名古屋・岐阜から戻り、今度は芝居とこれまた忙しい(笑)
ネタバレになるので昨日の記事には書けなかったけれど、行ったのは24日ね。(芝居は今日、25日が最終日)

エディット・ピアフの人生に関わった男性たちが語る芝居で、あえて?!少人数しか入らない劇場で行った。
・・ということは、役者と近いったら〜。

大変申し訳ないことに、私はミュージカルや舞台(芝居)の観劇趣味がないため、役者(名)をよく知らない。
ミュージカルの世界は、なんと市村さんしか知らないの。それだって友達が好きだったから知ったわけで、観に行ったわけではない。(ゴメン)
・・というレベルで、いきなり本物の俳優の演技を間近で見せられた。

エディット・ピアフのことも実は知らず、実在の人物と劇中で知った。またパリというから、フランス人の歌手なのかと(苦笑)。

さて、やり直しがきくTVと違い、舞台で演じていた人の凄さは、隙がないということ。
爪の先まで(演技の)神経が通っていると思った。
爪や指の関節の曲がり具合、靴のつま先まで演技をしている。(語らずとも、何かを語っている)
名を知らぬ一流の俳優サン(本当に申し訳ないです)なので、初めて観るはずなのに場面にグイグイひきこまれていく。
背中にも脇にも目があり、演技する自分の顔のシワの深さや、服のシワの寄り具合まで見えて演じているのかと思ったくらい。
観客は前後左右におり、どこから観てもそこがベストアングルの演技。全身隙がない。一流って凄い。

また演技(語り)と唄が交互にあり、非常に集中しているのがわかった。
間近で真剣に、集中して仕事をする様子から、私はなんて自分のいる場(職場)が幼稚なのかと嫌になってきた。
自分だけにわかる態度に暗い気持ちになり、逃げたい気分になる。そういうことをやる大人、それを真に受けて悩む私。
なんてレベルが低いのだろうか。

他の志向の隙がはいらないくらい集中して、その瞬間を真剣に生きる(芝居で人生の時間を使う、表現する)人がいる。
自分はどっちのほうに行きたいのか、どういう風に生きたいのか。おのずと答えが出てくる。
私も、わき目をふらず、悩み漏電せず、真剣にいくほうを選びたい。
あまりに自分との時間の使い方の違いを見せられ、恥ずかしい。情けない気持ちにもなった。
このレベルの低い日常から離れたい、そう思った。
一流の、真剣にその瞬間瞬間を過ごす(使う)人からは、話しをしなくても伝わり教わるものがある。