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[Web Log] / 12/31 23:33

ベッドの上で2013年最期の蠅がブンブン唸りながら飛び回っている、、、。
懲りもせずにまた来るよ新しい年が。
64回目となるといいかげん飽きるわけで、いつの頃からか年末だとか正月だとか本当に色々面倒臭くなってきていて、なんかこうひっそりこっそりとスルーできないものかと思うのだけれど、なんとしても世間はそれを許さず、一般的な社会人としての自覚なんてとんとないくせに、やはりそこは社会不適合者にもなり切れない意志薄弱な自分もいて、必然的に色々巻き込まれていくわけです。
だから皆様よいお年を! そして明けましておめでとうございます!(笑)。

2013年の年の瀬が迫って来た頃、自分では小説を読むでもなくましてや書くわけでもないのに、やたら僕の文学的周辺が騒がしくなってきた。
それだけじゃなく南の島周辺も騒がしいのだけれど、、、???
まずイソケンこと礒崎憲一郎が「往古来今」(文芸春秋社刊)で10月に第41回泉鏡花賞というのを受賞したので、仲間内でお祝いをしてあげようということになり、12月14日に鎌倉で祝賀会を開きましょうということになった。ただ、当日はその件だけではなく、やっぱり仲間内の大手出版社の編集者であるS君が、脱サラして南の方の小島に移住するということが判明し、その送別会も兼ねようということになった。
その時点では移住の事情がよく分からなかったのだけれど、それがなんともまあファンタジーな話しで、自分ではなかなかできない決断だけれど、知り合いが決行するぶんにはすごーく楽しそうな話しだった。
話しはこうだ。
フィリピン、セブ島の近くに東京ドームほどの大きさしかないカオハガン島という小さな島がある。島の人口は600人ほどで、ほぼ何もない、あるのは美しい自然だけ、というある意味理想郷のようなところ。
そこを1991年に日本人で元出版社社長の崎山克彦という人物が購入した。
つまり、この島は個人所有の島なのだ(笑)。
そして、崎山氏はこの島に教育施設や宿泊施設を作るばかりではなく、島民には観光収入となるべくカオハガンキルトと言われるキルト作りを指導し、今や「何もなくて豊かな島」として、日本からの観光客もそこそこやって来るという状況になった。
ところが、崎山氏自身はもはやかなり高齢になってきており、後継者もいないことから、かねてから誰かあとを継いでこの島の運営をしてくれる人はいないだろうか、とそう思っていたらしい。
そこで、かつて崎山氏を仕事で取材したことがきっかけで仲良くなったS君に白羽の矢が立ったのだという。
その話しを持ちかけられたS君もさぞや悩んだことだろうが、三十半ばの独身だし、自分一人だったらこの先どうにでもなると思ったのだろうか、今回ついにその申し出を受け、日本でのキャリアや生活をすべて投げ出し、これからの人生はその小さな南の島に捧げよう、、、、とまあ漫画みたいな展開のお話(笑)。
(ちなみに、鎌倉の食事会で判明したことだけれど、そのカオハガンキルトというものを鎌倉長谷の或るお店で売っています。店名忘れたので、もし興味あるならiSHONANに問い合わせてみて下さい。あとで調べてお知らせいたします)
※カオハガン島オフィシャルホームページ:http://www.caohagan.com/

というわけで、鎌倉のガーデンハウス(西口スターバックス隣)に予約を入れ着々と準備を進めていたところ、予定外だったが、11月に入ると今度は保坂和志が「未明の闘争」(講談社刊)という小説で第66回野間文芸賞をとってしまい、そういうことならそれも一緒に祝いましょうということになった。
で、結局12月14日に三十数人集まって鎌倉でお祝い兼送別会をやったのだけれど、三日後の17日には帝国ホテルで野間文芸賞の授賞式が待っている。
思えば去年の今頃は山下澄人が「緑のさる」(平凡社刊)で第34回野間文芸新人賞をとったので、この同じ会場に行ったばかりである。
その授賞式の当日、僕は鎌倉に住む保坂の母を伴い会場へ向かうことになった。
お母さんは「私の生きているうちの最期の賞かもしれない」からと(笑)、それはそれは大喜びであった。

