この間、なんだか昭和の香りのする喫茶店にたまたま入って、アイスカフェオレを頼んだのだが、なんだこれ!? 森永のコーヒー牛乳じゃねぇかっていう味で、これも一種のオレオレ詐欺っていうやつだな(笑)と、自分でウケる〜! だったんだけれど、発表する相手がいなくてとても寂しかったという話しはさておき、小説を書く行為というのは、ひょっとしてすごく恥ずかしいことなのではないかと思う。
小説を書いてるなんて恥ずかしいから人には言えないが、せっせと書いては新人賞に応募したり出版社に持ち込んだり、、、要するに陰で一所懸命努力して、そうして運良く世間に出ることができた時に初めて、周りの人が、あの人は小説を書いていたんだぁ、と気付く。
たぶん、小説なんか書いてるって恥ずかしくて人には言えない、という人こそがいつか小説家になれるんじゃないかと、最近になって強くそう思う。

なぜそんな風に思うのかというと、小説家ではないただの人が、或る時、いきなり小説家になったというパターンを、実際に二度ほど間近で見ているからだ。

保坂和志という小説家のHPを立ち上げてからのこの十二年、制作管理をしていると、色々なファンがウチのサイトに出没するわけで、その中のひとり礒崎憲一郎は、ウチが発行するメールマガジンに記事を書いてくれたりしていたが、小説を書いているなんてことは露ほども知らず、2007年の「文藝新人賞」の最終候補に残った時に、その名前が出て来てびっくりした! という次第。
そして、「肝心の子供」で文藝新人賞をとり、それから二年後に「終の住処」で芥川賞をとった。

もう一人、山下澄人。これは過去のコラムで書いたので一部重複するが、彼はFICTIONという劇団の主宰をしており、五年ほど前に本人の身内から、「突然のメールで失礼いたしますが〜〜ご招待しますのでよかったら舞台を観に来て下さい」というメールが来たので、調子に乗ってHP関係者みんなで観に行って、それからすっかりFICTIONのファンになり、舞台がある度に観せてもらうことになり、プライベードでも仲良くなって何度か会っているうちに、「実は小説を書かないかとある出版社言われて書いているんですが、もう三年ぐらいずっと書いてて、校正校正の繰り返しでいっこうに完成しません(笑)」と、そんな話しが出て来てみんなで大笑い、というゆるい感じで、彼が舞台脚本だけではなく小説も書いているんだということを知った。
その彼が去年の今頃、二作目の「ギッちょん」という小説でいきなり芥川賞候補になり、残念ながらそれは選外だったけれど、苦労を重ね三年がかりで書き上げた一作目の「緑のさる」で、去年の秋「野間文芸新人賞」をとった。
そして、今まさに旬、このコラムが掲載される時点で既に発表(7/17)されているかどうか分からないけれど、「砂漠のダンス」という小説が、再び第149回芥川賞候補となっている。
ま、これでとれれば幸いだけれど、とれなくたって、百枚前後の小説を発表し続けていれば(笑)、そのうちとるでしょ。

この二人に共通しているのは、「へぇ、小説なんか書いてたんだぁ」と、知り合ってからけっこう時間が経ってから知ったこと。

一方で、「小説を書いてるんです!!」と、ハナっから胸を張る人たちがいる。
たぶんこれはダメパターンだと直感してる。
そういう人たちはたくさんいて、うちのHP宛にいきなり書き上げた小説をメールで送りつけて来る。
短編ならまだしも数百枚にも及ぶ長編を送ってくる人も少なくない。
言わば、前戯がなくていきなり本番、みたいなだいぶ失礼な人たちだ。
しかも、たいていは「どう?どうなの?」と、反応を欲しがったりもする(笑)。

