Profile
12/2018
S M T W T F S
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
<<
Categories
QR Code
XML

0600222

iShonan BLOG! Top

© 2014 iShonan
Prev >>
[Web Log] / 05/31 22:58

さてと、背丈ほどの篠竹が一面を覆い尽くしているこの一反ばかりの元畑を二人で開墾するわけだが、いったい何日かかることやら。
、、、と、H君が「草刈り機使えば三日ぐらいで一応見晴らしはよくなる。でもそのあと根っこを全部掘り返さなきゃ畑にならないから、それにプラス三日〜四日かかると思うから、都合一週間っていうところかな?」と言った。
ん〜、僕にまったく見当がつかないけれど、そんなもんなのかしらね。

初日、H君が「グイーングイーン」と草刈り機を唸らせて端っこからバッサバッサと竹を切り倒して行く。
しばらく倒したところで、僕が竹を集めてネコ(一輪車)に載せ、畑の周りの急斜面になっている雑木林に捨てに行く。
なんだ、竹の束なんかぜんぜん軽いし、こりゃ楽な作業だこと、、、なんて思っていたら大間違い。
何十年かけて鈍り切ったこの身体が、ぜんぜん思うように動かない。
鍬で竹を集めて束にする→しゃがんで胸一杯に抱きかかえる→立ち上がりネコに載せる→斜面まで運び捨てる→戻って再び鍬を使う。
と、この作業のくり返しだけなのだが、なんとも情けないことに、二回これをくり返しただけでもう息が上がってハァハァゼイゼイ。
空になっているネコに座って一休みしながら冷凍バッグからアクエリアスを二口三口。
え〜ダメじゃんか俺、10分動いて10分休みって、なんという効率の悪さ(笑)。
その点H君は疲れ知らず。
僕との作業効率の幅があまりにもあり過ぎて、草集めが追いつかない(笑)。
しばらく観察した結果、H君は45分動いて五〜六分の休みで作業を続けている。
同い年なのにこんなにも体力に差があるのか、僕は愕然とする。

確かにここ四十年ばかり(笑)、まったく身体を使った仕事をして来なかったけれど、これでも若い時は、測量やら地質調査やらボーリング(穴を掘るやつのほう)やら、それはそれはけっこう過酷な肉体労働をしてきたものだ。
この畑仕事をする気になったのも、当時の体験からすれば大したこたねぇだろうと高をくくっていたからなのだが、あにはからんや、数十年という年月は恐ろしい程僕の基礎体力を奪うもので、働く時間と休む時間が同じだなんて、こんなんでアルバイト料もらえたもんじゃないだろうと思い知る。
でも、H君は「いいから無理すんなって、適当にゆっくりやればいいから」と、優しく言ってくれる。
いいヤツだほんとに(笑)。

そうしてお互いに休憩をとる時間がバラバラなのだが、たまに休憩が一致する時もある。
で、アクエリアスを飲む。
「H君、あれだな、俺たちは『アクエリアス飲み百姓』ってことだ(笑)」
「そうだね、『水飲み百姓』じゃなくて(笑)」

そんな感じで野良仕事を三日ばかり続けたが、ん〜、見晴らしが良くなったのは全体のまだ半分にも満たない。
H君自身も自らの体力の衰えを甘くみていたのだろうか、三年のブランクがここに来て効いてきたようだ。
H君がまだ父親と二人で畑仕事をやっていた頃は、H君が休みをとらずにいつまでも作業し続けるので、よく父親が言ったそうだ。
「バカだなお前、野良仕事ってのは先が長いんだから、疲れる前に休みをとるんだよ。疲れてから休んだんじゃ、もう次に動くのやんなっちゃうだろうが」
なるほど、「疲れる前に休む」、こりゃ名言だわ(笑)。

この畑は中央公園の山のてっぺんにあると前述したが、この畑に沿って獣道のような小径があり、意外にも人通りが多い。
特に犬の散歩コースになっているらしく、一日に少なくとも10組以上の人と犬が通る。
トレッキングする人も5組くらいは通る。
それに、幼稚園生たちを引き連れた遠足組や小学生たちの群も、一日1組くらいは通る。
そして、それらの全ての人たちが農作業している僕たちに声を掛ける。
ほんとに、声かけられ率100%と言っても過言ではないのだ。
だいたい皆さん言うことは一緒。
「ごくろうさま、大変ですねぇ」
「畑になるですか、いいですねぇ、きれいになりますね」
「ここって、前は畑だったんですよね?」
だもんで、
「はい、がんばってまーす!」
と、適当に相づちを打っているのだが、面倒臭いのが子供たち(笑)。
先頭の引率の大人が「こんにちわ!」と僕らに挨拶するものだから、それに続く子供たち全員(多い時は100人くらいいる)が、「こんにちわ、こんにちわ、こんにちわ、、、、」と、まるで永遠のように僕らに微笑みかけて来る。
まさか無視するのも大人げないので、しかたなく、いちいちそれに答えてやる。
つまり、全員が通過するまで仕事が中断する。
でもまあいいか、どうせすぐ疲れて休むんだから(笑)。
ところがどっこい、人間の身体というのはよくしたもので、野良仕事を一週間続けていたら、なんか体力が少しついちゃったらしくて、20分動いて5分休憩くらいのパターンに進化してきているではないか。

四日目に入ると、H君共々、まったく同じ作業の繰り返しにすっかり飽きてきてしまった。
だもんで、草刈りは一時中止して、見晴らしのよくなった一部を徹底的に整備し、とりあえず畑を作ってみようじゃないかということになった。
そのために、その日は小型の耕耘機をここまで持って来ている。
この畑までは車が通れないので、道の途中まで軽トラで運び、そこから森の小径の地面を掘らないように気をつけながら、H君が耕耘機を運転してきたのだ。
ちなみに、僕は原チャリでこの畑までやって来ることが出来ていたが、小径で人と遭遇すると、大抵の人は「え〜、こんな自然の中をバイクで走るのか、お前は!」みたいな、ちょっと軽蔑まじりの眼差しを向け、不承不承道を僕に譲るのであった。

さて本格的な畑作り。
最初に大雑把に刈り取った草や竹を集めて捨てるが、集め切れていない草木が全面を覆っていてまだ黒土は見えてこない。
そこで、熊手を使って黒土が顔を出すまできれいに取り払う。
すると、今まで見えていなかったが、草刈り機で刈り取った竹の下の部分が、地面から生えた刺のように無数に顔を出す。
それに竹だけでなく、芋の蔓のような何だか分からない根が、へびのようにウネウネと地面を這い回っており、それらも全て撤去しないと美しい畑にはならない。
H君は草刈り機を縦に使い、強引に地面に突き立て、刈るというより掘るようにして根っこをひとつひとつ排除して行く。そしてそれを僕が集めて捨てる。
嗚呼、気の遠くなる作業だこと(笑)。
ただ、この作業を続けていると、あっちこっちから小鳥が寄って来るのがちょっと面白い。
それは、ほじくり返した地面からミミズがいっぱい出て来るので、それを狙ってやって来る。
最初にやってきた10羽はムクドリ、そして次にやって来た5羽は通称尻叩きことセキレイ達だ。
彼らは僕らをあまり警戒することもなく、1mくらいのところまで近づいてくる。
そして、いつもその辺にいる二羽のカラス(いつもと同じカラスかどうかは不明)が羽音を立てて舞い降りると、あっと言う間に小鳥は退散し始める。
そんな様子を、高空からトンビが一羽、それこそ輪を描きながら眺めている。
でも、トンビは一度も降りて来たことはない。
ミミズなんて食べないのかもしれない(笑)。

そうやって二日目、ようやく10作(長さおよそ7m)ほどの畑が完成!
さっそく種をまく。
水菜、カラシナ、ちりめんちしゃ、うまい菜、早生サラダあかり、スプリングほうれん草、サニーレタス、時なし五寸ニンジン、、、etc。
H君は以前この畑が荒らされたことがあり、それはたぶんタヌキかなんかの仕業だろうと当たりをつけ網罠を仕掛けたところ、案の定、ハクビシンとアライグマが掛かったそうで、そのまま市役所に連絡して二匹とも引き取ってもらったことがあるという。
種植してから二日目の朝、整備した畝にくっきりと動物の足跡が、、、。
犬の散歩も多いが、まさか飼い主が畑を歩かせるはずもなく、やはりこれは野生の動物だろうと思われるが、荒らすにはまだちょっと早すぎるぜ。

これらの作物の収穫まではまだひと月以上かかるというが、残念ながらその報告はできない。
明日の天気予報は雨、久しぶりにパチンコ行こっと!

                             がぶんコラム、これにて終了バイバイ。




Comment from ko
[Comment] / 07/15 11:09

過去のブログにコメント...カナシイ...
[Comment] / 01/06 18:06

がぶんさんと農耕! 見つけました♪

驚きの2015年、デスわ

竹は怖い、ネーが広がってて、刈っても刈ってもでてきはる。

田舎の庭の手入れしてますからちょっとはわかる。


その内拝見させてや〜

足し算のチェックおもろい、さすがや!