授賞式の様子を京都から出て来た友人のカジ君はネット上で以下のように書き込んだ。
無断引用だけどまあいいだろ、見つかったらあとで謝るし(笑)。

「東京に来ている。保坂和志さんの、野間文芸賞授賞式典に潜入。帝国ホテルとか、なんだかんだと豪壮で、緊張がすごいことになってしまった。帝国て。1000人くらい人おるし。
その後の立食パーティー、二次会三次会まで、何者でもない素人代表としてふんばり、誰彼となくに握手してください、と言って取りすがる。苦行の連続であった。柴崎友香にはまたまたずいぶんお世話になってしまった。湯浅学さんがいらっしゃって、レコードの話などし、ほっこりした。町田康さん、西村賢太さん、青木淳悟さん、佐々木中さん、そして念願の、綿矢りささんと、握手をしてもらった。しかし、がぶんさんの弟さんが、なぜだか際立って芸能人のような、イタリアのようなオーラを放っていて、妙な感じになっていた。私は一眼レフのデジタルカメラを首からぶら下げていて、写真もたくさん撮った。光が足りず、ブレブレだが。移動中に、よくわからない宝塚スターの出待ち現場に巡り会ったので、ついでにその人の写真も撮った。東京すげー、と、また思った。そのあと新宿の大きな木の根元にゲロを吐いた。今日食べたローストビーフやら高級食の大方を、吐いてしまった。木は嬉しいのだろうか、木が嬉しかったらいいのに、と思った。」と。

ちなみにこのカジ君っていうのは、柴崎友香の小説「きょうのできごと」(河出書房新社刊)に登場する人物のモデルの一人で、その後この小説は行定勲監督によって映画化されたことで知られている。主演は田中麗奈、妻夫木聡だったが、カジ君が妻夫木の役のモデルであったかどうかは映画も見てないし実のところよく知らない。当然だがカジ君は妻夫木とは似ても似つかない男ではある(笑)。
会場で柴崎と出会って「今日カジ君来てるよー!」と言ったら「えー、あの人わざわざ京都から出て来たのー!?」と、すごく驚いた様子だった。
だいたいからしてカジ君はいつも金欠で、東京で数回会っているが、京都からの往復はいつも高速バスである。京都では京都市役所前で「100000t」という古レコード&古本屋をやっていて、以前は店の老オーナーに雇われていたのだが、2年ほど前にその老オーナーに「ワシは引退するから店はお前にやる」と言われて、ある日突然なぜかオーナーになってしまった男であった。
なんだか南の島のS君の話しとよく似ているな(笑)。
それから色々あって、店を数十メートル横の新店舗(アローントコと改称)に移し、今もなかなかいい感じで営業している。
そのせいか、今回の上京は新幹線を使って来たというから「おー出世したな」と褒めておいた(笑)。

会場には当然山下澄人も来ていたが、翌18日、今度は山下の「コルバトントリ」(文学界10月号)が第150回芥川賞候補になったことが発表される。
だもんで山下には「次は東京会館で会おう」とメールしたが、本人的には芥川賞候補になるのはこれで3回目なので「なんかもう恥ずかしいっす」ということだが、さてどうなることやら、2014年1月17日の発表を待つばかり。
でも、芥川賞っていうのはタチが悪い。
本人が応募するでもなく勝手に候補に入れられてそれで何度も落とすかよ。その度に周囲がザワザワして、確かに山下の言うように、いいかげん恥ずかしくもなる、、、かも知れない(笑)。
もっとも先の柴崎友香だって3回芥川賞候補に勝手にされて、今のところまだとってないけれど、彼女は既にあっちこっちの賞の候補になりいくつかの賞もとり、作品は映画化され、たぶんもう芥川賞なんていらないのかも。
芥川賞候補になるためには、それに見合った長さの小説(100枚前後?)が必要だけれど、最近そういう長さの小説を発表していないしね。

