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昨日までで黒点が連続6日100を越えた。これでX太陽フレアの発生があれば、地震のトリガーになる、ということを考えていた。

自宅より、10数メートル高台にある家の奥さんが「もし大雨で水が出たら、遠慮せず家に避難して来て下さい」と言って下さった。
3.11の地震の時は地盤が堅いのか、ほとんど揺れを感じなっかたという場所。
「地震の時もどうぞ。家にいるのが不安で、という時でもいいですよ」と。
ナンと、親戚だけでなく近所の人の顔もまともに分からない私だけど、ナゼか自宅からチョット離れている彼女は知っていて、今回のことは気持ちが強くもてる、有難い話しだ。

最近目が悪くなり、足元が危ない母には、家から右に坂を下ると水が出る高さ(海抜)なので、坂を登り左に進むように言ってある。
台風12号のような大雨や地震で広域避難場所へ移動する時も、もし辿りつけなかったら、避難場所の手前にあるこの奥さんの家に母は行くことが出来る。
待ち合わせも出来るし。
もしもの時には、備蓄している食べ物を持って、行きましょう。お互い様、お世話になるばかりでなく、こちらも助けになるように。

話は変わり、最近、まわりで「あの人が嫌」とか「何が気に入らない」というのを聞くたび、まだそんなことを言ってられるのは余裕(平和)だなあ、と思う。

震災にあった宮城県女川町の高政さんの様子が「ガイアの夜明け」で放送され、YouTubeでその映像を見た。
社員の人たちが震災後会社に集まり、涙を流し抱き合って互いの無事を喜ぶ様子を見た時に思った。
人が3人以上集まればAさんとは合うけれどBさんとは合わない(嫌い)と言い出す。
震災前はこれだけの人(画面での数十人の人々)がいれば、合う合わないはあったかもしれないが、この人たちはもうそんな子供じみた思考レベルではないだろうと思った。

自分の家族が友人が一瞬にして亡くなった経験のあとでは、好き嫌いなど重要でなく、平和な時にたとえ合わなかった人でさえ「あなたは生きていましたか!」と喜ぶ、
人とはそういうものだろうと。

どんなに仲がよくても、悪くても、亡くなる時はある日突然で一瞬、というものだと今回のことで分かったのだから、相手がどうのなんて、どうでもいいことだ。

会社でもお酒がはいると、女性も口が悪く、〇〇さん(男性)の容姿がどうのこうのと言い出す。
その人は、別にうちのスタッフに気に入られるために生きているわけじゃないので、余計なお世話じゃないかと、お酒がほとんど飲めない(動悸がするので、ほとんど飲めない)私はシラフで思う。
顔なんて首の上についているものにすぎない。大事なのは、外から見えない心(根性)だ。
体型なんて、年とりゃ変わる。
腕やヒゲの毛なんて、年とりゃなくなってくる。どうでもいいじゃん?

好きも嫌いも、もう、そんなこと言っている場合じゃない時期と思うのだけど。
ま、そんなこと考えてるのは、地震研究家の本を読んだりしているからなんだけど・・・。