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[Web Log] / 11/16 11:01

セブンイレブンのレジ台に色んなお菓子が置いてあり、脇に小さなメモがあって、なんだかド下手な数字がいっぱい書いてある。どうやら足し算しているらしく、最後の数字は750となっている。
そこへ、二人の女の子がやってきた。
姉妹らしく上の子は8歳くらいで下の子は5歳くらいだろうか。
上の子が手に持ったお菓子をレジ台に乗せ、
「う〜ん、これで870円かぁ、もう少しだね」
そう言って、メモにそれを書き足した。
レジの女性も僕もいったい何だろうと考えつつ、、、あっ、そうか!
レジの女性が言った。
「そっかぁ、今日はハロウィンだもんねー」
なるほどそういうことかと僕もようやく気付き、
「どうりでこんなにたくさん、ハロウィンだったねぇおじょうちゃん!」
するとそのおじょうちゃんは、実に素っ気なく、
「別にぃ、ヒマなだけ〜」
「、、、、、、、、、」
そんなことってあるか? 
おじちゃんと、たぶんレジのおばちゃんもメチャ切ないよ〜〜!(笑)。

Yahooニュースの記事に対してコメントをすることを「ヤフコメ」という。
ここのところ気になるYahooニュースとしては、まずは、「山本太郎氏、園遊会で天皇陛下に手紙を渡す」、「メニューと販売商品の偽装表示」、そして、小泉純一郎氏が叛意するかのように反原発に与したという話題もあれば、「特別秘密保護法案問題」とか、アントニオ猪木が勝手に北朝鮮へ渡る、という記事もあったりして、いったいどれにコメントしたらよいのやらと迷うばかり。
その中で、特にヤフコメ連中に人気があったのはやはり山本太郎問題だったと思うので、今回はそこに的を絞ってコラムることにする。

いわゆるネトウヨたちの脳内には、反原発=左翼思想、天皇に直訴=もってのほか! プラス根っからの嫌韓という図式が成り立っており、その点から言って山本太郎というのは実に叩きがいがある人物らしく、ほとんど生け贄状態、在特会のヘイトスピーチばりに口汚く罵ることしきり。
ただ、コメントのレベルはかなり低く、おまえのかーちゃんで〜べそ! を思いっきり下品にしたようなものばかり。
で、そういうコメントが入ると「いいねボタン」がドドドーンと押され、「だめねボタン」は数えるほどしか入らないという現象が起こる。
面白いのは、そういう常識外れの投稿者に限って、やれ「ルールを守れ!」とか、やれ「礼儀知らず!」とか、やたら社会人としての常識を山本氏に求めるところだ(笑)。
そういうコメントばかりを眺めていると、「おいおい、そういうお前らはどうなんだ? 社会秩序を乱すようなことはしてないか?」とツッコミたくなるわけで、今回の山本太郎の行為の是否はともかく、アウェイを承知で挑発的な発言をせずにはいられない。
考えてみれば僕ははっきり原発即やめろ派であるわけで、その点については山本氏と思いが同じなのだから、反論のしがいもあるというもの。

ただ、天皇陛下に手紙を渡すという行為そのものについては、はっきり言ってどの程度失礼なのかはよく分からない部分もある。
天皇陛下に手紙を渡すこと自体が不可なのか、それとも、TPOに問題があるのか。
聞けば、天皇陛下に毎年年賀状を出す国会議員もかなりいるというから、いや一般国民の中にもおそらくそういう人は相当数いると思われるが、それはそれで特に問題がないわけで、ここはやはり園遊会という場で直接渡したという行為が非難されてしかるべきところであろうと思われる。
もっとも、ネトウヨたちに対してはそんな生易しい解釈は通用しないが、、、。