そんな今年の年末であった。
まとにかく、オレ以外はみんな忙しそう(笑)。
いつか、カオハガン島の砂浜に寝そべって、満天の星を眺めながら鼻歌でも歌おう。
死ぬにはちょうどいい島の夜だ。


高瀬がぶん

[Web Log] / 12/15 17:54

このところニュースと言えば、「特別秘密保護法の成立」と「猪瀬都知事問題」。
もうこればっかりで、いいかげんうんざりしている。
但し、「つまらない」ことと、国民にとって重要であるかどうかということは全く別の問題。
でも、あまりにも同じような意見がマスコミに溢れているから「つまらない」ということになる。
これでもし僕が「特別秘密保護法大賛成!!」とか、「猪瀬都知事は悪くない!!」という独自の意見を持っているなら、これは「つまらなくない」ということになるのだが、やっぱりほれ、多くに人たちと同じように「特別秘密保護法反対!!」だし、「猪瀬、お前は悪いぞ!!」と思っているわけだから、ここでなにか意見を述べるとしたら、もうなんにも書くことないくらいみんなと一緒なわけで、いくら書いても「そうそうそうだよね、みんなそう言ってるしな」ってなことになって、議論の余地がないことを、わざわざコラムで発言することに最早何の意味もない。
だからつまらない。
そこで、なんとか面白くできないかと考えてみるのだが、やっぱり嫌なものは嫌だし悪いものは悪い、という思いが変わることはないので、本当に絶望的なまでにつまらないわ。
だからこの二つの件については何にも言わない(笑)。

だからとらえ方を変えてみる。
このところの猪瀬都知事に関する報道を見てみると、ものすごく気持ちが悪い。

イスラム圏には現在もまだ『石打刑』という残酷な処刑方法がある。
これは、だいたい不倫した男女やらがその刑を喰らうのだが、、、、まず死刑囚となった男女を一人づつ、衆人環視の中を腰紐付きで引っ張り回し、地面に穴を掘って首だけ出して埋める。
いくつかの動画で確認したところ、たいてい頭部には布袋が被せられていて顔そのものは見えない状態になっている。
そして、周囲を取り囲んでいる一般市民の中から、特に死刑囚の被害関係者(浮気された夫とその親類縁者)が真っ先に拳大の石を死刑囚の頭部めがけて投げつける。
死刑囚は不思議なことに無反応なことが多く、石が当たる度にただ軽く頭部が揺れるだけだ。
そうして関係者がひとまわり石を投げ終わると、そのあとは回りを取り囲んでいる一般市民(ようするにヤジ馬)が、次々と石を投げつけて行く。
こういう場合、必ずそういう奴が一人二人いるのだが、けっこうな大きさの岩を抱えて近づいたところで「ドン!」と頭に投げ下ろしたりもする。
そうして頭部に被せられた布袋が徐々に血に染まってゆく。
ようするに「石打刑」のコンセプトはなぶり殺しなのである。
拳大の石を一発二発頭に喰らったところで、ものすごく痛いとは思うが、とりあえず死ぬことはない。
しかしそれが五発十発、、、と絶命するまで続くのだ。
これほど残酷で嫌な死に方もない。
まるでマフィアのリンチのようである。