Comment from Johng121
[Comment] / 06/06 22:18

Farmville farms even include free gift that is edekcggckecb
[Web Log] / 05/23 22:53

唇の端のところに口内炎だかなんだかできて、ヒビ割れみたいになった。
こうなると、喋る時とか何か食べる時とか、口を開く度に「痛ッ!」ってなるので、時々舌の先っちょで濡らして癒したりしていたのだが、これがいつまでたっても治る気配がないので、ついに頭に来て、思いっきり口を「あががっ!」って開けて、すご〜く痛くしてやったぞ。
という軽〜い自殺行為の話しはさておき。

故あって、今月始めから鎌倉の秘境にて突然百姓になりました(笑)。
場所は自然の森に囲まれた鎌倉中央公園のど真ん中の山の頂上。
そこに45年来の旧友H君の私有地が一反(300坪)ほどあるのだ。
周りはすべて公園なので、市としてはどうしてもそこを買い上げたかったらしいが、亡くなったH君のオヤジさんがどうしても売りたくないとその申し出を拒み、ならばせめて公園の指定だけは受けてくれと説得され、畑を作り続けていいのならと、結局公園内私有畑という形になったそうだ。
その畑はずっとオヤジさん一人で作っていたのだが、歳をとってくるにつれ作業も辛くなり、当時市内で学校の先生をやっていた長男のH君を口説き落とし、H君は思い切って定年前に教員を退職し、オヤジさんの畑仕事を手伝うようになったという次第。
それも、そんな昔の話しではないので、H君の百姓経験はまだ実質4年ほどの新米百姓ということになる。
そして、やがてオヤジさんも亡くなり、いよいよH君ひとりで百姓仕事をやらなければならなくなったわけだが、この畑の他に、中央公園内の里の方にもう一カ所畑(200坪ほど)があり、生半可な決心ではこなせないほどの大変な作業がH君の肩にのしかかってきたのである。
もっとも、オヤジさんの時代には収穫物を市場に出荷していたのだが、H君になってからは市場に出荷することもなく、収穫物はすべて家族や親戚やご近所に分けるだけ。
それでも余る野菜を無人置き野菜として軒先で100均で売ったりしてはいるが、それは肥料代にも満たないほどの収入にしかならないそうだ。
それでもH君の家は経済的に特に困る事はない旧家なので、畑で生計を立てる必要もなく、言わばのんびりした百姓ではある。
だからというわけではないが、この三年ほど畑は休耕していた。
とりあえずその現場を見に行こうと一緒に出掛けたのだが、いやぁ、自然の力ってすごいものだ。
三年間放っておくと、以前そこが畑だったという面影はすっかり消え去り、畑全面を森の緑が浸食し尽くし、ほぼ原生林のような状態になっている。
これでは農作業に入るためにはまず開墾が必要となる。
それは農作業というよりはむしろ林業の作業に近い。
そんなわけで、相変わらずヒマしているこの僕に声が掛かったという次第。
ただ、この僕にそんな仕事ができるか大いに疑問がある。
H君は言う。
「ねぇ、パチンコばっかりやってないでアルバイトしな〜い? リハビリにもなるよ(笑)」と。
確かに僕にはリハビリが必要かもしれない。
脳腫瘍の手術以降7年間、走ったこともなければ思い切り力を込めるという経験もないのだ。
っていうか、真夏の暑さ以外に汗をかいたこともないという体たらく。
この際、人生のリハビリをするつもりでやってみるか?
「おっ、いいよ〜! やるか百姓!」
なんて安請け合いしたものの、いざ現地に立つと、、、、。
このジャングルを二人のジジイ(64歳)で開墾するのかよ!
「おいH、なんでこんなになるまで三年間もほっといたんだよー!」
それは、、、言わずもがな原発事故の影響を考えたからだという。
そう言えば思い出した!
チェルノブイリの原発事故があった時に、僕らはかなりの危機感をもって事態を受け止め、東京の素粒子研究所から講師を招いて、H君の村の集会場みたいなところを借りて、友人15人程度を集めて放射性物質に関する講義をしてもらったことがあった。
あの時に、「もし日本で同じような事故が起きたら、、、」という前提で、素人なりに色々と思いを巡らせたものだが、案の定脳天気な僕は、いっこうに反原発の機運が高まらないのを見るや、さっさと諦め、、、「やっぱり夏は原発電気でエアコン効かすに限るな〜」などと、不謹慎なことを口にしたりしていたものだった。
それがまさか本当に原発事故が起きるとはね。
心の中では事態の深刻さを憂いてはいるものの、一方で「ほらみろ、言わんこっちゃないバーカ! やっぱりなやっぱりな!」と、どこかほくそ笑んでいる自分がいるのも確かだった。

H君はポータブルの放射性物質を測る線量計を持っており、福島原発の事故直後にすぐに畑を計測し、以前の倍以上の数値を示したため、しばらく畑を休耕にしたほうがよさそうだという結論に至り、現在まで放っておいたという次第であった。
今回、最初に現地に行った時にも計測してみたが、数カ所の平均で0.03マイクロシーベルト/h。
うん、これならまずは大丈夫という数値である。
ならば、開墾するっきゃねーだろ!
                                                                    次号につづく

[Web Log] / 04/30 23:47

今年に入ってから佐村河内フィーバーが始まったかと思ったら、あっという間にオボちゃんフィーバーに移り、今んところその動きも停滞しているので、ここ二週間ほど大して関心が持てるニュースがない。
もっとも韓国の沈没事故があって、色々ひどい話しが噴出してはいるものの、我々日本人が怒りを直接ぶつけるのはちょっと筋違いだし、ここは黙って被害者たちの冥福を祈るしか術はない。

そんな今日この頃、前からちょっと気になっていたことのひとつが脳裏に浮上してきた。
それは、ここのところ「長〜いこと続いていたものが終焉を迎える」というような案件がいくつか重なって起きている、ということである。
まず誰もが知っている「笑っていいとも」が32年の歴史にピリオドを打った。
でも、この件に関してそれほどコメントすることはない。
僕の家に今テレビはないし、とりたててタモリのファンというわけでもないし、番組自体も、もうとっくの昔につまらなくなっていたにも拘らず、局側はなんの努力もなく適度に視聴率を稼げる番組というだけでだらだら続けていただけだろうし、はっきり言ってどうでもよい。
ただ、最終日の夜のグランドフィナーレに大物芸人たちがずらりと並んだ時には、すげーな、まともにギャラ払ったらいったいいくらになるんだろう、、、と、ちょっぴりそのことが気になった(笑)。

それより、去年の10月に金剛利隆さんが後継者不在!!のまま89歳でお亡くなりになったという話しの方がよっぽどショックで「えぇ〜!!」と思った。
知ってる人は知ってるだろうが、案外知らない人もいると思うので敢えてここで説明すると、、、。
金剛家39代目の金剛利隆さんとは、「世界一古い企業」で知られる、いわゆる宮大工の「金剛組」の親方だった人である。
この「金剛組」の創業はなんと飛鳥時代(578年)。
創始者の金剛重光さんが最初に手がけた仕事は、聖徳太子発注による「四天王寺」だというから、これはもう笑っちゃうほどすごい。
その後も、法隆寺や大阪城も手がけるなど、日本史そのものに関わって来た超優良企業なのである。
以後、現在も尚「金剛」の企業名は残っており、金剛一族での経営も創業以降、西暦2005年までの1427年間続いたっていうんだから、これはもう驚くしかない。
実際、諸外国の人たちは相当驚き「信じらんな〜い!!」と、それぞれの母国語で言ったとか言わないとか(笑)。
普通に考えて、ま〜大陸系の外国人たちには信じられない持続力だと思われる。
地続きの諸外国では、長い年月の間には異民族からの侵略を受けたりなんだりして、企業そのものも「そこで終了!」っていう確率もかなり高かっただろうと推測されるからだ。
その点、おおむね単一民族の日本は、争いが起こっても所詮同民族による内乱で、どっちが勝とうが負けようが、勝った方の支配下に入るだけで、企業そのものが潰されるようなことはなかったと考えられる。
日本の皇室が長続きしているのも、ある意味ほぼ同様の理由だろうし、そのことに対しては日本人としてさほど驚くには当たらないが、それでもやっぱり、1400年以上も一族経営によるひとつの企業が続いていることは驚愕に値するだろう。
でもさ、そこまで続いていたのに、なんだってまた後継者残さずして死んじゃったんだろうか金剛さん。
いまの医療技術でなんとかなったんじゃないのかよー。
もっとも、本人が「オレで金剛家は終了とする」と決めていたのなら話しは別だが。
それに、この「金剛組」、2005年に実質的に倒産して、他企業の出資を受けることになり、、、金剛一族から経営権が離れたりして、いわばそれが凋落の始まりで、由緒正しき金剛家もそこから先細りとなったのだろうと思われる。
それも、国がなんとかしてやれなかったのかと、ついそう思ってしまう。
それだけ長く続いているというだけでも、そりゃもう無形文化財として認めてやってもいいくらいで、何らかの形で保護してやってもよかったんじゃねぇ?
天皇制だってそれに近いものがあるではないか。
天皇一族が家系として世界一長く続いていることに、同じ日本人としてある種の誇りと希少価値を感じ、「ここまできて今さら終わりにする手はないだろう」っていうことで、なんとなくみんな認めているのではなかろうかと。
そうではなく、強烈に天皇制を支持する! っていう人は、そんなに多くはないし、その思いを前面に出したとたん、右翼だとか言われがちの現在の状況じゃないですか。
僕自身も「なにがなんでも日本は天皇制じゃなきゃ困る!」と思っているわけではない。
「まあ、特に廃止を唱えるほど邪魔な存在でもないし、あるならあってもよい」と、その程度の認識で天皇制を認めている者の1人である。

とにかく、そんなわけで、最期の金剛さんが死んでしまったことは誠に残念なニュースであった。

そして今年、「実験」と言えば誰しも小保方さんのSTAPを思い出してしまうが、1927年に始まった地味ぃな実験が今も尚続いていて、しかもついこの間(2014年4月24日)、ほんの不注意で実験が一時頓挫してしまったということを皆さんご存知だろうか。
「えぇ〜! もう何やってんだよ〜!(怒)」という思いでいっぱいなのだが、、、。
それは、「ピッチドロップ実験」というもの。
簡単に言うと、アスファルトのような「一見固形に見える粘性の高い物質」を、ジョウロに入れてちょっとずつ垂らしたら、果たしてどのくらいの間隔でその一滴は垂れ落ちるだろうか、つまりその粘性はどれくらいあるのか? という超真面目なんだけど、極めてバカらしく思える気の遠くなるような面白実験のことだ。
まず1927年に実験を始めるに当たり、ジョウロにその物質を入れてから出口を塞いだまま、物質が落ち着くまで3年寝かして待ったというから、ここからもう笑える。
そして3年後の1930年、ジョウロの下の出口を空け、最初の一滴が、、、な、な、なんと10年かかってようやく落ちたっていうんだから、これまた大笑い。
それからほぼ10年ごとに次の一滴が、という感じで実験開始から84年目の今年、2014年4月24日、やっとこさ9滴目がジョウロの口から伸びてきて、もうすぐ落ちるぞ〜、っていう時に、
「下のビーカー取り替えようっと、、、あがあがあがぁ〜、台が揺れて雫がちぎれた〜〜!」
ほんと、もう「ばかやろー! 何やってんだよ〜!!」っていう感じ(笑)。
これを受けて実験の主催校、オーストラリア、プリスベンにあるクイーンズランド大学は、『実験は刺激的な新時代へ突入した』と発表したというから、またまた笑える。
ものは言いよう、どうみても言い訳にしか聞こえない。
ちなみに、1930年からの実験開始以降、実際にその一滴がビーカーに落ちる瞬間を目撃したという人は誰もいないという(大笑い)。

