すぐ、ということでなくても、移住の「希望」があることは私の支えになってくれている。
「ここにずっといなくてはいけない」(職場でも学校でも)
「今の状況は、ずっと変わらないのでは」
キツイことがあった時、上記のように思ってしまうことが、自分を追い詰める。

昨日も一昨日もプチ嫌なこと? があったけれど、私はここにずっとはいない、だからこんなくだらないことで凹まないぞと、やや怒りながら思った(笑)

職場で、その日の気分によって、1日返事も挨拶もない人がいる。
声を出すのは、ミスの指摘と、他の人の目がある時だけ。
他の人やお客さんにはしないので、私をキライだということを、あえて(私にだけ)分からせるようにやっている確信犯だと感じている。
何度もあると、こちらも飽きてしまい「私のことが嫌いなのはいいけれど、アナタの気分や体調と私は関係ないんだけどな。(私はいい気分で会社に来たのに)巻き込まないでほしいな」と、だんだん冷静になってくる。
嫌だなと感じた自分のことさえ、だんだん客観的に見えてくる。

あまりに長期間(何度も)やってくれるので、最近、いろいろなことに気づくチャンスになり、気持ちよくはないけれど、まあ、得したかなと思っている。

気づいたこと(得したこと)は3点ある。
一つ目は、過去の自分の誤りを認めることが出来たこと。
自分だって家族に当たったり、特に若い頃(で正規雇用の時)は職場で好き嫌いを出していた。
直接雇用の甘えとは、こういう時に出てしまった。(派遣になったら、ワガママは言ってはいけなかったと気づき、誤りを正した)

今の年齢になると上司目線になり、それがどんなに信用のないことだったのかとゾッとする。
ようは、仕事が出来ても、個人・プライベートの感情を持ち込んで仕事をするならば、その程度の人間と評価されても文句は言えない。
嫌な顔をして仕事すれば相手は仕事をしずらい。それは生産性(売上げ)を下げることになり、チームワークも悪く、会社に損害を与えていることになる。
いくら業務がこなせても、先の態度をどう評価できようか? つまり、私は評価されてはいなかったのだな、と過去の自分を客観視できるようになった。

好きなや気の合う人にはいい顔が「出来て」、キライとか苦手な人の前では嫌な顔を「つくる」。
これを確信犯といわずしてなんというか。
職場(家庭・学校も)でも、やることではない。
自分の感情はひとりで処理して、他人を巻きこまないのは当然のこと。

さて、二つ目は、嬉しかないが、するよりされたほうがマシということ。
客観視出来るようになると、当たってしまった人には申し訳ないという気持ちになる。
自分がされて、こんなに感じの悪いものかと、目で見て分かるから。なんて罪つくりなことをしてしまったのだろうか。

気づいてヨカッタ理由はもうひとつあり、先の「アナタが嫌いです」態度をとってきた人は、社内外で何人かいて、たまたま私と年が近い。
この先も嫌な人がいれば同じことをし続け、更に年をとったらどうなるのか?
40、50を過ぎた人間に注意してくれる他人はいるのか?
直さないまま60歳を過ぎたら、ヘタすりゃ、一生そのままだよ。
ここに気づいた時、「ああ、する側でなくてヨカッタ!」と本気で思った。

自分のキツイなという感情はおいといて、状況を離れてみてみると、相手は真剣にこっちに嫌な顔を向けてくるんだけど、いい年した大人がばかばかしいことをしているなあと「見えて」くる。
あまりにくだらない子供っぽい感情の相手をする(ドキドキしたり、嫌な気分になる(反応する))ことがアホらしくなり、ヘンな顔・声をされたところで気にすることでないとわかる。
嫌われてもけっこうだけど、いちいち伝えてこなくていいよ、ひとりで、やってほしい。
ようは、面倒になってきちゃったのだ(笑)。

最後は、ひとつ不思議な感情に気がついた。
他の人にはわからないように、私にだけはハッキリと嫌な顔をしたり、キツイ声を出したり・・。
当然お客さんの前では非常に感じがいい。
と見事に使い分けをしているということは、私は、先に書いた確信犯だと思っている。
では、なぜわざわざそんな態度をするのか? と考えた時に、その人たちは隠れた自信家なのかなと思った。
自分から嫌われたことで、ショックを受けて欲しいのかなと。
(嫌な気持ちを共有して欲しい甘え)
この自分が嫌うほどのアナタです、と。

でもね、私は嫌な気持ちもそりゃあるけれど、その切替に自分の立場を忘れ「凄いなあ〜」とヘンに感心してしまうんだよね、観客の気分だよ。
で、今の時点で今日書いたことに気づき得した気持ちになっている。
モヤモヤするどころか、頭がスッキリしてきた。
だから、得なの。ヘンだけど。