ん~、なんなんだろうなぁと思う。
文化的宗教的背景が全く違うし、それに伴い社会通念も全く異なるという理由はあるにしても、やっぱり僕にはよく分からない。
殺したいほど憎い奴に向かって石を投げつけるのなら分かるが、個人的な恨みなんて全くないはずのヤジ馬達が、まるで狂気に取り憑かれたようにして攻撃的になって行くのがどうしてもよく分からない。
単なる群集心理というのではない。
石を投げつけることが正義、というお墨付きをもらったとたん、必要以上の残酷さを発揮する人々。
ふつう人が自分の残酷性を表に出せばそれは批判の対象となる。
しかし、その場で、自分とは無関係の相手に石を投げつけて殺しても、自分が批判を浴びることは一切ない。
それどころか大衆からの賛同を得られるだろう。
こんな状況は滅多にない、だったら思いっきりやっちまえ! 
と、ようするに、一種のお祭り気分と言ったらよいのか、とにかく心のどこかで密かに楽しんでいるのではないかと思えるほどだ。

そして、これが今の猪瀬都知事とマスメディアの関係のように思えて仕方ない。
もはや死刑囚とも言える猪瀬氏に対して、ヤジ馬たるマスメディアは容赦なく石を投げ続ける。
まさになぶり殺し状態。
そして投石は死ぬまで続くことだろうし、遅かれ早かれ猪瀬氏は政治的に確実に死亡する。
もっとも、流すのは血ではなく大粒の汗。
いやマジ、文末に(笑)をつけたいほど、僕的にはこの処刑のイメージとぴったり重なってしまう。
それにしても、不倫したくらいで石投げつけられて殺されることを考えれば、意味不明の金借りたことで都知事をやめるくらいは何でもないだろう。
猪瀬氏自身も自らの立場を客観視すれば、もう先が見えているはずだし、そんなにムキになって頑張っても意味ないだろうにな、、、見ていてそう思う。

そんなマスコミが言い立てている様々な批判に、実は僕もおよそのところは同調している。
でも、それを口に出すのは誰かの批判の後追いになるだけ。
だからここは、思っているだけで何にも言わない、そのかわり聞かれたら答える、くらいのスタンスでいるのが一番スマートだと思う。

話しは変わるが、「特別秘密保護法案」については、一点だけ面白いことがあった。
テレビの討論会か何かで、自民党議員(誰だか忘れた)が、他の出席者の連中に散々ダメを喰らった末に、苦し紛れにこう言った。
「しかし、サイレントマジョリティは賛成してるんです!」
おいおい! サイレントなのに何で賛成だって分かるんだ!、、、という話し(笑)。
で、意見はやっぱりみんなとほぼ同じなので、ここではいちいち言わない。

そう言えば、一時は「食材偽装問題」のニュースばっかりが流れていた時期があったな。
こっちの方はかなり面白いと思った。
ざっくり言えば、国民の味覚音痴がハッキリしたというだけだわコレ。
それと、企業が次から次へと自らの罪を発表していく様子を見ていると、まるでツイッターで自分の犯した犯罪を告白していくバカッターのようで面白い。
それに発表するオヤジたちの苦しい言い訳も見ていて笑える。
ハッキリした確信犯のくせに、あーでもないこーでもないと言葉を言い換えるが、結局その目は異常なほどに小刻みに動いているか虚ろのまま。
ああいうのを「嘘を吐いても顔に書いてある」っていうんだろうね。
それと、食材の高級さの定義がいまいちピンとこない。
結局、仕入れ値段が高いか安いか、いっぱい採れるか少ししか採れないか、そんなことで決まっているだけのことで、実際のところ、値段と美味しさが正比例するなんてことはなくて、エビはエビ、だいたい何エビ喰っても旨いじゃん、ってことでいいんじゃないかと思うんだけど、違うか?
となると、味音痴とかじゃなくて、もともと流通の在り方で高級かどうかが決まっているだけで、味そのものは大差ないってことに落ち着くなこれは。
ちなみに、エビフライが好きな僕は、どこの店とかじゃなくて、エビフライならだいたいどこのでも美味しくいただきます。
そんなもんじゃないか?
ただ、言っておきますけど、高級中華料理店でごちそうになっている時に、芝エビの芥子ソース煮を白いご飯に載せて口に入れたまま同時にコカコーラを飲み始めることで、奢った甲斐がないと、よくヒンシュクを買う私です。


