京都へ行ったり札幌へ行ったりして、保坂VS山下のトークセッションを重ねてきたものだ。
その効果があるやなしや、そうこうしているうちに次作の「ギッちょん」が芥川賞の候補になったりしたので、ある意味「緑のさる」は過去の作品という感じになってはいた。
過去とは言ってもすべて今年の話しなので、結果、前作が次作を追い抜いて今回の授賞となった次第。

山下君と知り合ってまだ三年も経っていないかもしれない。
知り合う前は山下澄人という人物の存在すらも知らなかった。
彼は倉本聰主宰の富良野塾出身で俳優もやっていたので、倉本聰原作の連ドラTVの「優しい時間」とかにも出演しているのだが、そのドラマを見ていた記憶はあっても、うっかり彼が出ていたことは気付いていなかった(笑)。
後でそれを知ってTSUTAYAで借りて来て見直したら、なるほど舞台となっている喫茶店「森の時計」の常連客の一人、刑事役で出ていたんだなぁと。

数年前のある日、僕のパソコンにメールがきた。
そのメアドは保坂和志公式ホームページのものでもあるが、且つ、僕の私用メアドでもある。
送信者名に覚えはなかったが、それは劇団FICTIONのプロデューサーであり実務運営者でもあるSさんという女性(山下の奥さん)からで、保坂&がぶん宛で、要約すれば「突然ですけど、これこれこういう劇団のものですが、ご招待いたしますので、よろしかったら是非うちの舞台を観に来て下さい」というものだった。
それで保坂と連絡をとり、場所は新宿だし、劇団サイトを覗いて見ると何だかすごく面白そうだし、どうせならみんなで行こうか!ということになり、うちのサイト関係者含め5人くらいで図々しくもどやどやと出掛けて行くになったわけだった。初対面なのに大勢で押し掛けたにも関わらず、山下君たちは快く迎えてくれて、そこで「新世界」という芝居を見せてもらった。

それでハマった(笑)。
その芝居にハマるということはすなわち山下君にハマったということでもあって、それ以後、公演がある度に出掛けることになった。
僕は特に芝居好きというわけではなかったが、なんだかすごく面白くなって、どうやって芝居を作って行くのだろうかという好奇心にかられ、本番の舞台だけではもの足りず、練習風景も見たくなって、都内のどこぞの公民館までのこのこ出掛けて行ったりするようにもなっていた。
台本はあるんだかないんだか、いや一応あるようなのだが、それもよりもその場の空気感で会話が交わされ役者の身体が動き、場面は進んで行く。
まぁ、そんな感じのゆるゆるさが心地よい練習風景ではあった。

その当時、もちろん山下君が小説を書いていることなんか知らず、いや、ずるずると「緑のさる」は書いていたのだろうが、そんなことは知るよしもなく(笑)、芝居作りに専念している彼ではあったと思う。
しかしその後数回川崎などでの新作公演を見せてもらったところで、あの東日本大震災があり原発が爆発!
そのことで僕と山下君はメールやTwitterなどで密に連絡をとりあったが、お互い放射能拡散の影響というものにハッキリとした危機感を抱いていることを確認し合い、山下君は東京周辺に住んでいる団員たち全員に対して、その危険性を啓蒙していった。
そして、小さい子供を持つ団員は地方へ移住することになり、、、複数の団員たちが東京近辺から姿を消した。
その上、僕のコラムでも書いたが、劇団の中核を成していた井上唯我というまだ若い役者が病に倒れ亡くなってしまうという悲劇に出会う。
こうしてFICTIONという劇団は離散状態に陥ってしまったのだ。
現実的に東京近辺でFICTIONの舞台を観ることは、今のところ不可能と言っていいのかもしれない。
その後山下君は後進が立ち上げた「ラングラング」という演劇グループの育成に力を貸すことになり、今も実際に協力しているのだが、何と言ってもその活動の舞台は札幌。
となるとそうしょっちゅう出掛けるわけにも行かず、パチンコの他やることねぇー(笑)状態がしばらく続くことなる。
たぶん、たぶんだが、そんな時に山下君は小説でもまた書いてみるかと、、、、まあそういう感じで何作品かの小説を書き上げて行ったのである。
そういう意味で、山下君が本気で小説を書こうとしたのは、おそらくこの一年半くらいのものだと思う(もっとも過去に岸田國士戯曲賞の候補になったことはある)。
小説に関しては短編も含めまだ四作品くらいしかないが、そのうち一本が芥川賞候補に、そして一本が野間文芸新人賞受賞、、、(笑)。
こんなに効率がいい話しが他にあるか?
もともと小説を書ける人が単に書かなかっただけなのか、それとも書けるとは思っていなかったが書いてみたら案外書けたのか、それは分からない(笑)。
ま、表現者としては才能があることは間違いないと僕も確信していたので、だったら小説でも画でも(いやこれもなかなかよいのだ)なんでもいい線は行くだろうという思いはあった。

小説家になりたくてなりたくて学生時代から長年努力している人たちは、おおいに悔しがる話しかもしれない。
そういう人たちが山下君の小説を読むと、「自分がやってきたこととは違う」と、、、たぶん否定的な感想を持つのじゃないかと思う。
彼らはおそらく、努力や研鑽がろくでもないということに気付いていないのだ。
自分が信じてやってきたことは他人も同じように信じてやってきていて、結局のところ同じような結果しか生み出すことができず、そこでは技術的優劣は生まれるものの、目からうろこの新しいものなんか何も生まれない、、、ということを。
そう、「緑のさる」を読むのなら、自分の経験や固定観念を捨てるべく、頭をよ~く100回ほど揉んでからにしたほうがよい。

ちなみに山下君は神戸出身で、あの大震災に遭い自宅も全壊しているほどの被災者でもある。
そしてまた今回の大震災。
よほど運が悪い(笑)。
でも、今回に限っては、え~マジかよまた大震災→おまけにヤベーよ放射能→逃げろ~みんな!→劇団員離散の憂き目→困ると同時に暇になる→仕方がないから小説を書く→案外当たる!
とまあ、大震災のおかげなんじゃないかと、僕はひそかにそう思っている。


高瀬がぶん