ま、今日はそんなとこ。
ここはひとつ、昔っからまだ今も続いてる「世界最古の旅館(705〜2014)」ってことで去年ギネス記録に乗った、山梨県南巨摩郡早川町の西山温泉にある『慶雲館』に期待しましょう!
あと1000年ほど一族で続けてちょうだいな。
皇室抜けるかも(笑)。

[Web Log] / 04/15 22:38

歳くった細胞が生まれたての赤ちゃんの細胞になる、、、確かに生物学を愚弄するような大事件だわ!
そのSTAP細胞はあるかないか?
割烹着とピンクの壁の謎。
これが同列に語られるのんきな日本、、、ははは。

明日(4月16日)、件の笹井氏の会見があるというのに、今このコラムを書いてどうすんだ、っていう気もするけど、まあ、明日からのことはまた考えることにして、とにかく今日までの情報で書いてみることにする。

小保方氏が例の会見で、STAP細胞製作の実験成功については第三者も成功しており、理研もそのことを把握しているはずと述べたのに対し、それを受けて理研は否定するようなコメントを出した。
成功の定義の問題にズレがあり、必ずしも成功したとは言えない、、、と。
え〜!ちょっと待てよ!
じゃぁ、一月の発表当時のあの騒ぎは何だったんだよ!
理研も尋常じゃないくらいの力で小保方氏を持ち上げて、得意満面に会見に臨んだろーが。
実験の成果については、その時点と今( 4月)で何ら変わっていないハズではないか。
あの時は「成功しました」と言っておきながら、今は「必ずしも成功とは言えない」って、そりゃねぇよ。
じゃ、いい加減な結果だったのにも拘らず、ホラ吹いたってことになるよな。
まったく、腹黒いにもほどがあるぞ、理研やろー。

僕は何も小保方氏を擁護しているわけじゃない。
いや、擁護どころか、端的に言って、それが故意であれミスであれ、論文執筆上、科学者として迂闊すぎることをやってしまった小保方氏は、テレビ映り的にどんなに視聴者に好印象を与えようとも、やはり科学者としては失格だろうと思う。
お見合い写真をフォトショで修正されたらたまったもんじゃないよマジ。
小保方さんという人は、それも一般常識に照らして「よし」とする人なんだろうなと思った(笑)。
というわけで、小保方氏個人については否定的な意見を持つ自分なのだが、この騒動の全体を考えた場合にはいささか様相が変わって来る。

STAP問題が持ち上がって以降、あっちでもこっちでも色々盛り上がっているものの、とにかく小保方氏本人が出て来るまでは、一方的に理研側の意見を聞かされるばかりで、いったいどうなってんだとやきもきしつつ推移を見守って来たわけだが、いざ、小保方氏が登場したらしたで、余計にやきもきするような内容だったわけで、この、いったいどうなってんだ状態は相変わらず続いている今日この頃ではある。

とりあえず、二時間半に及ぶあの小保方会見の録画をネットで全編見たことで、まあ色々と分かってきたことがあるような気がするわけです。
今回の騒動の全責任を10としたら、理研はそのうちの8くらいの社会的責任はあると思う。
ちょっと金儲け主体に考えてみる。
理研はこのSTAP細胞に関して、論文発表よりずっと前に、理研の名前で国際特許の申請を出している。
論文が発表される前に!? とちょっと驚くが、聞けばそのやり方は今や世界的には常識で、かの山中教授のIPS細胞にしても、同じように論文発表よりずっと前に特許申請がなされていたということだ。
誰かに先を越されてはたまらん!! という企業の論理がそうさせるのだろうが、こんなの言ってみれば見切り発車もいいところで、たぶんできるだろうぐらいの時点で先に特許を申請しておくなんてずるいだろ! と普通にそう思う。
一方、一旦特許申請したからには、早いとこ内実をそれに追いつかせなければならないという状況が生まれるのは必至で、当然企業上層部から「早くせーや!」と突っつかれ、その焦りが今回のような問題を引き起こした大きな原因のひとつになっていることはほぼ間違いない。

そして、理研がずるいのはそれだけじゃない。
もし今回の論文にまったく瑕疵がなく、追試も次々と成功し、その成果が「製品」として売り出されるようなことがあるとしたら、そこで一番利益を得るのは間違いなく理研という企業だろう。
なのに、成功したら自分の物、失敗したらお前のせい、、、って訳がわかんない!
商慣習として、成功の末の利益を享受するつもりなら、当然、失敗したときのリスクも背負うべきであって、それを個人一人に責任を押し付けて、あとは知らんぷりするなんてあまりにも虫が良すぎるではないか。
本来は、「改ざん捏造をしたのは小保方氏個人ですが、あくまで彼女は当社の一研究員に過ぎず、従って今回の全責任は当社そのものにあると考えます」と言うべきだった。
そうすりゃ理研の株も上がったろうが、世論の風、しかも突風のように一時だけ吹いた風に乗って、これ幸いと小保方氏をバッサリ切るなんてことするから、転げ落ちるように評判を落とすことになる。

論文は白紙撤回とか言っておきながら、理研はSTAP細胞の存在に関し、なんだかんだ言いながら、あれで結構信じてるから根性が悪い(笑)。
じゃなかったら一年もかけて追試するわきゃない。
疑義を生んだ企業の責任上、、、と格好つけてるがそうじゃない。
他の企業に先を越されたら格好つかないし儲け損なっちゃうという、不安と期待が入り交じった思惑の結果、他社への牽制も含め実験続行を宣言したに違いない。
今日(4/15)になって、「理研内部の研究者も実験の一部について成功している」なんてこと言い出しているくらいだから、「もう小保方なしでもやっていけるよ!」という自信もあるのだろう。
加えて、件(くだん)の笹井氏の、「疑義を生じたデータを除いても、STAPを前提にしないと説明が容易にできないものがある」という意見もあり、ますますスケベ根性が出てきたのではあるまいか。
しかも、小保方氏を排除しつつ、でも意見は聞きたいなんて(笑)、これまた都合のいいことを言っている。
そのためかどうか、この4月1日から向こう一年間、小保方氏との雇用契約を更新している。
これも考えれば奇妙な話しだ。
普通なら、「変なことしやがって! 即クビでもいいのだが、とりあえず事務手続き上の最終結果は出てないので、雇用契約に関してはそれまで保留にしといてやろうか」というところではないか?
飼い殺し?
会社来なくていいけど、給料払うからちょっと教えて、、、と。
ケチがついた論文を撤回させることで一旦STAP問題を白紙に戻した上で、新たに実験を成功させたいという思惑が理研にはある。
そして、その時の功労者はもはや小保方氏ではなく笹井氏になるだろう。
ところが、小保方氏はねばり強く論文撤回を否定しており、今や「小保方ウザイ!」というわけである。

いずれにせよ、今回の騒動を生んだキーパーソンは、小保方氏ではなくむしろ笹井氏ではないかと思える節もある。
笹井氏には功を焦る理由があったからだ。
なにしろ彼は再生医療分野での、自他ともに認める日本における第一人者であり、その優秀さは群を抜いていて、36歳という若さで京都大学の教授になっていることからもそれは証明される。
一方、41歳でようやく京都大学の教授になれた、やや小物感が漂う山中教授に不意をつかれるように追い越され、先にノーベル賞をとられてしまい、あ〜くやしいったらありゃしない! という感じでいただろう。
だから、ここで一発大逆転! そのIPSより優れてるぜ! という思いを込めて大花火を打ち上げてみたものの、なんだか湿ってて、ブスブス、、、と。

で、もしSTAP細胞が本当にあったとしたら、、、。
小保方氏のダメ人間的な個性が、実験の結果と直接リンクしているかというと、必ずしもそうではない。
言うまでもないが、小保方氏がダメ人間だからSTAP細胞は存在しない、ということになるわけではない。
ひょんなことからできちゃった! なんてことも考えられるし、、、。
あるいは、実験得意だけど論文超苦手、っていうことも考えられる。
かのアインシュタインが特殊相対性理論を論文発表した際にも、数学が苦手で友達にその部分を書いてもらった、なんて話しもあることだし(笑)。
いずれにせよ、まず正しい実験結果があり、その結果に合わせるように論文を書く必要性に迫られた。
その場合、「どうせ結果は正しいのだから」というおごりが生まれ、その結果、ネジが緩んだ原稿になってしまう可能性がかなりある。
そういう前提で考えると、小保方氏のやり方もなかなか奥が深い。
まず、ネイチャー論文で全ての手の内は晒さない。
小保方氏曰く、「今回の論文は現象論を示しており、最適条件を示したわけではない」という。
要するに、「こつ」や「レシピ」を隠しておいて、「私が関与しなきゃできないわよ」という状況を作ったわけだ。
つまり、「手柄を横取りされてたまるか」という気持ちが強くあって、それを美しく言い換えると「追試には協力するつもりでおります」ということになる。
たぶんだけれど、彼女は、その目撃者と言われる研究員たちや笹井氏を始めとする理研の関係者すべてを信用しておらず、その「隠し味」は保険としてとってあるのだろうと思う。
ゴースト研究者にされてはたまったもんじゃない、、、という恐怖感が彼女にはあるのではないか。
実際、大学の研究室などではよくあること。
アシスタントの成果を教授の名前で発表する、なんてね。
あっちこっちの研究室で居候のように、、、と表現した彼女らしい用心深さではないか。

ただ、これはSTAP細胞があるということを前提にした場合の、しかも好意的な見方だ。
そうではなく、実は、彼女自身も厳密な意味での実験条件を把握しておらず、やっぱり、「ひょんなことからできちゃった!」という可能性も少なからずある。
何しろ相手はちっちゃいちっちゃいコンマ以下の生き物?だからして、例えば温度差や湿度差や酸の濃度や与える刺激の程度、、、etcが、小数点以下6桁ぐらいまで一致しないとその現象は起きない、ということだって考えられる。
それだけの厳密な条件が必要になるとすれば、ちゃんとメモっておかない限り、もはや偶然以外、再現はほぼ不可能になる。
だいたい、研究を取り巻く環境の100%を恣意的に再現するということ自体、原理的に不可能なのではないか。
自然は常に流動しているし、そのちっちゃな相手の体調(笑)だって影響するかもしれない。
そんな面倒臭いものだったとしたら、STAPじゃなくてIPSでいいじゃん、という話しにもなってくるわけで、やっぱり一般に科学というのは、いつ誰がやっても同じ結果が得られるということでなければ価値はない。
但し、実用的な価値はないが一回の成功でも科学的意味は十分にあると言える。