高瀬がぶん


[Web Log] / 12/01 13:27

目が覚める。
部屋は外光がまったく入らない構造にしてあるので、朝だか昼だか夕方だか、にわかには分からない。
だいたいからして、何時に起きなければならない、なんてことはめったにない人生を送っているので、特に起きる必要もないのだけれど、やっぱり自然と起きてしまう。
起きるけれど目はつむったまま。
「あと6分寝ようと思う」
そして6分が経ち、もう6分このままでいるかと思う。
こうして、僕の場合はほぼ毎日6分という単位で起きるか寝ぼけるかを決定することになる。
それは「江の電」が通る音。
睡眠が浅くなり、ある瞬間江の電の音が聞こえて目が覚める。
音の聞こえる方向からそれが藤沢行きか鎌倉行きかは判断ができる。
上りと下りの間隔は6分と決まっている。
だから「さてと、次の上りで起きるか」という具合に決心する。
それでもまだ目はつむったままだ。
手探りでiPhoneに手を伸ばし、Siriに時間をきく。
「いま何時?」
「12時23分です」
時には、
「○時○分です。ハッピーハヌカー!」などと訳のわからんことを言う。
(どうやら、ユダヤ教のクリスマスみたいな祝日のことをそういうらしい)
機嫌のいい時には、
「次の時報で時刻は○時○分です。ピッピッピッ、ポーッ!」と口時報付きで教えてくれる。
かと思うと、夜中に時間を聞いたりすると、運がいい時には、
「1時27分です。おやすみなさい」と言ってくれたり、
「随分遅いですよ…○○:○○分です」とか、
「○○:○○分です。思わずあくびが出そうです」
なんてお茶目なことを言ってくれたりすることもあったりして、そういう時は思わず「おー、ラッキー!」とつい喜んでしまったりする。

さておき、
今日はつれない返事、単に「12時23分です」と言ってくれただけだ。
つまんないの。
とにかく目は覚めたけれど、まだ真っ暗なので、手探りでタバコとライターを探し出し、手探りで昨日の晩飲み残したコーヒーを手に取り慎重に一口飲む。
なぜ慎重なのかと言うと、寝しなにコーヒーカップを灰皿代わりにしたことをすっかり忘れて、タバコ入りコーヒーを過去に五六回飲んだことがあるからだ。
よかった、今日は大丈夫そうだ、、、。
タバコに火をつけ、またコーヒーを一口すする。
さ〜て、すっかり目も覚めたし出掛けるとするか!
どこへ? 何しに?
決まっちゃいないが、人間は起きたら着替えて顔洗って歯磨いてどこかへ出掛けるものだ(笑)。
「あっ、セブンイレブンでドリップコーヒー飲んでホットドッグ食べよう!」
それがまずは今日の第一目標となったので、いざ出発!

アパートの部屋のドア前の極狭スペースに110ccスクーターを置いてあるので、外に出る時は左右5センチ程度しかない空き幅を慎重に確認しつつバックで出なければならない。
最初のうちは出ようとする度に何度も切り返さなくてはならず、それでも左右どちらかの鉄骨の柱にハンドルをぶつけたり、それをうまく避けようとすると反対側のボディをプロパンガスのタンクで擦ったりと、それはなかなか大変な作業だった。
ところが、こういうことはいつしか自然とコツをつかんだりするもので、しばらくすると一度も切り返すことなく、しかも左右5センチの余幅をピッタリと残して一発で出られるようになるからとっても不思議。
それでも体調が悪いせいなのか? 10回に1回くらいは上手く行かない時がある。
1センチ以下ぐらいの誤差で、どうしても通り抜けられないポイントがあって、仕方なく切り返すのだが、そういう時は自分でも驚くほどイライラして、「クソーッ!」とか「ゲーッ!」とか、かなり大きな独り言を発してしまう。
その日もまさにそれで、「ウガーッ!」と一唸りしてハンドルを切り返し、とても嫌な気分でバイクを道路まで引っ張り出した。

