さ〜て話しを宗教に戻そう。
これまでの話しをざっくりまとめると、色々な宗教が出す「正解」がそれぞれ違うってことは、それが唯一絶対の真理じゃないからじゃないか、、、ってこと。
それでも全人類に普遍的に通用する唯一の宗教的「真理」があると言い張るなら、とっくの昔に世界を統一(統一教会じゃないよ)する宗教が生まれていなきゃおかしいだろう。
現実にそうなっていない以上、あらゆる宗教的教義は「真理」とはほど遠い、極めて限定的な「教え」でしかあり得ないということだ。
従って現実をみる限り、「真理」というものは「ない」か、「ある」けれどまだ発見されていないか、あるいは「あるかどうか分からないけれど、もしあったとしても、永久に発見できるものではない」、かのいずれかであると思われる。
にもかかわらず、「これが○○の真理です」と一方的に押し付けて来るのが宗教の悪い癖。
それを受け入れ難い人は必然的に異教徒となり、「真理」の押し売りがヒートアップして殺し合いにまで発展するのだから何かおかしくないか?
そもそも宗教は人々に安寧を与えるべく生まれたものなのだから、殺してどーすんだよ!  殺された方は極めて静かになって、殺した方の心には邪魔者が消えて安寧が訪れる、ってそりゃねぇだろよ。
だから、その主義主張をもう少しゆるく考えた方がお互い幸せになれると思うのだけれど、どうも宗教の話しになると意固地になる人が多いようで実に困ったものだ。

ちょっと基本に立ち戻って考えてみる。
どんな宗教にしろ、とりあえずその宗教の発祥の地の周りにいる人間を対象に生まれたものだろうが、その対象がいくら広がって行ったとしても、2013年現在でも未だに発見されていない部族の人たち(アマゾンの奥地やニューギニアの奥地)もいると推測されているわけで、そういう人たちにとって釈迦にしろキリストにしろ、そんなやつ知らんぞ、と言われるのがオチで、釈迦もキリストもその人たちとは全く無関係な存在であると言える。
もちろんキリストの方だってそんな奴らは知らん。どころか、キリストは日本人のことだって知らんぞ。旧約聖書の規則や十戒だってイスラエル人(ユダヤ)の為だけに書かれたもので、私たち日本人はもとより、いわゆるクリスチャンでさえ対象外じゃないか。
一方的な片思いと言っていいのかどうか分からないけれど、それを有り難がっている人の気持ちが僕にはさっぱり分からない。

閉鎖的な世界の中で他世界のことを知らぬまま生まれ死んで行く人には、そもそもその宗教情報そのものが到達しないのだから、そういうものが人類全体にとっての普遍性を獲得できるわけがない。
その伝から言えば、ノアの箱船なんか実に理屈に合わない話である。
人類つくって希望的観測のもとに好き勝手やらしておいたけど、思った通りに成長しないからノア一家と適当な動物のペアだけ残して、この際、一旦地球上の人類全員殺してやり直そうなんて、そんなむちゃくちゃな話しはない。
少なくとも、キリスト教で言うところの神の存在を知っている人たちが裏切ったからという理由で、その人たちだけを殺すならまだしも、それ以外の、神情報が伝わっていない無関係な人たちまで含めて地球上の全人類を殺してしまうなんて、とばっちりも甚だしいではないか。
そんなお話しが「神による救済」となって後世に伝わるなんて、、、イミフメこの上ない。

情報が伝わっていない人まで巻き込むな。
ということで、宗教的真理というものは、特定の神の存在を知り得る、ある一定のエリア内で、ある程度の年齢になるまで成長し、しかも情報を理解できる程度の知性を獲得した人に対してのみ通用するということにして欲しい。
いや、そうであるはずだ。特にキリスト教が人間と自然(動物など)をはっきりと分け、動物を人間の支配下に置いたのは、「動物には神を崇拝する能力がない」という理由からだった。だとしたら、動物だけでなく人間の中にもそういった能力に欠けている一定の人たちもいるわけで、そういう人たちは救う価値がないという理屈になってしまうがそれでも構わないのだろうか?
百歩譲って、生まれたばかりの赤ちゃんはよしとしよう。
やがて情報を理解し、神を信仰する可能性を秘めているわけだから。
しかし、運悪く植物状態のまま生まれそのまま死んでいく人や、新生児の段階で死んでしまう人、そういう人たちには「神を崇拝する能力」はないが、果たしてどうなってしまうのか。

こういうことを言うと、おそらく、「いやいやそんなことはありません、その相手に信仰能力があろうとなかろうと、みな神様の愛を享受する権利があるのです」、とかなんとか、つまるところ強引に教義を当てはめようとしてくるに決まっていて、特に、赤ちゃんの段階で死んでしまったような、そんな可哀想な人は、来世にはきっといいことが、、、とか、次に生まれ変わってくる時には、、、なんていう苦し紛れの世迷い言を言い出しかねない。
実は、そんな傲慢なことを言いそうな気がするから宗教は嫌いなのである。
そう、特に、押し付けがましく「いいことはみんなに伝えるべき」とする大乗的な宗教はたちが悪い。
その点、自分だけ悟ればいいや、っていう上座部(小乗)的な宗教はまだよい。
少なくとも他人に迷惑かけないから。

生まれ変わりと言えば、いつだったかダライラマが出演しているDVDを観てて、話しの最後に「輪廻転生」を言い出したのでびっくりした。
現世で徳を積んでおくと来世いいことある、みたいな。
え? そうなの? 
釈迦は元々バラモン教の唱える「身分制度」を否定し「輪廻転生」からの脱却を目指して仏教を立ち上げたんじゃなかったのか?
いったい何処の誰がいつなんどき釈迦の主義主張を改ざんしたんだ。
聞くところによれば、仏教がインドでヒンズー教にえらく痛めつけられたために、何とかインド文化に融合しようと仕方なく輪廻思想だけは取り入れたということだが、その際に釈迦の人生そのもののストーリーも改ざんさせられたという説があるが本当かどうかは知らない。いや僕だけじゃなく誰も知らない(笑)。それが説ってものだ。

ともあれ、「輪廻転生」って差別思考の産物だろ。
近所で生まれた赤ちゃんが生まれつき「徳が高い」とか言われた日にゃカチンと来るぞ。それが輪廻転生の結果かどうかは、どうせ証拠があるわけじゃないだろうから知ったこっちゃないし、そういうのは絶対に良くない。
今となってはかなり分が悪い橋下市長も例の「出自」に関する差別問題の時にそう言ってたな。
出自とか自分の努力では変えようもないことを根拠にその人の人格を否定するようなことはあってはならない、みたいな。
そこはおっしゃる通りで、生まれた後に本人の努力によって大人物になったりするなら文句はないが、、、というと、橋下さん、なんでアナタは天皇制を否定しないの? 
橋下さんがいくら頑張っても、せいぜいなれるのは総理大臣までで、どう転んでも天皇にはなれない。これこそ、いくら努力しても到達できないハッキリとした差別ではないでしょうか?
僕はもちろん差別を否定するけれど、敢えて天皇制を否定はしない。
それは日本という社会システムが、天皇制というものを基盤として昔も今も案外うまく機能しているから、という御都合主義に与しているからです(笑)。

あ〜まだ喋ることは色々あるなー。
日本の宗教とか宗教と科学の折り合いとか。
それはまた次回に。

高瀬がぶん