ところで僕はこう思った。
少なくとも、年齢差はもちろん明らかに目上の人が両手を添えて手紙を受け取ろうとしているにもかかわらず、懐から出した手紙を片手で渡すなんて、そりゃ山本、いかにも無礼だろ! !
ネトウヨのように「世が世なら、時代が時代なら、戦前なら」という前置きをした上で「手打ちになるところだ!」なんて時代錯誤のことは言わないが、突然差し出された青年の手紙を、両手で受け取る陛下の礼儀正しさを目の当たりにした瞬間に己の無作法に気付けよバカ、ぐらいは言いたい(笑)。
これはほんと、途中で気付いて、遅まきながらでもいいから、もう一方の手を添えるくらいのことをするべきだった。

というわけで、山本氏の至らなさにも大いに不満はあるものの、それを言っちゃったら論旨が狂うので、その点には触れず、こんな風にコメントしてみた。
「ところで、あんたたちはなんで原発推進派なのさ。どうせあれだわ、山本太郎は左翼票で当選、で、左翼が反原発だからこの際推進派に回らなきゃカッコつかないぜ、程度の、原発軽卒推進派なんだろ。アホじゃん(笑)」
すると想像通り怒濤のごとく「だめねボタン」が押され、たま〜に、ひっそりと咲く月見草のように「いいねボタン」がポチッと点く。
そういう彼らの僕に対する攻撃は、「お前みたいな奴はさっさと半島へ帰れ!」というような、ここに書くのも憚られるような朝鮮半島絡みの侮蔑的発言ばかり。
そんなレスがこれでもかと複数続き、それぞれに大量の「いいねボタン」が押される。

困ったもんだよ、このヤフコメは。
明らかにネトウヨのたまり場になっていて、自分の過激な発言に「いいねボタン」がたくさん押されると、それを「国民の声」とか言って自分の発言を正当化しようとする。
だから僕はまたちゃちゃを入れる。
「おいおい、『いいねボタン』がたくさん点いたからと言って、それが『国民の声』なわけないだろ! ろくでもない奴がゴソッとここに集まっているだけの話し(笑)」
そんなことを何度か繰り返したものだから、僕の発言に対する総合評価では「いいねボタン」を10とすると「だめねボタン」が500くらい点くというとんでもない結果に!(笑)。
それで頭にきて(笑)、さらに挑発的なことを書き、「、、、。こういうこと言うと『だめねボタン』がじゃんじゃん点くんだよね〜、おもしれ〜(笑)、さあ、遠慮しないで押したまえ! 諸君!」
すると、思ったより「だめねボタン」が伸び悩むという結果に。
ったく、みんなひねくれ者なんだからぁ(笑)。

発言はすべてアカウント入りなので、そのアカウントをポチッとすれば過去の全発言も自由に見れるシステムになっている。その人がどんなニュースに興味を持ちどんな発言をしているか、それも全てあからさまになるので、その人となりがおよそ把握できてしまう。
基本的にバカはどこでもずっとバカで、発言主旨の統一感もあるのだが、中にはそうではない人もいる。
あっちでバカ発言しておきながら、こっちでは極めて常識的でまっとうな発言をしたりする。
そういう人は言わば確信犯で、バカを演じることにそれなりの意味を見い出しているに違いないので、バカ発言に釣られてうっかりバカ返信をすると、いきなり格の違いを見せつけるような小難しいワードを駆使した長文の返信が返ってきたりする。
そしてバカ返信をした者はタジタジになる。
たぶんそれを楽しんでいるのだ。バカ発言はいわゆる「釣り」もあるので注意が肝心(笑)。

そんな中で、僕の発言で一番多く「いいねボタン」が押されたのは次のようなコメントだった。
「日本の天皇陛下は世界で一番偉い。なぜなら現存する唯一の皇=エンペラーだからだ。エンペラーは王や女王よりも格上と、世界の社交界での序列でそう決まっている」。
反面、一番多く「だめねボタン」が押されたのはこれだ。
「ヒトラー、ムッソリーニ、天皇陛下、、、かつて、これが世界の三大悪魔と呼ばれていたことを知っていますか?」
、、、、炎上!(笑)。
あと、「山本、次はローマ法王で頼む!」もかなりの評判の悪さであった(笑)。

