『ロマンスは突然に』友人のモーレツ・アターック!は、マンガどころでない、もっとスゴイ勢いがありました。
とにかく、熱かったなあ〜(笑)
読み手の中には、(最後にはやめてしまうわけで)勝手な・・・と感じる人もいるかもしれませんが、あそこまでハッキリ気持ちを宣言し、ストレートに行動すると、まわりもスッキリしたものでした。「そうか、よかったね」と。

彼女がモリノさんに突進する裏で、私は徳永英明に夢中になっていました(笑)
コンサートの度に、新しい服を買い(見てやしない、っつーの)那須の野外コンサートでは大雨が降り、ずぶ濡れになりながら、もっと燃え上がっていました。
「tamagoちゃんと結婚する人は幸せだね。徳永さんのように強く愛されるんだろうから」とまで言われ、社内では有名なミーハーでした。

10年ちょっと燃え上がり、ある時私はファンをやめ、持っていた物全てを処分しました。
CD、グツズ、首都圏でのコンサート、使った時間とお金、エネルギーは相当なものでしたが、全然後悔はしていません。

若いときは若いなりに、思い切りやればいいと思います。もちろん、適切な行動(道徳)はありますけど。

こう思うのは、30歳を越えた頃から、私が勤めていた会社の同僚や知人数人が、事故や病気で亡くなったからです。
30代でも、40代でも、訃報はある日突然です。
どんなに若くても、子供がいても、会社で役職に就いていようが関係ない。
よく「モテ〇〇」ってあるけれど、先に書いたことをみているから、自分が相手を好きになるより相手に自分を(より)好きになって欲しいなんて、つまらないと私は思います。
受身はつまらない。生きていないみたい。

もてるとカッコつけて、相手に言わせて自分は返事だけなんてつまらない。
カッコ悪くたって、失恋して泣いたっていい。
別れたって、それが自分の行動の結果なら、後々OKになると思います。
なにもしないより、ずっと誇らしい。感情よりもっと深い、心は、その経験を記録しているように感じます。

徳永さんのことだって、バカといわれようがミーハーといわれようが、思い切り好きになったから後悔していません。
ファンをやめたのは、自分が好きな曲(バラード)が少なく、ハードな曲が増えたことの他に、徳永さんを好きというポーズを隠れ蓑に、現実逃避するようになっていると気がついたからです。
徳永さんと言いながら、私はちゃんと日常に好きな男性がいて、お付き合いをしていました。
彼と別れたり、付き合うこともなく失恋ということもありました。過敏なほど傷つきやすかったので、立ち直るまでに随分時間のかかった時もあります。

落ち込むことに関しても、もう大丈夫とごまかさないで、しっかり感情を味わったらいい。当時はそれができなくて、ごまかそうとした、それが最初は純粋に曲のファンだった徳永さんへの「ファン」の逃避の態度でした。
最後は、現実逃避になってしまったけれど「思い切りファン」をやったから、誤りに気づきました。行動や思いをセーブしていたら今頃「コンサートに行っておけばよかった」なんて考えていたかもしれません。

感情は、良いも悪いもないので、しっかり味あわないと、あとまで残ってしまうように感じます。
それと同じように「〜をやっておけばよかった」という思いも残ります。

同僚や知人が若くして亡くなったこと、自分が去年から足〜首を痛め、強く実感したことは「その時、やっとけ」(笑)
私程度の不調でも、一番キツイ時は「意欲」や「感動」なんてなくなっていました。それどこじゃない(笑)
年をとって、思い通り動けなくなってからじゃ遅い。
感動できなくなってからじゃ、遅いです。
年を重ねると、まわりの状況なども見えてくるので、思い切り出来ないこともでてきます。
若い頃はまわりが見えなくて、迷惑なこともあるかもしれません。
それでも、イタイ目になっても、そこから学べればいいじゃないと思います。
次にそれをしなければいいし、自分が年をとってから、若い子をフォローできる。

感動できて、泣けて、傷つくことができて、それ、すごいじゃんって思います。本人はキツイけど、泣けるってスゴイよ。
人目を気にして、なにもしない人生より、そっちのほうが、ずっといい。そう、思うのです。