「ドミンゴスさんのコーヒー」で、はっちゃんと話しをするようになって、少し経った頃のこと。
私はその頃まだ仕事をしていなかったので、平日も土日も関係なく、フラッとお店に行っていた。
「今日、お仕事はお休みなの?」
と聞かれてチョット足を故障しまして、ナンてことを言ったら、はっちゃんは「休める状況なら、体は治しきったほうがいいわよ。」と声を掛けてくれた。
いつから仕事を始めるのか、どこまで治ったのかと聞かれることはあっても、体を治しきったほうがいいと言われたのは、なんと初めてだった。

退職後「休み」とは名ばかりで、気持ちは全然休めていなかった。

自分が一番働き、一番収入を得ていた頃の記憶があるから、早く全盛期(笑)のように戻さなきゃと焦っていた。
自分がハツラツとして、バリバリやっていた様子を覚えているものだから、早く元気で“理想的な”自分に戻りたかった。

地位とか昇進には興味などないくせに、ふと「男性だったら、今頃役職に就いて部下がいるかな」とか「もっと違う人生もあったかな。ひとつの会社にずっと勤めて、子供がいて」と、(ひとつの会社とは、私の性格からして・・⇒)ありえない話しを考えては、どんよりしていた。

そのように、うすっ暗くなっていたのだけど、はっちゃんの、そのひと言を聞いたら「頑張らなくていいよ」「人と比較しなくていい。自分のスピードでいいんだ。」という気持ちになってきた。

常に、常に、どうにかして現状を打破しよう、今よりもっとよくなろう、もっともっとと上を見なきゃイケナイ(それが前向き)と、休むことがない人生だったなあ、と気がついた。

自分が休むようになってわかったのは、いかに親に健康に産んでもらっていたかということだ。
丈夫に産んで育ててもらったことが、まず凄い確率なのに。
健康であることをアタリマエとして、感謝もしてこなかったし、体のケアをきちんとしてこなかった。
忙しくても、多少無理しても、体がついてきたので、私は大丈夫とタカをくくっていた。

また、健康であるが故に、体の弱い人や病気の人、弱者の気持ちが想像できていなかったとガクゼンとした。
それは自分が逆の立場になって、人を通して非常にクリアに見えてきた。

自分の半分の速さでしか「歩けない」人が世に存在することを、健康な時には思いつかない。
自分や家族のケガや病気から学んでいないと、
これ以上どうにも頑張れない人に、前向きにいこうと励まし、結果、追い詰めてしまう。
言われたほうは薄笑いを浮かべながら「今はもう無理だよ。この人は不自由したことがないんだな。恵まれててよかったね。」と心の中で思う体験を、今回自分がした。
休みきったらいいよと言われて、気持ちが安らぎまた歩こうって気持ちになる状態ってあるのだ。

 天真爛漫っていいな、とよく思っていた。
家族の仲がよく、お金に不自由しない、人間関係もうまくいき・・・ナンて、影のない人生の要素を考えていた時期がある。
今はそれよりも、起こった出来事を反転させて、他者の気持ちを想像できるようになるほうがいいと思うようになった。
そう思えば、ダメだと決め付けていた出来事がみな、宝になる。

明るさとか、楽しさっていうのは、陰陽の「陽」ばかりを見て、それしかないように振る舞うことではなく、陰もきちんと消化して、陽に転じる心がけだと、今は思う。