もっとも、200回も成功したと言っているので、それが本当だとしたら、それほどの厳密さを要求されるものでもなく、それこそ「ほんのちょっとしたコツ」で再現が可能になるのかもしれない。
その「コツ」を言わないから嘘、ということにはならない。
ネタをばらしてから手品やっても面白くないからね。

では、STAP細胞がなかった場合。
これは案外考えにくい(笑)。
なぜなら、全てをでっちあげてネイチャーに発表して、いったい何が得になるんだ? という非科学的な大疑問があるからだ(笑)。
アホたれ森口IPSの二の舞を踏むことで、前途洋々に見えるこれからのキャリアを全部捨てる覚悟だった、、、なんて、さすがにそれはないなと思わざるを得ない。
欲張りそうな彼女だけに(笑)。

ただもう一点、すべては小保方氏の勘違いか妄想であるという可能性も排除できない。
つまり、「私は宇宙船にさらわれた」と主張するアブダクターの類いである可能性だ。
その場合は信念として「ある」と思い込んでいるので、どのような場に出ても「嘘」をついていることにはならない。
世間的には嘘になっても、少なくとも自分に嘘をついていないことだけは確かだ。
これが一番やっかいなケースで、「嘘ついてないんで許すしかない」という他はない。

いざとなりゃ、バカンティ教授が「ボストンに戻っておいで」と言ってるのだし、そうすればいいさ。
それに、羊のドリーの再現にも2年かかっていることからして、有罪、但し執行猶予一年の判決でいいんじゃないの?
つまるところ、STAPはあれば便利だけど、今なきゃ困るっていうものでもないし、、、。

関係ないけど、レイザーラモンRGの「小保方ある子」でちょっと笑った。

[Web Log] / 03/31 23:43

これが裁判制度の理念だとしても、この言葉は一見性善説に立っているかのように聞こえるが、そうじゃない。
裁判とは元々性悪説で成り立っているのだ。
基本、被告人は有罪。
まず検察がそれを立証しようとあれこれ理屈を並べ立て、それが失敗した時に初めて無罪となる。
逆に、始めから無罪を立証しようとする裁判なんてあり得ない。
それが非在証明の不可能性を指して言う、「悪魔の証明」と言われるものになるからだ。

静岡地検が袴田事件の再審決定について不服、ということで東京高裁に即時抗告をした。
これで、東京高裁で再び再審開始するかしないかの判断を仰ぐことになり、それでどちらの結論が出るにしろ、弁護側検察側のいずれかが、必ずや再び最高裁への特別抗告をするわけで、そこで最終的に死刑の確定判決が復活し袴田氏が再び収監されることになるのか、それとも、そこで無罪が確定し、晴れて自由の身になるのかが決まる。
あ〜、そこまでゆくには気が遠くなるほどの時間がかかるだろうな。
うん、おそらくそれが検察の狙いなのだろうよ。
検察もよほどのバカではない限り、今の状況を冷静になって考えてみれば、袴田氏を再び有罪にできるとは思ってはいないだろう。
となれば、時間稼ぎをしている間に袴田氏の寿命が尽きるのを待つしかない。
検察と警察の権威を死守するには、それしか打つ手はないのだ。

もし、即時抗告をせず再審が開始されるとなれば、有罪か無罪かの判断の基準になる当時の捜査機関による捏造問題を、徹底的に突っつかれるのは必定で、ましてや捏造が立証されでもしてそれで無罪が確定しようものなら、検察や警察にとってこれ以上の屈辱はなく、その信頼が地に落ちることは火を見るよりも明らかである。
それに、真犯人を取り逃がした失態を認めざるを得なくなる。
従って、自らの保身のために、どうしても即時抗告するより他に道はない。
で、不服だよー不服だよーという態度を保ったまま長い時間をやり過ごし、いつか袴田氏の寿命が尽きた時に、不服だけど死んじゃったのなら仕方ないですね、、、ということにしたいのだろう。

それにしても静岡地検はあつかましい。
そもそも再審というのは、「有罪とするのに疑問が残れば、再審を開始すべきだ」とした最高裁の「白鳥決定」(75年)に沿ったもののはずで、それを否定するということはすなわち「有罪とするに疑問の余地がない」と言っているのと同じ。
それ本心なのか?
今回裁判所から指摘されている様々な捏造とされる疑問について、もし本当に「なにも不自然なところはない」と考えるならば、それこそ頭は小学生レベルであって、とてもじゃないが司法に携わらせておくわけにはいかないと思う。
数え上げればきりがないほど色んな捏造が明らかになっているわけだが、それにしてもなんだよその稚拙さは。
捏造するならそれなりにちゃんと捏造しとけよ! と言いたい。
ネットでは、実際に袴田氏を取り調べた刑事たちへの突撃取材の古い動画なども公開されているが、当時でも八十代になっている元刑事たちの反応と言えば、「あぁもう忘れたよ」「再審請求? そんなものは本人の自由だろ」 「裁判のことは分かんねぇよ」「有罪なんだからそれでいいじゃねぇかよ」 「オレは悪い事なんかなんにもしてねぇよ、ちゃんと仕事しただけだから」と、ほんとに頭の悪そうな年季の入った糞ジジイばかりで始末におえない(笑)。
いや、これは今だからそう言えるのかもしれない。
要するに当時の捜査機関は裁判そのものはもちろん、世間そのものをなめ切っていたのだろう。
警察が言うことに間違いはないと信じられている、という妄想にとらわれ、適当に証拠作っとけばそれで袴田は有罪になるし、世間だって警察が捏造なんてするはずはないだろうと思うに決まっていると。
加えて、まさか四十数年後に再び裁判所によって、その証拠のひとつひとつを念入りに再検証されることになるなんて思ってもみなかったに違いない。

今回の流れの全体を客観的に評価すれば、再審さえ始まれば、どうやら袴田氏が無罪になることは必然のようである。
ただ、今回の再審開始決定文の中に、
「、、、国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない、、、」
とあるのだが、これは厳密に言えば誤った表現であると思う。
裁判をやり直すかどうかの決定なのだから、当然のことながら有罪か無罪かは、これからの裁判で決まることだ。
にも拘らず「無実の個人」と言い切ってしまっている。
現段階でこれは言い過ぎなのではないか?
無罪だからと言って無実とは限らない。
これは常識だろう。
無実かどうかは分からないけれど、有罪にできるほどの合理的根拠がないから無罪とする、、、というのが裁判所が出す結論だろう。
検察・警察に対する怒りが爆発して、裁判長つい口が滑っちゃったのかしらと。
「無実」というのは観念の問題であって、裁判上では「無罪」か「有罪」かだけが判断されるべきものであると考えるが、違うだろうか?
今回裁判所が言及したのは、「袴田氏を犯人とする証拠の数々が、捜査機関によって捏造されていたのではないか」という重要な疑問についてであって、証拠が偽物=袴田氏が犯人ではあり得ない、ということになるわけではない。
つまり、「犯人が誰かは不明だが、少なくともその証拠群は袴田氏を犯人とするには説得力に欠ける」
と、言えるのはせいぜいここまでのはずである。

そもそも、ある人物がある事件の犯人ではないことを証明しようとしても、それは冒頭の「悪魔の証明」であり、今回のことで言えば、袴田氏が犯人ではないことを直接証明することは原理的にできないのである。
できることのひとつは、真犯人を探し出しその犯行を物理的に直接証明することによって、間接的に袴田氏が犯人ではあり得ないことを証明することだが、これも事件が古過ぎて、ましてや時効も成立していることから、今後真犯人に関する捜査そのものが行われるはずもなく、現実的には不可能ということになるだろう。
けれど、様々なインチキ証拠物件をネタにして、「袴田氏を犯人と特定するには合理的に無理がある」ということはおそらく証明できるだろうから、無実の証明はともかく無罪にはなるだろうと思われる。
さー、いずれにせよ、袴田氏の残された人生の時間内に決着をみることができるだろうか。
それだけが心配である。

この事件の当初から多くのマスコミは袴田巌を犯人と決めつける報道をし続けた。
それだけならまだしも、警察のリークによる情報を垂れ流し、全人格を否定するような空恐ろしい形容詞までつけて、まだ容疑者段階であるにも拘らず実名報道してきたという実績がある。
ところがどうでしょう。
そんなことしてましたっけ? というような顔をして、今度は一斉に「袴田さんよかったよかった! 警察許さん!」と態度を豹変させる。
かなりの数の新聞社の社説を読んだが、どの記事もまるで同じ。
コピペかよ!(笑)
ダメだよ、責任とれよ、まるで袴田氏を悪魔のような人物として報道してきたことの!!

しかも、アホな一般人はそのことに疑問を抱かない。
袴田が犯人だって、、、。
「テレビで言ってたし」
「新聞に書いてあったし」
メディアが報じることはあたかも全て真実かのように受け取る。
それが一般人の普通の感覚である。
それが何時の頃からか「冤罪かもしれない」と、風向きが変わってきて、マスメディアは勢い当時の捜査機関の不正捜査についてあれこれ報道し始める。
こうなると一般人はコロっと変わって、
「あれは冤罪なんだぜ、だってテレビで言ってたし、、、新聞に書いてあったし」
と、またもやそれが真実であるかのようの受け取るのである。
この付和雷同、流されやすさ、どうにかならないものかと常々思う。
様々な事件出来事の報道に関しても全く同じで、そのアホ傾向がハッキリするのは、ネット上での様々な発言が爆発的に一方に傾く、という事実を見ても明らかである。

まさかという時にまさかという事が、、、。
それがあまりに絶妙すぎて、とても偶然とは思えない、というようなことが起こる。
今回それを感じたのが袴田巌氏が釈放された翌日の3月28日に、被害者家族唯一の生き残りであった長女が亡くなったことだ。
警察によれば事件性はないという。
そう聞いて、「事件性はない」という言葉の中に、「自殺」も含まれるのだろうなと、そう思った。
今後マスコミがどう動くか分からないけれど、少なくともこれまでは、彼女周辺に対する取材というのは憚られるという、メディア間の暗黙の了解みたいなものがあったと思う。
なにしろ、自分以外の家族4人が全員殺されたのだから、世間の同情を一身に集め、彼女の周辺には、本当にもうどう声をかけてよいのか分からぬほどの張りつめた空気が色濃く漂っていたと思われる。
それが表向きの一般的な見方であり、今でもメディアはその姿勢を崩してはいない。