たぶん僕のアカウントで全発言を読んだ人は戸惑うことだろう。
僕も確信犯だけれど、発言の一貫性はまったく無い(笑)。
「お前、あっちではこう言ってたくせに、こっちではこれかい!」みたいなツッコミを受けたら、とても耐えられそうにないが、幸いそんなことするヒマ人もいないようで、何も言われたことはない。
そうして、今ではヤフコメそのものに飽きちゃったので、自分の過去の全コメントを削除した。
アカウント名を変えてまたいつかやろうと思っているところだ。

コメントとは離れて、、、、
「天皇の政治利用」ということが今回問題視されているが、なんなんでしょうか今さら。
天皇家というかいわゆる朝廷が政治利用されなかった時代なんてあったか?
それは現在も同じ。
法律のどこをひっくり返しても日本国の「元首」の規定がないことから、天皇を法的に元首として定めるように働きかけている現政権の目的は何か、よーく考えてみよう。
もっとも国際社会は日本の「元首」は総理大臣ではなく天皇と、ずっと昔からそう決めてかかっているようだが。
そりゃそうだ、名前を覚えるヒマもないくらいコロコロ変わる総理大臣なんて、誰があてにするものか。

ところで今回の山本騒動で一番「?」と思った、というかおかしかったのは、山本氏の謝罪の言葉。
「、、、一番猛省すべきは天皇と皇后陛下の御宸襟(しんきん)を悩ませてしまったということだ」
え〜っ! あの山本太郎が御宸襟なんていう言葉を知ってるわけねーだろう!? という点。
宸襟=天子のお心
これは天皇にしか使わない言葉で、金輪際、日常会話では出て来ない言葉である。
にもかかわらず、あのキャラのあの男が、まるで当然のように謝罪の言葉に入れてきた。
誰かの指図でそうしたのは明らかだが、、、とりあえず「相当ヤバい」と思ったことは間違いなさそうであり、そうなることを予測できなかった軽挙妄動を反省したことも確かなようである。

そんなこんなしているうちに今度は「山本太郎参議院議員に刃物が送りつけられる」というニュースが流れたが、なぜだろうか、ネトウヨたちはすっかり飽きてしまったらしく、コメント数がたいして伸びない(笑)。
と思ったら昨日ニュースで、「天皇陛下、山本太郎氏の脅迫事件を心配される」と。
いやはや、本当に御宸襟(しんきん)を悩ませる事態になろうとは、、、、。




[Web Log] / 11/01 15:15

現実(リアル)と現実感(リアリティ)。
面白いのは、時として現実を現実のまま表現すると却って現実感を損なうことがあることだ。

例えば、テレビのサスペンスドラマのラストシーン。
たいていそこは荒海に面した崖っぷちで、真犯人とかが崖から真っ逆さまに落ちて行く。
カメラは崖の高さがはっきりと分かるような引いた位置から落下者をとらえる。
そんな時の映像を見ると、
「なんだよ、手足の動きの無さ、あれじゃ人形落としたのが見え見えじゃないか、視聴者をなめんなよ、もっと予算かけろよ」
なんていう感想を抱いたりする。
これがハリウッド映画なんかだと、落下シーンはグッと豪華になる。
悪党のボスがラストに高層ビルの屋上から落ちるシーンでは、カメラは真上から俯瞰してとらえ、ボスは空をつかまんと手足をばたつかせ、カッと目は見開き断末魔の叫びをあげながら落ちて行く。
たぶん、そういう映像を見慣れているせいだろうけれど、日本のテレビドラマの安っぽい落下シーンのリアリティの無さにげんなりしてしまうのだが、、、。

