職場の近くに大手のカフェがある。
そこへ毎日通ってくる高齢者の方々がいる。
同僚や近隣の店の人によると、高齢者のサロンになっているという。
中には日に2〜3回、つまり午前中に1回、昼食を摂りに帰宅、或いは病院へ行く為に店を出て、午後にもう1回店に入りなおす人もいるという。

そこへ行けば話しが出来る。
別の理由で通っておられる方もあり、杖をついて歩く男性の姿を遠目によく見かける。
その方は毎日のリハビリにしているようだ。
手を貸すと怒られるそうで、自力で歩き自分の手でドアを開けることをご自身に課しているのだそうだ。
目的はなんであれ、歩くこと、自分から話すことをやめないように、カフェに通う。そういう使い方があるのだと、今の職場にはいってから知った。

そことは別の店に、昼休みに行くことがあった。連続して2,3回会う70代位の女性がいて、お独り暮らしなのか、同居者が出勤中なのか「お昼はよくここへ来るのよ」と言う。
高齢者の方にとっては、家で少量を作るのが無駄になることがあるし、ランチセット(或いは単品でも量の多い店)は、量が多すぎて食べることが出来ない。
そうすると、必然的にパン1つから買える店を選ぶことになるのだそう。

最初に書いた店は、確かコーヒーが一杯200円ほど。
状況によるが年金受給の身で500円なら1回しか行かれなくても、200円ならその倍行くことが出来る。
彼らの目的は、コーヒーを飲むことでなく、そこで出来た友人と会うこと。
果たして儲かっているのかはわからないが、その店へ行きたい高齢者がいる限り、店に人は集まり続けるだろう。
二つ目に書いた店は、最初の店よりコーヒー代は高いが、パンをひとつから・・の理由で利用者のニーズに合うので、そこもなくなったらガッカリする人は多いだろうな。

どの店がおいしいとか、チェーン店の味はどうのと言う人がいる。私もかつては「美味しいが一番」と言っていたが、利用者それぞれの生活場所や状況が異なること、同業であっても店の役割(立ち位置)が異なり、一店舗(ひとつのスタイル)で全ての客をカバーできはしないことを知り、そういうことを言うのをやめた。
また、素人がこの不況下に頑張って営業する店をあれこれ言うものでないとも反省した。
なんて傲慢なもの言いだったのかと恥ずかしい。
100人いたら、100通りの利用の仕方があって当然。

昨日の記事にも書いたけれど、最近はあまりカフェインを受け付けなくなったので、美味しさにこだわる気もなくなり、気持ちよく利用できる店に時々行く。アッサリしたもの。
こだわりを持つことは、恥ずかしいと最近思うから。