袴田氏が犯人でないならば他に真犯人がいる。
となると、人々はすぐに真犯人探しに興味が移り、ジャストタイミングでの長女の死亡報道に「なんだかアヤシー」ということになって、「誰かそこんとこ詳しく調べてくれないか」なんて思ったりしている。
実際に長女犯人説あるいはその周辺人物犯人説というのは、かなり以前からあり今も根強く残っている。
しかし、この疑惑が表メディアで語られることはない、、、。

検事と弁護士は「六法全書」という同じ教科書を使って勉強してきたはずなのに、必ず正反対の答えを導き出す。
皮肉にも、それが健全な状態の証となる。
そうでなければ、そもそも裁判にならない。
検事「死刑を求刑する」
弁護士「賛成!」
検事と弁護士が同じことを主張したとしたら、それは全体主義に陥っているわけで、それのほうがよっぽど怖いではないか。

[Web Log] / 03/16 3:16

持ち上げといて、ドーン!! 持ち上げといて、ドーン!!
マスコミってのはタチが悪い、いっつもこれだよ。
佐村河内氏しかり小保方氏しかり。
それに乗っかってやたら褒めてはけなす連中もどうかと思うわ。
そんなわけで、僕としては、佐村河内氏はアレだから仕方ないけど(笑)、小保方氏に関しては、ドーン!!情報に惑わされることなく、なんとか擁護できないものかとあれこれ考えてはみるものの、これがなかなか上手くいかないので困る。
今のところ彼女を全世界で唯一(笑)擁護しているのは、例の武田邦彦おっちょこちょい博士ぐらいなもので、「画像の貼り違いは、眠たかったからと言えばいい」などと、それこそ眠たいことを言っているが、そういう苦し紛れの言い訳は、実は小保方氏の「単純なミスです」と実質的には大して変わらず、そう発言することで、それが恣意的ではなかったと言いたいのだろうが、事の重要性から鑑みて、せめて「複雑なミスです」くらいは言ってもよかったんじゃないか?(笑)

やっぱり、一旦持ち上げられた人が凋落して行く様は、いわば「メシウマ」というやつで、みんな大好物だろうし、特に今回の騒動はストーリー展開として見ていてとても興味深い、というかはっきり言えば笑っちゃう出来事ではある。
いや僕だけじゃなくみんなそうだろ?
「まじかよー!」「あらやだ!」と半分ニヤけながら、佐村河内氏や小保方氏の報道から目を離せない、というのが実情じゃないかと思う。

それにしても最近のテレビ(ま、ネットでの動画で見てるのだが)で一番面白いのは生中継による○○会見の様子。
なんと言ってもリアリティが秀逸で、テレビ番組のインチキドキュメンタリーなんて目じゃないくらい面白い。
その反面、これがあとでニュースになったりする時には、必ずテレビ局のバイアスがかかって、局の意向に添った編集内容になるのが見ていて耐えられない。

というわけで昨日ニコ生で(3/13)見ましたよ、理化学研究所&調査委員会の会見。
四時間超えの会見だったらしいが、途中から気がついたもので後半の二時間程度の生放送を視聴した。
今回の会見は疑惑の当人ではなく、調査委員会が主体だったもので、出席者全員かなり余裕をかましていて、佐村河内謝罪会見ほどの生々しさもなく、全体として落ち着いた雰囲気であった。
記者たちの質問も相手が本人じゃないだけに鋭さを欠き、たとえ突っ込んだ質問をしても「中間発表ですから」と諌められるのがオチで、なんとなく消化不良の様相を呈していた。
本音を言えば「やっぱり本人じゃなきゃつまんないよ、出てこ〜い!」と言いたいところなのだろう。

ネット上では既に小保方氏は佐村河内並みの扱いで、ほぼ真っ黒決定の感があるけれど、実際はどうなのだろうかと、調査委員会メンバーの話しに慎重に耳を傾けた。
そして僕なりの結論。
ん〜、小保方氏、色んな意味でやっぱりダメかな。
調査委員会メンバーから「未熟な研究者」という評価が下されたが、それは甘い、「人間として未熟」と言ったほうがよい。

論文に掲載した画像は、加工修正したことがこの日公表されたが、これについて小保方氏は「やってはいけないことという認識がなかった」と述べたという。
本当にそうだろうか? いくら人間的に未熟とは言え、とてもじゃないが信じ難い。
研究成果の主体となる重要な証拠画像に修正を加えたり加工することに、本当になんのためらいも感じないのだとしたら、心の底からバカか、確信犯として心が腐っている人間だとしか言いようがない。
好意的に推測すれば、彼女は駐車禁止を犯す程度の悪意の認識で、「ちょっと気が引けるけどまわりはみんなやってるし、まっいいか」、せめてそのくらいの罪悪感はあったと思いたいけれど、今回の行為はその域を遥かに超えていて、これでは、「駐車禁止」どころか、「車で人ひいて殺しちゃったけど、毎年いっぱい死んでるし、まっ、いいか」って言ってるようなもの。
なんせ、STAP細胞誕生を示す決定的な証拠となるべき画像なんだからさ!

彼女がそういう軽薄な行動に出たということは、案外、科学論文の世界ではよくあることなのではないか、という推測も働いてしまう。
もちろん、今回のことで多くの科学者たちは「あってはならないこと!」などと真っ正面から言い切ってはいるが、実際には「研究者の落とし穴」として、自分の研究や実験の成功を求めるあまり、その過程で発現した不利な現象などを敢えて見過ごしたり切り捨てたりすることがある、という心理学的な話しを聞いたことがある。
端的に言えば、自分の期待に添うよう、恣意的にデータを扱いがちになるということだ。
そのへんが武田邦彦流に考えれば、科学論文の世界ではよくあること、、、みたいなことになって、、、それが行き過ぎると、「バレなきゃいい」になってしまう。
そうだけれど、でも「バレちゃったらダメ」(笑)。

この騒動のトータルとして僕が信じられないのは、その研究成果がノーベル賞に値するかもしれないくらいの偉大なもので、そのことについては本人も当然自覚しているはずで、さぞや世間の注目が集まるであろうことも当然予想されるにも拘らず、すぐバレるような嘘(画像の修正など)をついたり、信用性に関わる重大なミスを犯すという、そのうかつさ軽薄さである。
「なにやってんだよおい!」
いくら誰かに先を越されるか心配なのでつい焦って、という思いがあったとしても、超えちゃいけない一線ってものがあるだろがよ。
あっそうか、本人はその一線が見えてなかったと、、、ま、言い分として(笑)。
でもさ、注目するのは一般人だけじゃなく世界中の優秀な科学者たちなんだから、そんな安っぽい嘘すぐにバレるに決まってるだろが!

ところで、博士論文でのコピペ疑惑は?
この言い訳がまた苦し紛れに聞こえて仕方ない。
米国の知人にこういうメールをしたと伝えられている。
「世間に流れている論文は下書きですから」
なによ、下書きなら丸写しコピペもオッケーっていうわけ?
そうじゃないよね?(笑)
次のいい訳はこうなるだろう。
「下書きをそのまま本編にするつもりはありませんでした。当然本編では、引用したものは引用一覧に加えるつもりでしたし、、、、」と。
これで一応筋は通りますし。

ある意味、引用は必然と言える。
科学者が何か新たな発見をした時に、新旧の説を比較するために、かつてはこうだったということを併記するケースも当然考えられる。
その場合、そのかつての知見の多くについては自らが体験したものでないのも当然で、そうなれば「周知の事実」として誰かがどこかで発表したものを引用する他はなく、その引用一覧を載せれば何も問題はないということになっているようだ。
今回問題なのは、その一覧に書かれていない無断引用があったことで、それはあたかも持論を述べているように思わせてしまうことになり、そこがどうしても引っかかる。
なんといってもその無断引用の「こっそり具合」が研究者としての品格を貶め、ひいてはSTAP細胞の存在そのものの疑惑まで生んでいる結果となっている。

この騒動、悲劇的な結末を迎えなければよいが、、、と、けっこうマジにそう願っている。

なんて言ってるそばから、、、小保方氏が博士論文取り下げというニュースが!
もはや博士でもなくなるということか、、、十分に悲劇的だなこれは。

いずれにしても、なんかピュアじゃない人の話しばかりでイヤになる。
ということで、ここでピュアな人の作った歌詞と、散文を無断引用(笑)。
女性、31歳、彼女は友人の娘で、精神に大きな問題を抱えているけれど、とても素直でいい娘です。
(以下、原文ママ。漢字使いやアンダーラインも含め)

「桜の雨がふる頃に〜君を想う〜」

誰もが もがいてる
目が覚めて 君の声 耳澄まし 音符の迷路
幻に ときめく
モニター MISSION
ふるえる heart
memory チャージ
君への想い


「はじまり」

本との出合いで 心のゆがみがわかった
その本は心理テストけん美学で コンビニがゴール
必ず変になる まほうにかかった人は それがどういうことかがわかる
いしのつよさで 80%負ける よく調べてある
読みかたによっては そうとれるでしょう
誰でも大かんげい 入るには モストって言う曲も 
エスプレッソと周りのあたたかさが必要
その人についてよく調べてから はじまる 心にすぐくる
だから悪いことは出来ない 悪用も出来ない
誰が入ったか 室内の空気だけ 物の位置でわかるくらい
人の心をあずけっぱなしのゴミ箱だった

[Web Log] / 03/01 4:05

ダイビング

海は地球表面の三分の二を占めている。
だから海を知らなければ地球の三分の一しか知らないことになる、ってか。

バリ島の沖合で起こったスキューバダイビング中の事故。
この事故は、ドリフトダイビングで合流ポイントで浮上したが、待っている筈のボートがどこにもいなかった、ということから始まった悲劇であった。
このニュースを聞いて思い出したことがある。

昔々あるところにでしたとさ。
そのぐらい昔の話しだけれど、友達夫婦と僕ら夫婦の4人、もっとも両組とも離婚済み(笑)が、スキンダイビングにハマっていた時期があって、しょっちゅうあちこちの海に潜りに行っていたことがある。
といっても基本的に近場が多く、稲村、江ノ島裏の岩場、葉山の名島、一色海岸などをウロウロしているだけだったが、どこも透明度がせいぜい4〜5mほどしかなく、常に不満を抱いている状態が続いていた。