けれど、それは大きな間違いであった。
9.11のニュース映像などがそれをよく表している。
逃げ場を失い世界貿易センターの数十階の窓から次々飛び降りる人々、、、見るとほとんどの人が手足をばたつかせることなく人形のように落ちて行く。
そう、それが現実(リアル)なのである。
ものの本によれば、高所から落下死するほとんどの人は落下直後に失神してしまうからだという。
失神してしまえば、なるほど全身の筋肉は弛緩し手足はぷらぷらと、まるで人形のように落ちて行くわけだ。
僕の勝手な思い込みだが、それは人間の防御本能のなせる業ではなかろうかと。
落下する時点で事態はほぼ絶望的で、数秒後には確実に自らの死を迎えることになる。
そのことを承知で、最期の最期まで正気を保つのはあまりに酷である。
地面なり海面なりに激突する恐怖やその時の肉体的苦痛を考えるならば、この際、その前に失神してしまう方が色んな意味で合理的ではないかと思われるからだ。
一方同じ落下でも、スカイダイビングやバンジージャンプのケースでは、事態はまったく逆になる。
中には失神する人もいるかもしれないが、基本的にスカイダイビングやバンジージャンプの場合は生還することが前提で、自身もそのことを承知している。
だから、防御本能の観点から言えば、「こんな時に失神してる場合じゃないぞ!」ということになるだろう。
気持ちが生に向かっているのか、それとも死に向かっているのかでは大いに違う、とそう思う。

ところで、ハリウッド映画はなぜあのようなウソを描くのか。
それは、現実はどうあれ、あのようにわーわーぎゃーぎゃーわめきながら落ちて行くほうがリアリティが増すと判断するからで、実際、それを見る観客たちもその方がリアルであると感じるからである。
いずれにせよ、ハリウッドの映画制作者や日本のTVドラマ制作者が、現実に落下者がどのような落ち方をするかについて深く考えているとは思えないが(笑)。

現実(リアル)そのものではなく、現実からちょいと超越?逸脱?した表現で、より現実らしさ(リアリティ)を感じさせる。
こうした手法は絵画のシュール・リアリズムにも通じるものだ。
シュール・リアリストとして名高いサルバドール・ダリの代表作「記憶の固執(別名=柔らかい時計)」は特に有名だろう。
あの絵画を見てシュールだと感じるのは、なにも「硬い時計がぐにゃぐにゃひん曲がってるなんて何かおかしい」という単純な理由からだけではない。
その奥にあるのは「時計=時間そのもの」についての洞察である。
「ぐにゃぐにゃとひん曲がる時間?」、この奇妙な感じ、、、。
一般的に言って、時間というものは硬直したもの、直線的で一方向に一様の速度で流れていると考えられている。
そう考えるからこそ奇妙な感覚を覚えるのではないだろうか。
常識的に考えればみなこう思う。
君の時計が一時間進めば僕の時計も一時間進む。
ひいては、誰の時計だって同じように一時間は一時間、同じように進む、、、と。
しかし、そんな常識は100年も前にアインシュタインによって覆されている。
アインシュタインが1915年に発表した一般相対性理論の中で提唱した「時間」というものは、それぞれの物質(人間も含む)の運動状態(重力)によって進み方が変化する、というものだった。
そして、後年に行われたいくつかの実験によって、それが科学的真実であることが証明された。
平たく言えば「地球でじっとしているアナタの時計が一時間進んだとしても、準光速のロケットに乗っている私の時計は5分しか進まないよ」と言うような具合で、、、時間は硬直したものでは全然なくて、もっとフレキシブルなものである、ということを意味している。

その時間の概念は、まさにダリの描いた「柔らかい時計」そのものである。
アインシュタインの理論が発表されたのは1915年、そしてダリがその作品を描いたのは1931年。
とすれば、ダリが科学に興味を持っていれば、とっくにその事実を知っていたはずだ。
しかし、ダリはその事については一切触れていない。
ダリはこの作品について、「カマンベールチーズを見て、、、スーパー・ソフトという哲学的問題について、長い間瞑想に耽った」と、なんかトンチンカンなことを述べるにとどまっているが、本当にそれだけで、科学的知識はなかったのだろうかと、それが今もって大いなる謎である。
ところで、このケースの場合はリアルとリアリティの逆転現象が起こっていると言えそうだ。
なぜなら、上述したように、ダリの「柔らかい時計」は時間のリアルな姿そのものを描いたと言えるわけで、そうなれば、シュール・リアリストというよりむしろリアリストと言った方が相応しいのではないかと思えるからだ。

