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一時、犬の里親募集のHPをよく見ていた。
犬の写真と名前、年齢や性格の情報がのり、責任もって一生面倒みる覚悟のある人にのみ譲渡、という条件がつく。
単身者、(世話できないほどの)低所得者、希望者の子供の有無(生活環境)も条件にのることもあった。

というのも・・・、
飼い主が病気等で世話ができなくなった、
ペットショップやブリーダーの廃業による救出、
放浪犬(迷い犬)の保護、
中には、動物虐待の飼い主からの救助(近所からの通報)
ーーーという経緯の犬を保護し、新しい飼い主を募集しているから。

・・・一時保健所に保護されても、一定期間のうちに引き取り手が決まらければ殺処分にされてしまう。
そういう、死ぬ一歩手前の犬(やネコ)を引き取る団体があり、ボランティアで自宅に預かり正式な飼い主が決まるまで世話をする人たちがいる。
栄養を与えることはもちろん、毛(並)や爪の世話をしてもらったことのない子もいて、その世話、体力が弱っていれば獣医に行く。
(悪徳)ブリーダーのもとで、“繁殖”のためだけに生きてきた犬は、サークルの中だけでの生活が多くしつけも受けておらず、そういう子には人間と生活できるように基本のしつけをする。
好きや厚意だけでは出来ない根気のいるボランティア活動と思う。

話はそれるけど、私は女性だからということもあるのか、「繁殖のためだけ」に生命を維持されている犬がいると知った時には、ショックで食事がノドを通らなかった。
全部のブリーダーやペットショップが悪いとはいわないけれど、ペットショップで「かわいい〜」と言われる生体の向こう側には、なにがあるのか、そして仮にこの子が“売れ残ったら”どうなるのか(保健所で「殺処分」)知ったら、安易に「かわいい」と犬と店で“買い”たいと思うことは適切な行為なのか、考えてしまった。
(保護犬の存在を知らない人は仕方ない面はあると思う・・)
それ以来、飼うとしたら保護された犬にしようと思うようになった。

しかし、3月の震災があり、家族として大切に世話していても、ああいう大災害があるとそれもできなくなる。
命を預かることに対して、かつて「憧れ」なんていった、自分のバカ加減を反省した。

話は戻り、ある時、藤沢(渡内)の「Cafe SunnyDay」に行くと、保護犬と里親希望のご夫婦の“お見合い”中だった。
カフェのオーナー夫妻が保護犬のお世話をする活動をしているらしい。(Cafe SunnyDay プライベートブログ)
正式に譲渡され、飼い始めた人が報告も兼ねてお店に来ていた時に居合わせたこともある。

お店のHPやメニュー表を見ると、わんこのお誕生日ケーキのメニューがあった。(名前や年齢がはいる、かわいい写真があるよ)
隣に座る女性が犬用ケーキをオーダーしている場面にあった時がある。
(ケーキのことや、ドッグカフェであることをネットで探し)遠くからでも家族(犬)のために来る人、保護犬を預かりその犬を連れてお店にくる人もいた。

最近は、カフェ自体に行くことが減ったけれど、「Cafe SunnyDay」の近くに行った時は、夕方からでもふらっと入ることがある。
自分が飲食に勤めていたり、入ったり、物販の店でも働く経験があるので驚いたのだけれど、このお店は住宅街なのに、「へえ〜、この時間に?」ってときに、お客さんが続けてはいってくる。
20:00クローズで19:30に(近くで食事をして来た)オジサン二人が「食後のコーヒーを(残り30分で)」って。一人のオジサンが「ここいいぞ」って連れてきていた。
そのほかにも、犬を連れたカップルが来たり、女性がパスタを食べていたり。
雨の平日の夕方でもお客さんがいた。

私が行ったのは、365日のうちの1日のあるひとコマで全部知っているわけじゃない。
それでも自分が体験した職場と比較して、自分の仕事の参考になる部分はなにかな、と考えたら気がついたひとつめは、関係ないようだけど、先ほどの保護犬のお世話をする活動だった。
つまり、商売プラス人(や犬)のためになることをしている。(与える行動)
人が喜ぶことをする、とはよく言うけれど、なる程、こういうことを言うのかと今まで分かったようで腹で理解できていなかったことに気がついた。

保護犬の世話は、店側の都合じゃないんだよね。
したからどうのという、見返りを期待する行為でない考え方が他にもでているから、それをお客さんは感じ取っているんじゃないだろうか。
Cafe SunnyDay