飽くまでスキンダイビングが目的で、スキューバダイビングをする気にはなれなかった。
そもそも湘南の海でタンクをつけて自由に潜れる場所なんてないからだ。
あるとしてもダイビングスクールが漁協から許可を得た極めて限定的なエリアしかない。
それじゃ面白くもなんともない。
それに、このへんの海ではタンクどころかウエットスーツ着てスキンダイビングしているだけでも、漁師さんたちから怪しい目で見られるのが実情である。
要は、トコブシやサザエやたまにアワビやタコなどを勝手に採ってはいけませんよ! というルールが敷かれているのだ。
もちろんウエットスーツを着ていなくても、勝手に貝類などをとるのは違法である。
特に葉山の名島などは監視が厳しく、シーズンともなると常に漁師さんか県の職員が乗り込んだ監視ボートがあたりを回っている。
それで、海面に上がって来た者がサザエ五個程度を袋に入れているのを見つけると、その場で全部没収!
おまけに、海面に浮かんだままボート上から差し出された始末書にサインさせられる始末(笑)。
そんな光景を実際何度も見ている。
だから、ちょっと慣れている人たちは考える。
網に数個ほどサザエを入れて海面に浮上した際に監視ボートを見つけると、知らん顔してその網を海中に落とす。
手ぶらですよって顔をしてその場をやり過ごし、あとで再びその網をとりに潜る。
ただ、時々その網が迷子になるのが玉に傷(笑)。
それにしても何かおかしい。
名島に行くと漁師さんが経営する茶店みたいのがあって、そこでは貝採り用の器具(釘抜きのような形の道具)を売っている。
そんなもん売っていて貝を採ったら没収&始末書って、いったいどういう根性してんだ!。
名島に渡るには漁協の渡し船に乗る必要があるのだが、その漁師さん曰く、
「まぁ、島でサザエとか採っても、その場で食べる分には目こぼししてるけんど、中には何十個も隠し持って、それで商売してるヤツもいやがる。それはやっぱり営業妨害じゃねぇか? こっちも自然養殖して増やしているだからよ」
というお話でした。
慣れて来ると分かるのだが、サザエたちも案外バカで毎年同じ岩棚の同じ場所にちゃんと座っているので(笑)、その気になればけっこうたくさん採れるものなのだ。

あ、また話しがズレズレ(笑)。
え〜、そんなわけで、湘南の海はせせこましいし透明度だってよくないし、、、、。
さて、美しい海を求めて、、、忘れもしない、御巣鷹山に日航機が墜落したあの当日、僕らは新潟の佐渡ヶ島の横っちょにある粟島という小さな島でシュノーケリングを楽しんでいた。
その翌年には佐渡ヶ島にも行ったが、いずれにせよ、その透明度は半端ではない。
おそらく世界でも最高峰に数えられるほどの透明度ではないだろうか。
感覚的には水中視界50mという感じなのである。
佐渡の海、5mほどの浅瀬で海底を眺めながらふらふらと海面を進んで行くと、いきなり切り立った崖が現れ、そこからいっきに数十mほどの深さになるようなポイントがあるのだが、その海底までがほぼ障害物なしにストレートに見通すことができるほどだ。
だから怖い(笑)。
まるで中空に浮かんでいるような気分に包まれる。
土地柄、熱帯魚のような美しい魚はいないが、みな食べたら旨そうな魚ばかりが泳いでいて、それらの魚たちと僕との間にも、視界を遮るゴミやプランクトンなども一切見えないので、どっちも空を飛んでいるような感覚に陥る。
一カ所に止まっている魚などは、その間にある水の存在を感じないので、まるでガラスの塊に閉じ込められているように見える。
ただ、景色が圧倒的に地味過ぎる(笑)。
魚はどれもオヤジのスーツみたいな色をしているし、珊瑚礁なんかもないので、ただただ水が透き通っているだけ! と言うしかない。
それと、特徴的なのは水温の高さ。
湘南の海では三十分も入っていると唇が紫色になったりするが、佐渡や粟島では一時間ずっと海に入っていてもぜんぜん平気。
イメージとは大違いで、「へぇ、日本海ってそうなんだぁ」と、これはけっこう驚いた。

色彩も豊かで透明度も最高!
ある年、そんな噂でもちきりのミクロネシアのパラオまで行ってみようー! ということになり、同じメンバーで実際出掛けていった。
で、正直言ってちょっとガッカリ。
船上から眺める海はまさにエメラルドグリーンで文句なく美しいのだが、実際海に潜るとその透明度は佐渡ヶ島や粟島に比べるとほぼ半分以下、たぶん鮮明に見えるのは10m程度だろうか。
海中も極彩色であるが故に、プランクトンが豊富過ぎて、ゴミのように海中を濁らしている、、、のかなぁ?
でも水温は日本海の方が高かったし、、、ん? 日本海は水温が高いがプランクトンはそれほど多くない?  分からん、これは未だに謎だわ(笑)。

まとにかく、パラオでの数日間は無人島巡りやら何やらでスキンダイビングを楽しんでいたのだが、せっかくここまで来たのだから、一回スキューバダイビングを体験してみようじゃないか、という話しになった。
同行の相手夫婦の夫の方は唯一スキューバーのライセンスを持っていたが、僕ら三人は全くの未経験者。
でも、パラオは小一時間練習をしただけで、はい30mほど潜りましょう! というけっこうアバウトなお国柄。

で、今日はドリフトダイビングもします、と言う。
バリ島の事故でも取り沙汰されたこのドリフトダイビングというのは、自分で泳ぐ必要もなく、ただ海中の潮の流れに身を任せているだけで、まるで動く水族館の中を自動的に進んで行くような、とても楽しくて楽ちんなダイビングのことである。
パラオ、南海の楽園。
入水ポイントで僕らを下ろしたボートは、そのまま潮の下流に移動し、あらかじめ決められた浮上ポイントに先回りして待っている、というシステム。
僕らは現地人インストラクターの先導で、入水ポイントでいっきに30mほど潜り、しばらくは海底散歩を楽しんでいたが、やがて促されて潮の流れに乗る。
そして、色彩豊かな熱帯魚の群や、バラクーダ、ウミガメたちとの出会いを楽しみつつ、そのまま20〜30分ほど流され続け、「こりゃ楽しいやー!」、、、しかるべき時にインストラクターの指示に従って海面めざしてゆっくりと浮上し始める。

で、「あれ〜!?」上がってみたら待っているはずのボートがいない!!
ぐるり見渡しても見えるのは点在する無人島ばかり。
これは正直ちょっとびっくりした(笑)。
ただ、バリ島の事故のケースと違うのは、ものすごく天気がよくて海面は完全な凪の状態だったという点。
そのせいか大した危機感もなく、周囲の景色を楽しみながら、しばらくの間はそのままプカプカ浮かんでいたのが、そのうちインストラクターがちょっと慌て出し、大きな声を張り上げ始めた。
彼は二十代の褐色の現地人だが、名前は違和感ありありのタロー君(笑)。
そう、先の戦争時代、日本がこのあたりを統治していたので、その時代の名残り。
そうやって15分ほどのんびり遊びながらプカプカしていると、いくつも見える無人島のひとつの島陰からいきなりボートが現れた。ここからの距離はおよそ300mほどか。
近づいてきたボートの操縦士の若者に、インストラクターがなにやら怒っている。
事情を聞けば、なんのことはない、島の木陰で昼寝してたらつい寝過ごしたってことらしい(笑)。

もしこれが、バリ島のように突然天候が崩れて海が荒れていたら、果たしてどうなっていただろうか、、、と。

思えばパラオの海ではシュノーケリングだけで十分な気がする。
ちょっと無理して8mほど潜り、直径40センチぐらいのバカでかいシャコ貝を二人掛かりで、しかも死にもの狂いで採ってきたりしていた。
で、ナイフでこじ開けると、直径10センチはあろうかという、驚くほどでかい貝柱が出て来たりして、こりゃ刺身で喰ったら美味そうだと、さっそく食べてみたが、なんとスカスカジャリジャリでとても喰える代物ではなかったというお粗末。

海に行かなきゃ溺れ死ぬことはない。
山に行かなきゃ滑落して死ぬこともない。
だから、勝手に行って死ぬのは自己責任?
だとしたら、家から外に出なけりゃ、ダンプにでも突っ込まれない限り、交通事故で死ぬことはまずないという話しにもなって、しまいには、この世に生まれなきゃ死ぬこともないのにということにもなる。
但し、ひとつ確かなことは、この世に生まれたのは自己責任では決してない、ということ。
そりゃ両親の他者責任に決まってる(笑)。

高瀬がぶん

[Web Log] / 02/16 2:47

今月は取れ高が多いが、まず我が友保坂和志をあげておこう。
2月4日、池袋の東京芸術劇場で催された対談&朗読会に出演し、本番前に担当者の指示に従い移動した際に、誤って舞台から客席に落ち(1.3mほど)、左右両足の骨を二カ所骨折&かなりの出血、ギブス三週間決定!
それでも出演をこなしたというから立派、でもばか〜!
後日、劇場側は責任を感じたのか、あの大雪が降った翌日、自宅に雪かき要員を二名送って寄越したという。
それだけにとどまらず、二度目の大雪の翌日は、保坂が「なんか外でガシャガシャ音がするな」と思い覗いたところ、再び劇場の二人が自主的に雪かきをしてくれていたというので、なんだかとってもほっこりした(笑)。

さて、、、。
おそらく世界で一番有名な、伝説の手品師?魔術師フーディーニ。
最初のころ彼は、片足をひきずった貧相ないでたちの小人に扮して舞台に登場し、いくつかの手品で観客を感動させたのちに、突然長身の紳士に変身するというネタをよく使ったと言われている。
これは観ている者に単に変身の驚きを与えるというより、同じ手品でも、自分より色んな意味で明らかに劣っている者がそれを演じて見せた場合、その驚きと感動は増幅される、という人間の真理をついた巧妙な心理トリックであったと。
こういった人間の心理というものが、根源的には「社会的弱者に対する優越感や差別」に通ずるものであろうことは想像に難くないが、それを意識しようがしまいが、そうしたことがあることは歴然たる事実として僕自身も認めるところである。
オリンピックよりパラリンピックのほうが常に感動的なのはおそらくそのせいである。
よく頑張ってるなぁ、自分ももっと頑張らなくちゃ、という勇気を与えられるからだ。
それに比べると、ギンギンに身体を鍛えたサイボーグみたいなオリンピック選手が、いくらいい記録を出したとしても、それほどの感動はない。

そして、そうした心理的トリックを悪意をもって体現して見せたのが、トリックモンスターとも言うべき佐村河内氏である。
で、次のうちいったい誰がバカなのか。
佐村河内氏本人。
唯々諾々とゴーストを引き受けていた新垣氏。
話しを持ち上げ過ぎたメディアの連中。
彼の著作の帯書いて褒めちぎった五木寛之。
彼の創り出す音楽を激賞した三枝成彰を始めとする多くの音楽評論家たち。
それとも、その音楽に熱狂し支持していたオーディエンスたちか。

たぶん答えは、佐村河内氏が大バカで以下はふつうのバカ(笑)。

それにしても、最近こんなに不愉快で面白いニュースは他にない。
世間では既に作曲ゴースト問題にすっかり飽きがきて、もはや障害者年金詐欺に話題はシフトしているが、それについてはあまり興味がない。
そんなやついくらでもいるし、単なる小悪党の一人に過ぎないではないか。
それを追及するくらいなら、長野県建設業厚生年金基金の24億円の使途不明金に絡んで逮捕された元事務長の坂本とかいう男の方こそ厳しく追及して欲しい。不発に終わったファンド投資やら何やらで総額200億円がふっとんでしまったというから、もはやバカバカバカバカバカ!!