 絵画絡みでもうひと話し。                              
ヘンリー・ダーガーは、「非現実の王国で」を膨大な量の挿絵と文章で一生をかけて、しかもこっそり描いたが、彼自身はとっくにその王国の住人であったろうと思われる。
彼が50年以上もの間、現実世界で黙々と病院の掃除夫をしている時は、彼にとってそれは仮の世界の出来事であり、部屋に戻って机に向かったとたん「カチンッ!」とスイッチが入って、自分が戻るべき「非現実の王国」という彼にとっての現実世界が全身を包み込む。
この際、彼に何らかの精神障害があったかどうかはさして問題ではなく、彼が感じるこの世界の価値観やリアリティは、こっちの現実世界ではなくそっちの非現実の世界の方にあった、、、と、そう考えてもいいのではないかと思う。
300枚の挿絵と15000ページの文章にも及ぶその超超大作を、本人はまったく発表するつもりがなかったというのも実に清々しい。
結果として他人によって世間に発表されてしまったが、もし誰も気付かずそのまま焼かれていたりしたら、、、いや実際彼がそう望んでいたという言質も残っているし、そういう彼の自己完結っぷりは実に見事というか、まさに尊敬に値するものだ。

ところで、非現実の王国に住む者は何もダーガーだけではない。
僕の父の晩年もまさにそうであった。
父は認知症が徐々に進み、現実と非現実の区別がつかなくなって、どんどん幸せ(本人にとって)になっていったと思う。
ある時の父との会話。
父「あわわわ、ちょっとお前わしの身体抑えてくれ!」
僕「どうしたの?」
父「身体が浮いちゃってちょっと気持ち悪いんだ」
僕「え~、そりゃ大変、何センチくらい浮いちゃってるの?」
父「十五センチくらい布団から浮いちゃってるわ」
僕「はい分かった、エイヤッ! これでいい?」
父「うん、悪いがしばらくそうやって抑えていてくれ。すぐに浮かなくなるから」
僕「はいよ、ところでオヤジ、最近どう? 元気?」
父「おう、まあまあだな」
僕「そういえば、昨日、田舎の○○おばちゃん(父の妹)から、あんちゃんは元気にしてるかって電話あったよ」
父「そうかそうか、元気だよーって伝えといてくれ」
僕「おばちゃんももういい歳だけど元気だよねー」
父「ははは、元気なのは○○だけじゃないぞ、おかげさまでわしの兄弟9人とも全員元気にやっとるわ」
僕「そうかそうか、そりゃよかった」

父の兄弟9人のうち生き残っているのは父とその○○おばちゃん二人だけだった。
先の戦争で男兄弟4人が亡くなったのを始め、兄や姉もやがて亡くなり、末っ子の○○おばちゃんとそのすぐ上の兄である父だけが残っていた、、、それが紛れもない現実。
でも、その現実にいったい何の意味があるのだろうか?
父が感じているリアリティは、兄弟9人全員が元気で暮らしている非現実の世界にあるのだ。
だから父の言う事を否定はしない。
リアルよりもリアリティのほうがずっと価値があるからだ。

人々が感じるリアリティの数だけ、この世界のリアルは存在する。
だから僕も自分のリアリティの世界に棲んでいる。
いわんや、羽虫だって羽虫のリアリティの世界に棲んでいる。
羽虫が部屋の中を飛んでいる時、その大気は、それはちょうど人が水をかき分けながら進む時のような抵抗と粘着を示すと言われている。
羽虫は大気のリアルをそうしたものと受け止めている。

それではここで問題です。
何かというと「リアル」という言葉を連発するのは誰でしょうか?
正解は出川哲朗、、、ではありません。
たぶんイラン国民です。
「リアル」というのはイランの通貨単位ですから(笑)。




高瀬がぶん

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