部屋の前の道路はなだらかな坂道になっているのだが、坂の下の方からよく似たキャップをかぶった小学3年生くらいの男の子二人が、何やら楽しげに歌いながら? こちらに向かって歩いて来た。
何を言っているのかよく聞き取れなかったのだが、どうやら「太陽電池」と言っているらしかった。

太陽電池という言葉によくわからんメロディーをつけて元気よく歌い上げている。
「ん? 太陽電池?」
何だろう? ひょっとして反原発チビデモ?(笑)
気になって仕方ないのでつい呼び止めた。
「ねぇねぇ、何て言ってるの? 太陽電池?」
歩みを止めて一人が答える。
「うんうん!」
「何よ、太陽電池って」
「だから太陽電池だよ〜、学校の宿題で作ったんだよ」
「へ〜、いいもの作ったんだね〜! どんなものよ」
「えっ? 持って帰って来たよ、、、これだよ!」
そう言ってその子はランドセルを道路に置くと、中をかき回してそれを取り出し、ひょいと頭上に掲げて見せた。
それは銀色の折り紙を段ボールか何かの厚紙に貼っただけの粗末なものだったが、とりあえず褒めておくことにした。
「なるほど〜、それが太陽電池かぁ、すげーなぁ」
「僕のはこれだよ〜!」
そう言って、もう一人の男の子がランドセルから取り出したものは、20センチ四方くらいの単なる段ボールの板のようなものだった。
というよりまさに段ボールそのもの、銀紙が貼ってあるでもなく、、、、。
ところがびっくり!
それは飛び出す絵本のような構造になっていて、左右に広げると厚紙で作った立体的な小さな家が出現し、その屋根の部分に銀色の折り紙が貼ってあるではないか。
え〜? 小学校三年生くらいでこんな複雑なものができるのかと疑問がないわけではなかったが、「お前ズルして誰かに作ってもらっただろ」、、、なんていうのは野暮というもので、、、よく見ると切り取った段ボールのエッジがぐにゃぐにゃ曲がっており、いかにも子供が慣れないハサミを使って切ったようにも見え、やっぱりこの子が自分で作ったのだろうと確信するに至った。
となれば大したものだ。ひょっとしたら実際の飛び出す絵本を参考にしたのかもしれないが、それでも家の展開図を考えて、とっても上手く出来ている。
「すげーすげー! よく出来てるじゃん。それ、ソーラーパネルなんだね!」
「え〜? だから太陽電池〜!」と言ってニコニコ笑う。
「それにしても、チビのくせにうまいな〜」
そういうと、最初に見せてくれた男の子が急に不機嫌になって、僕の顔を睨みつけるようにして言った。
「ねぇねぇ、おじちゃん、このボロい家に住んでるの?」
いやぁ、来ましたねぇ、直球で。
いかにも子供らしい清々しさだ(笑)。
「ははは、確かにボロいわ。じゃあね、ボロいボロいって10回言ってごらん」
その子は指を折りながら早口で言い始めた。
「ボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロいボロい」
言い終わると「でっ?」というような顔つきで僕を見る。
「よくできました! じゃあバイバイ〜!」
バイクのエンジンをかけ、「???」を子供たちの頭に置き去りにしたまま、さっさと走り出す(笑)。

あの子たちが40歳くらいのジジイになった時、果たして原発はどうなっているのだろうか?
日本は本当にこのままでいいのか? たぶんそれ相応のツケを払わされることになるんだろうなと、そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐに消え、頭の中はセブンイレブンのホットドッグとドリップコーヒーで一杯になった。




高瀬がぶん


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