佐村河内守の作曲問題が持ち上がった時に、パッと二つのことが頭に浮かんだ。
ひとつは、
これって食材偽装問題と構造が本質的にまったく一緒じゃないの? ということ。
芝海老だとばっかし思って「うまいうまい」と喰っていたのに「なにぃ!バナメイ海老だと!!」と怒り心頭。
いいじゃないの、それまで知らなかっただけで、料理のうまさが変わるわけじゃないのだから(笑)。

そしてもうひとつは、
一見専門家風の人物に専門的知識がないメディアが騙され踊らされる。
これはIPS細胞のインチキ森口氏とメディアの関係とまったく同じ構図ではないか。
あの時は話しが高度過ぎて科学的知識が乏しいメディアがまんまと騙され、今回は音楽的に素人であるメディアの連中が、佐村河内氏の作り上げた悲劇的キャラクターが与える感動にばかり目を向け、その作品のまっとうな評価についての検証をおろそかにしたのではないかと。

これは特に、佐村河内氏の代表作とも言える「交響曲第一番 HIROSHIMA」について言えることだ。
あの曲が原爆被災者を中心とした多くの人々に感動を与えたことは事実だろう。
しかし、その感動の大きさと音楽そのものの質が必ずしもイコールにはならないことに注意を向けるべきではなかったか。
これは今だからそう言える、という類いのものではない。
あの曲が2009年の芥川作曲賞(芥川也寸志を記念して)に応募され、最終選考の3曲にさえ残らなかったという事実について、メディアの連中はちゃんと検証していただろうか?
僕にクラシックの素養は全くないが、それでもなんとなく、ああ言った賞レースの選考の過程は想像できる。
小説の芥川賞も同じようなものだと思うが、最終選考にまで残った作品となれば、レベル的にもほとんど同列で、あとは審査員の好みの問題となる。
しかし、それ以前に落とされた作品群については、最終選考に残すまでもない、何らかの致命的な欠点があったのではないか、と想像できやしないか。

当時の芥川作曲賞の選者たちは、おそらく、現在言われているような「交響曲第一番 HIROSHIMA」に対するパクリうんぬんかんぬんを含めたマイナス批評を、既にその時点で行い、最終選考の基準に満たない作品として落とした、、、ということになるだろう。
佐村河内アメイジングストーリに惑わされることなく、純粋に音楽性を評価した上での見事な落選。
僕のような凡庸な人間には、交響楽というだけでどれもこれも素晴らしく聞こえてしまうが、やはり聴く人が聴けば本物かどうかは分かる、、、という結果であったことにちょっとホッとする。

一方、あの曲が広島市民賞をとったことは全然不思議ではない。
あれは曲そのものの音楽性などほとんど分からぬ行政が、市民をこんなに感動させた佐村河内さんは偉い! ということで差し上げたものだろうから。

こうして、「交響曲第一番 HIROSHIMA」は、素人ウケはしたがプロの世界ではそれほどの曲でもなかった、ということが既に証明されているわけだ。
余談だが、音楽評論家の野口剛夫氏だけは、今回の告白前、佐村河内氏がもてはやされている最中に、「新潮45」に氏に対する疑問を投稿し、「交響曲第一番 HIROSHIMA」には随所に歴史的作曲家の模倣が見られると指摘するなど、その慧眼には感服せずにはいられない。

そこで、ではその真の作曲者である新垣氏の音楽家としての才能・力量はどうなのかという話しになる。
まず、ゴーストを務めた新垣氏の広島に対する思い入れはゼロ。
そりゃそうだ、依頼された時のタイトルは「現代典礼」だったのだから。
で、何なんだ一体、現代の典礼って(笑)。
いずれにせよ、新垣氏は自らの芸術家生命を賭けて作曲する時ほどの力は入れてなかったのだと思われる。つまり本気を出して作曲したわけではない、単なるアルバイト仕事だったのだろう。
したがって、作曲家としての新しい音楽的アイデアを入れることもなく、使い古された定番の旋律を組み合わせて、とりあえず聴けるような作品に仕上げて納品した。

だから「え〜! わたし別に原爆とか広島とか全然意識してなかったのに、こんなに感動されちゃったりして、なんだかなぁ」と戸惑い、おまけに調子に乗った音楽素人が「広島市民賞」とか与えるし、一方で勝手に芥川作曲賞に応募され、選者の中で三枝成彰一人だけが激賞するも、結局のところ最終選考にも残らないという体たらくに終わり、おそらく新垣氏は、「恥ずかしぃ〜、自分の名前で応募するなら、もっとちゃんとしたやつ作るよ〜、あれがわたしの実力だと思われたらかなわんぞ」と思ったに違いない。
新垣氏は他者のための仕事と自分のための芸術活動はきっちり分ける人だ、たぶん。
だから、仕事(アルバイト)で作った曲に、作曲者として自分の名前なんか入れたくない、というのが本音ではなかろうか。
それが音楽家としての誇りだし、当然、著作権を要求するなど自尊心がそれを許すはずもない。

近々、佐村河内氏が記者会見を開くというのでみな興味津々である。
あれだけの大嘘をついて散々持ち上げられた人間が、どれほどみすぼらしい姿となって登場するのか、それが見たくてしょうがない。
大衆の、もとい下衆の極み(笑)。

追伸
佐村河内さんの謝罪文、笑えるぅぅ。
曰く
「これは新垣さんと二人だけの秘密です」
「三年前から耳元でゆっくり喋ってもらえば聞こえるように、、、」
みたいなこと言ってますけど、
へぇ〜、じゃ、その耳元でゆっくり喋ってくれた人って誰よ(笑)(笑)(笑)

高瀬がぶん


[Web Log] / 01/31 5:20

新年ではなく頭がおめでたい人がかなりいた月である。
なんと言ってもまず、冷凍食品に農薬入れて逮捕されたあのハゲ散らかしたおっさん。
初めから容疑者が絞られるであろうことが容易に推測される状況にも拘らず犯罪を実行する。
まずそこからしてバカ満開。
こういう事件を起こす者の正しい心構えとして、まず完全犯罪を目指すのが常識というもの。
そのためには、動機を悟られずアリバイを確保し、自分をまず安全圏に置くことが肝要ではないか。
その努力もせずに、事件を起こす資格なし!
まったく、想像力の欠如も甚だしいわ。
それよりなにより、49歳妻子ありのいい大人が「ワンピース」に憧れて特攻服まがいのコスプレをし、改造しまくりの大型スクーターをこれみよがしに乗り回している時点でバカ確定。
背中の正義の文字が泣いとるわ!
要するにあの男が抱えていた会社に対する不満とは、「給料が安くてスクーターの改造が思うようにできんわい!」ということに尽きるだろう。

次にバカッターと化したキャロライン・ケネディ駐日大使。
彼女の就任を熱烈歓迎した日本のミーハー達よ、どうすんだよ(笑)。
「米国政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」。
うるさいわホントに!
こういった議論が如何に不毛であるか、いい歳してそんなことも分からんか。
そこは触っちゃいけないとこなんだって。
必ずと言っていいほど、こういう反論が来るぞ。
あんたらアメリカ人はどんだけ牛喰ってんだ。
牛を殺すには味を落とさないためにと、基本的に今でも棍棒で殴り殺すか、さもなきゃ、でっかい鉄球を頭上に落とすかして殺してるらしいが、それは非人道的じゃないとでも言う気なのか?
アメリカのいい分はこうだ。
牛は食用にするために、十分な数を育てているから殺してもよい。
イルカは自然の生態系の一員、しかも知能も高いので殺してはいけない。
なんだその論理、少なくとも頭の良さは関係ないだろ。
イルカがダメなら牛も豚も鳥も全部だめ、というならまだ分からないでもないが、、、。
それに、東京大空襲で一般市民を無差別に10万人ほど殺し、原爆で同じく一般市民を30万人以上殺しておいて、「ちっとも悪くない」と言い張るアメリカ人に、イルカを殺したくらいでそんなこと言われたくないわ!、、、と。
もっとも自分はイルカって食べたことないし、食べたいと思ったこともないが(笑)。

はたまた、フォアグラはどうなのか?
ガチョウの喉に鉄パイプを突っ込んで固定し、無理矢理普通の10倍の餌を毎日喰わせ、しかも運動させないようにするために、身動きできない空間に押し込めたまま生かし続け、その結果肝臓がパンパンに膨れ上がったところで殺して肝臓だけを取り出す。
人間はそんなものを世界三大珍味のひとつに数え、高い金出して有り難がって喰っている。
そんなガチョウの境遇に心は痛めないのか?

