地震体験も含めて、ここ三週間、助けられているのだなあ、生かされているのだなあと思っています。

地震の3日前は、午後からバイトというスケジュールでした。
9日は、普段の人通りであれば割と暇と予想できる日で、店の締め作業の係りだった私は余裕をかましていましたが、ナゼかお客様が次から次へといらっしゃいます。

お客様が一瞬途切れた時、携帯に電話がかかってきました。
派遣会社の営業マンかと思い電話に出たら、
「もしもし、tamaちゃん?」
と聞き覚えのある声が。久しぶりに聞く、伊勢白山道のいうところの「有料先生」(ヒーラー)をしている知人でした!!

「ボク、〇〇で〜す」とノンビリした声を聞いて瞬間思ったことは「げっ、まだ生きてた」
ヒドイよね、私。

彼に会ったのは確か3年前が最後。その時に聞いた彼とそのまわりのヒーラーの様子は、伊勢白山道の記事とひどく一致していました。
(リーマンさんは、彼らを見て「有料先生」のことを書いたのかと思ったほど)

では、何が同じ・似ているのか?
伊勢白山道には、病気等で困った人からお金をもらい、ヒーリングを行う「有料」先生の末路が書かれていました。
有料先生は、治療困難なレベルの癌等の病気になり、命を落とす傾向が書かれていたのですが、3年前にヒーラーの彼に会った時、「ヒーラー仲間が珍しい血液の末期癌で、彼を自分たちがヒーリングしている。なぜ病気の人を助けた人間が癌にかからなければならないのか」という話しを聞いていました。

知人はもともと10歳くらい若く見える容貌なのですが、久しぶりに会ったその時、随分老けたなあ、年相応かな、と感じました。
顔が赤茶けて、髪の毛や肌がやけに乾燥しているように見えました。

話しは変わり、2年前に勤めた、上司が有料先生だった店には自称ヒーラーという女性が出入りしていました。
知人の男性と、この女性の類似した特徴は、やけに肌が乾燥して見えること。
老けて見えること。
口腔状況なのかな、とも思いつつ、向かいの席に座っていても非常に口臭がきつくにおうこと。

ある人たちが亡くなる1週間前に会ったことがあるのですが、共通していたのは、非常に口臭が強かったことです。
素人ながら、内臓から機能を失ってくるのかな、と思いました。
ヒーラーの二人に対した時、亡くなる1週間前の人たちの状態を思い出しました。
タバコを吸う人や、歯ぐきの悪い人など、口臭の強い人はいますが、それを遥かに超える、独特のニオイ(臭さ)なのです。

彼らに会ったのは、伊勢白山道の記事を読む前ですが、記事を読んだ時、ヒーラーが病気で亡くなる傾向があるのは本当かもしれないな、と思いました。彼らも、会った時には既に、内臓は弱っていたかもしれないと感じました。

また、彼らとは別に、自覚のないまま結果、有料先生になっていた人がいました。
その人はやはり重病だったのですが、本人がよかれと思い、人のためと始めたことでも、結果、有料先生であれば例外ない、消え行く法則が適用されるのか、とコワくなりました。
偶然かもしれませんが、あまりにも、私が直接知る有料先生の傾向と、リーマン氏の主張(彼は何十年かの間に出会った有料先生の事を、記事に書いている)一致していたので、私は伊勢白山道の記事の内容を無視できませんでした。

さて、伊勢白山道では「有料先生からは、離れましょう」とアドバイスしています。
それは一緒にいる(会う、話す)と、悪い影響があるというのです。
「そうは言うけど、いい人だから」と、どういうことか今はわからなくても、調子が悪くなってからでは遅いですよと。

確かに1年半前に〇〇〇店を辞めた時、ヒーラーには会う、〇〇〇を扱う仕事で、自分も持っている、上司が有料先生だなど、充分調子の悪くなる条件は揃っており、本当に私は心身がおかしくなっていました。

また、私が複数のヒーラーに会って感じたことは、ヒーリングできることと、人格の素晴らしさは別であるということです。
ズバリ、ヒーリングできるからって、それがナニ? という程度の人格です。
なにかが見える、人の考えていることがわかる、しかし分かったとして、何かを相手に言う時、それを言ったらどうなるのか、伝えていい内容なのかを判断する力はないように感じました。

思いやりや優しさ、知性は自動的に育つものではなく、自分が注意して訓練していかなければならないものです。

私は、ヒーリングをする人たちと付き合う必要はない(友人、知人でいたいという魅力を感じない)と判断しましたので、ヒーラーと名のつく人たちから離れました。
また給料も出ない等トラブルがある会社だったので、〇〇〇店を辞め、その機会にキッパリとスピリチュアルから足を洗いました。
少々時間はかかりましたが、離れた今、私は気力が回復し元気です。
もしも、あのままでいたら、私は今いなかったかもしれません。

話しは随分それましたが、9日にヒーラーの知人から電話がかかてきた時には締め作業が残っており、「今は仕事中で話ができないから」と電話を切りました。
その日は、最後までお客様が途切れることはなく、電話の時間など、本当にありませんでした。
ご来店予定だった方の到着時間がお忙しかったとのことでずれこみ、結果いつもより店にいた時間が長くなりました。
それが幸いしてその夜は、帰宅後も誰とも電話などする時間はとれませんでした。
次の日にも電話はなく、翌々日東北大地震、それっきり電話はありません。(地震を期に、着信拒否にしましたので)

伊勢白山道を読んでいない人には、なんのこと?という内容の話しですが、私にとっては、ギリギリのタイミングで助かった話しです。

今年になって、本当に調子がよくなってきたので、今更、有料先生と関わりたくはないのです。

ちなみに、〇〇〇などを持っていたり、不思議でご利益があるグッズをたくさん持っていた時より、今のほうが幸福感を感じます。
〜を持ち、〜に頼りそれでよくなるという生き方・考え方よりも、何ももたなくても大丈夫だ、という事実のほうが自信がもてています。
自分の力で物事を解決する気持ちを持つほうが、ずっと物事がうまくいくのです。