そうした中にとんでもない奴もいる。
小説ファイルに添えた前書。おおまかに言えば、次のような内容だったと思う。
「自分は現役の東大生です。小説家になるつもりですが、現在の新人賞などに応募して受賞し、それからプロになるというような手順はあまりにも時間がかかり過ぎます。そこで、私の小説を出版してくれる出版社をどこか紹介していただけないでしょうか? 無事、単行本として出版されたあかつきには、あとがきにて謝辞を述べたいと思います」、、、みたいな!!!
え〜〜っ!?
お前いったいどこから見下ろしてもの言ってんだよ! 
さすがにこのメールには頭に来て、保坂に転送もせず小説ファイルは即ゴミ箱へ。
そしてひとこと「何か大きな勘違いしてるんじゃないの?」とだけ書いて返信したのだった。
幸い、それっきりメールも来ないが(笑)。

とにかく既成作家のところにいきなり小説を送りつけるなんてことはやめて、どこかの新人賞に応募したらいいと思う。
大手出版社の新人賞になると、およそ2000編くらいの応募があるが、都市伝説のように言われていることがある。
「最初に読むのは学生アルバイトたちで、小説の善し悪しも分からず落としていく、、、」
それを信じ込んで、「そんなところで落とされてたまるか!」 と思うような人も出て来る。
結果、自分が最終候補に残らなかったりすると、「やっぱりそうだ! これは自分の実力不足のせいじゃなく、まともに評価されないシステムになっている」 なんて、実に都合良く考えたりもする。
でもそれは大きな間違い。
送られて来る応募作品は全て、ちゃんと編集者が読んでいるのだ。
五人くらいの編集者が手分けして、一人400編程度の作品をほぼ一ヶ月くらいかけて読破する。だからシーズンになると、ほぼ毎日大忙しで小説を読むことだけが仕事となるそうだ。
そして、ひとり10編程度を選び残し、五人が持ち寄る50編程度を再び回し読みした上で協議し決定する。
ほら、ちゃんと仕事してるんだよ編集の人たちは(笑)。
いつだったか大手文芸誌の編集の某くんに聞いたことがある。
「2000応募があったとして、読むに耐え得るというか、一応小説だなと思えるようなものはいったい何編くらいあるの?」
「やっぱり50編程度ですよ。あとは日記か日記に毛が生えた程度のものですね(笑)」
つまり、もしアナタの書く小説が一応小説として認められるようなものならば、受賞確率は2000分の1ではなくて50分の1。
これはかなりの高確率じゃありませんか?
勇気出たでしょ(笑)。

ところで、サイトに送りつけられる小説について、僕は一切読まず、直接保坂に転送する。
制作管理者としての最低限の義務を果たすという意味でも、HP宛のメールは、とりあえず全て転送することにしているのだ。
ぶっちゃけ、何らかの判断をするのがめんどくさいし、そうしたほうが楽(笑)。
で、保坂も十中八九送られて来る小説を読まない。
もちろん感想を返したりもしない。
僕の時点では、メールをくれた本人にはたいてい返信はする。
「メールは保坂和志本人に転送いたしました。ただ、同様の申し出は数多く、返信はたぶん行かないと思います。がっかりするかもしれませんが、そんなもんです普通」と。

勝手に送りつけられてきた小説を読んだ上で感想を返す、、、そんなことをボランティアでしている暇もない。
僕は別に感想を求められているわけじゃないが(笑)、だらだら生活することに忙しく、保坂は保坂で猫の世話と小説で忙しい(笑)。
そういう、いきなりの、ある意味図々しい申し出があまりに多くなったので、ある時、「小説の講評は一編につき五万円頂きます」と告知した。
そうしとけば、さすがに送って来るやつはいないだろうと高をくくっていたのだけれど、なんとそれでも「お願いします」と小説を送って来るやつがいたりして、慌てて告知を削除した、ということもあった。
かと思うと、ウチの掲示板に自分の書いた小説を直接書き込むやつも現れる。
そんな時は、文字数制限があるから一回の記事では収まらず、何回にも分割して、、、ほんと迷惑だし、それが小説であろうとなかろうと、そもそもそんな長い書き込みを読むやつは誰もいない(笑)。
たぶん、たぶんだけれど、そうした、恥ずかし気もなく、っていうのは小説家にはなれないパターンじゃないかと思う。
保坂和志には聞いてないから知らないけれど(笑)、村上春樹もあんなに小説を書いていて、あんなに皆んなに読まれて、相当恥ずかしい思いをしているんじゃないかと、そう思う(笑)。



高瀬がぶん