文化が違えば人は犬でも猫でも何でも殺して食べるのだ。
それこそ人が人を喰うことだって、ある条件下では許される。
その程度のものだろう人間の倫理観ってのは。
この際だから動物を食べることに関しては全て不問に付す。
それでいい。
あらゆる食用動物の殺し方を詳細に調べて、その実態を知らしめ、みんなで涙を流し懺悔しながら食べるなんてのも面倒臭いことこの上ない。
だから、その過程には一切目をつむり、食卓に並んだ切り刻まれた肉片を前に、命をくれた動物達にせめて感謝しながら口に運ぶ程度でいいのではないか?
それより、食べる目的ではなく殺すゲームとしての狩猟や、見て楽しむ為の闘牛の方がよほど残酷であるし問題ではないのか?
まだまだ言いたいことはあるが不毛なだけにきりがないのであとは割愛。

そしてバカの大将、NHKの新会長籾井氏。
あはは、見事にハメられてやんの。
それが第一印象。
あれはどう見ても失言待ちのしつこい質問だっただろうに、それを見抜けなかった爺さんが我慢しきれずつい口を滑らし、聞かれてもいないことまで口を滑らし続けてしまったというお粗末。
あの質問者はおそらく、籾井氏の思想信条を他の機会であらかじめ知っていたのではあるまいか。そして、もし口を開かせることができれば、それは失言になること間違いなしと確信していたのではないか。

、、、あ〜あ〜、なんだよもう2chあたりではそんなことは百も承知で、その質問者の特定が始まってるじゃん。なに? 朝日新聞もそれに答えて「そんな名前の記者は在籍しておりません」。どうなってんだこりゃ(笑)。
あの記者会見で籾井氏が、
「じゃ、全てを取り消します」
といったら、厳しい記者の声が!
「取り消せませんよ!」
あいつだよ、あいつ(笑)。

このニュースを見て読んで、あの爺さんは70歳だというのに、白馬事件のことを知らなかったのではないか、という疑問が湧いた。
もし知っていたら、少なくともオランダの飾り窓の話しを引き合いに出すことはなかっただろうにと思ったからだ。
白馬事件というのは日本占領下のインドネシアで起こったオランダ人女性に対して行われた監禁・強姦・強制売春のこと。
これは他のいわゆる従軍慰安婦問題と違って、明らかに日本にとって分が悪い話しである。
軍の規約を無視した現地の一部将校たちが、勝手に民間人抑留所からオランダ人の若い女性たち数十名を拉致し、スマラン市内の四つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行し、強制的に売春をさせるということをやった。
しかし、拉致されたオランダ人女性の父親による軍上層部への直訴により、違法な事実が発覚し、拉致から二ヶ月後に、四つの慰安所は即時閉鎖されるという事態に至った。
そして、戦後、この実行犯たちは国際軍事裁判によって裁かれ、強制連行、強制売春、(婦女子強制売淫)、強姦という罪で、一人の死刑を含む軍人及び民間人11人が有罪とされた。
この事件に関しては、強制があったかなかったかを問うようなレベルにはない明らかな犯罪行為であって、日本としても謝る他はなく、後の日本政府は被害者個人それぞれに対して「償い事業」として、それ相応の補償金を支払ったという経緯がある。

これらの事実を知り事態を厳粛に受け止めていたら、とてもじゃないがあの場でオランダを揶揄するような「飾り窓」の話しを持ち出すことはできなかったのではないか? そう考えるのが当然だろう。

公共放送のトップにバカな爺さんを抱えた日本。
これから番組が期待外れに面白くなりそうだ。


高瀬がぶん

[Web Log] / 01/15 4:43

元旦、PCのモニターに2014年最初の蠅がとまった、、、。
??? ひょっとしてあれか、お前は2013年最期の蠅のやつ?
そうか、お前も年を越したんだな、だったら一応、明けましておめでとう。

1月4日、友人秀島実の舞踏公演「小父さんの直覚」を、鎌倉生涯学習センターに観に行く。
秀島さんは僕と同い年の64歳の舞踏家。
コンテンポラリーダンス? 暗黒舞踏? そう言ったジャンル分け自体に意味があるのかどうか分からない。
純粋に「身体表現」という言い方が一番いいのかも知れないと思う。
秀島さんの舞台を観に行くのはこれで三度目だが、僕は別に舞踏そのものが大好きなわけでもないし、舞踏に関する造詣もまるで深くない。
水に入ったらくるぶしが出てしまうほどの浅さ(笑)。
そんな秀島さんとは、七年ほど前に鎌倉大町にかつてあったコーヒーショップの常連客同士として知り合った。
普段の彼はアニエスb.の上着を羽織ったりしているオシャレなおじさんで、同い年ということもありすぐに仲良くなり、何度もその店で偶然出くわした。
そのうち、彼が舞踏家であるということを知り、僕でも知っている大野一雄の愛弟子であることを知って、ちょっと尊敬した(笑)。
大野一雄と言えば土方巽(たつみ)とコラボしたりして、それこそ日本に於ける新しい舞踏のかたちを作ったすごい人と言える。
加えて、2010年に103歳で亡くなるまで舞踏家としてほぼ現役で通したということも尊敬に値する。
秀島さんは80’〜90’年代に大野一雄が頻繁に行った欧州公演に同行し共演を果たしていたが、その後独立してからも海外での活動が中心の舞踏家であった。
しかし、たまたま鎌倉に住んでいるので、鎌倉市内でのミニ公演みたいなことを不定期に何度か行っているのだ。
というわけで、鎌倉で公演がある時は必ず観に行くということになったのだ。
最初に観たのは野外での舞台、たぶん2006年鎌倉浄智寺の境内で行われた集団舞踏、「匂イノ森ニ密メク」というやつだ。
なんと言ってもまず秀島さんのセンス溢れるこのタイトルが気に入った(笑)。
そして、設置された舞台そのものも、ちょうど鎌倉宮の境内で催される薪能を小ぶりにしたような感じで、周囲の雑木林がより一層妖し気な雰囲気を醸し出していた。
観客席は平地にひな壇を設けたもので、僕も最初はそこに座っていたのだが、あっ! と閃いたことがあって、途中で一人抜け出し、後方に広がる雑木林に入って行き、木や枝葉に視界を遮られながら、それらを押し広げて舞台を眺めるということをしてみた。
これが思いも寄らず効果的で実によかった。まさに「匂イノ森ニ密メク」というタイトルそのものの雰囲気で、見てはいけない秘儀をこっそりと覗き見るという感じ?(笑)。

嘗て、大野一雄の代表作とも言える「ラ・アルヘンチーナ頌」という舞踏の動画を見たことがある。
(ちなみに今でもYouTubeで見ることができる)
年老いた男が顔を白く塗りたくった上に女装をし、音楽に合わせて奇妙な動きで舞う。
それはたぶんYouTubeの一般視聴者のコメント欄にあるように、
「気持ちわりぃー、でもなんだかすげー!」
というものに違いなく、動作のいちいちに意味を求めることが無意味でバカらしいほどに、何がなんだかよく分からないのだが、とにかく心がざわつかずにはいられない、というものである。
心地よい不安定感、といったらいいのかも知れない。
これは逆に言うと、安定したものなんて面白くも何ともないということにも繋がる。
安定した技法によって創り出されるものは、それが文章にしろ絵画にしろ踊りにしろ工芸にしろ、すべて匠の世界のものであり、言い換えると、それらは自分の想像の範囲内で安心して見ていられるものであり、「よく出来てる」と感心こそすれ、ちっとも心がざわついたりはしない、だからつまらない。
少なくとも僕の場合はそうだ。
その点、「虚」を突かれるものや、自分の理解が及ばないものを目にすると、これは一体なんなんだろう? と、まず頭の中でぐるぐると思考が駆け巡るが、結局何だか分からないので、あとは思考停止して心と身体の自然な感性に任せるのみになる。
その時に、自分の内奥から何らかの反応が激しく湧き起こると、それが「感動」となって、先の「なんだかすげー!」ということになる(笑)。もちろん、感動の本質がなんであるかは相変わらずさっぱりなのだが、、、。

秀島さんはもちろん大野一雄の持ち味を踏襲していて、今回も前回もそうだが、上下スーツを着ているくせに、顔は白塗りで手にはダサい真っ赤なトートバッグを持っていたりして(笑)、その風体も動作もアンバランスこの上ない。
おそらく演者側には、顔を白塗りにすることや不釣り合いな小道具を持つことや奇妙な動きにも、それぞれちゃんとした理由があるのだろうけれど、それをいちいち説明するのは「このジョークが何で面白いのかというと、、、」と同じように、やっちゃいけないダメなことであって、すべては受け取り側の感受性に任せるということになるわけである。
さらに言えば、それらは演者自身でさえ説明できないものなのかもしれない、とも思う。
大野一雄は「魂に肉体がついていく」と言ったが、基本、すべてはおもむくままの即興なのだろう。
短絡して考えれば抽象画に近いものがあるけれど、何かを取捨選択した結果そういう表現になったと言えば、その過程には自ずと作為が入り込み、厳密な意味で「おもむくまま」とは言い難い。
ただ、ひょっとして、安定した姿勢とか所作というものは、秀島さんたちにとって禁じ手というか敢えて避けているものなのかもしれないと思う。
それとも、それらをあらかじめ決めているとかではなくて、魂の自然の叫びというものは、そもそも「安定」なんかを求めていない、ということになるのだろうか?
あっ、彼らの心は常に「特異点」に在るのかもしれない、、、、なんて。
ん〜、かなり哲学入って来てるんでまた今度(笑)。

今回の公演では、アベマリアの歌声をバックに女装して舞い、サックスの生演奏に合わせて踊ったりと、相変わらず訳の分からぬままに舞台は進行し、起承転結なんてあるわけもなく、いつしか終わっていた。
キャパ300程の超満員の客席からは鳴り止まぬ拍手。
二度三度で終わらず、四度五度六度までアンコールが続く。
涙を流している観客も少なくない。
実は僕も最期にホロリときたが、それは皆さんの理由とはたぶんちょっと違って、同年輩の友人でもある男の健気さと、それが観客にこれほどの感動を与えていることを目の当たりにしたことによる別の種類の感動であった。

でも、その舞踏の素晴らしさがよく分かると言って拍手し涙しているのだとしたら、それは嘘だ。
分かるわけはない(笑)。
だから、やっぱり、「なんだか訳はよく分からないけどよかったよー!」という拍手であり涙だったのである。

そして最期の最期に、
白塗りの顔を観客席に突き出し、顎の下に手を添えて、
「アイーーン!!」とバカ殿の真似を、、、。
もちろんそんなことはしない。

高瀬がぶん

Prev >>
Next Post
Last Post
もどる
湘南
Log In
iSHONAN
iSHONAN BLOG
Add to My Blogs
Forgot Password
Register
日本語