暮れになってから心身の調子を崩し、販売職にありえないほどの連休をとっている。
医師の指示通り、体と心を休めると、確かに症状が軽くなっていくのを実感する。

発疹による少しの食事制限はあるものの、体は動くので、年末に前職の忘年会に行ってきた。
酒は飲めないけど、気分転換になると思って。

久しぶりに会う元同僚たちは、一番忙しい時期を共に過ごした仲間。
忙しくバタバタと過労で倒れる社員もいたが、互いを思いやり、イライラを他にぶつける人はいなかった。
だから、“その時”が終わった今「あの時はよくやったねえ」と懐かしい思い出として語り合える。

当時、各グループの統括をしていたYさんも参加した。
Yさんは、あまりの激務に何度も倒れ、皆で心配したものだ。
社員、他支所(他県)からの応援社員、派遣、契約社員・・と寄せ集めの部署だったが、会社に忠誠心のないよそ者からでさえ“心配”されるというのは、信頼があるということ。
彼は派遣社員に対し「うちの窮状を助けてもらっている」と言い、出来る限りの気遣いをしてくれた。何度思いやりの言葉を掛けてもらったことか。

話はそれるけど、派遣で会社に入り「忙しいところを手伝ってもらっている」、「(社員を採れないから)きてもらっている」と、トップがそういう考えでいると、その職場はうまくまわっていた。
例えば、一般職が不適切な発言をした場合「うちの社員だけでは仕事が出来ないから、きてもらっているんだ。助けてくれている人に対して何を言うか」と叱る。
ぶっちゃけ正規雇用でないよそ者で、会社への忠誠心なんかないんだけど、大切にされている気持ち(人間扱いされている)ことが伝われば、この人の為に頑張ろう、会社にいる限りはより力を出し切ろうと思う。

反面、「時給○○円払っているのだから、その分働いてもらう」と言う会社は、多くの外部社員(契約、派遣)が長く続かなかった。
人=お金で換算し、いくらだから、損益を出さないようにこれをやらせる(=払ってやっている。仕事をさせてやっている)式の考えは心が通わない。
結局人がすぐ辞めてしまうので、仕事の知識が途切れ途切れになり、効率、生産性が悪い。
時給分働くのは当たり前なんだけど、それを本人に向かって「お前は金だ」とばかりの発言をすればやる気はなくなる。

私は一般社員(ヒラ)で終わる人と、人望で上に引き上げられていく人の違いはここであるといつも感じていた。
仕事が出来ることと、部下を統括する(人がついていきたくなる)センス・人望は別モノだ。
今自分が言ったことを、他人はどう感じるか。
想像力がないと、出世はある程度で止まるだろう。これからは、特に。

店でも同じ。自分が上司(経営者)だから、先に入ったからと何を言ってもいいわけではない。
人に何でも「言えて」しまう人は、その先がないといってもいい。
客を大切にとわざわざ口に出す人に限って、案外スタッフをぞんざいに扱う。
社員は辞めたらその会社(店)の客になるのに、その想像力が欠落している。
その先を見れない勘の悪さが売り上げを失う。
スタッフを大切にしない人は、たいがい顧客にも失態をしている。

オフィスの場合、たいがい今は社員に1メールアドレスが付与されているから、管理職であれ一般職であれ不適切発言、行動の事実は一瞬で人事に飛ぶ。
辞めた会社では、それで出世の道を閉ざされた人が何人かいた。

話は戻り、Yさんは上司にも部下にも、外部の派遣にも評判がよかった。
Yさんの上司にあたるIさんも忘年会に参加していたが、部下への対応、下からの評判は評価の一部になるのだろうか。Yさんは職位が上がったそうだ。

前よりエラクなったYさんだけど、お酒がはいり気分が明るくなってかなりお喋りになって、以前と変わらぬ親しみやすさだった。

ある程度、人数がいて競争(?)がある環境で部下を持つ人の話は勉強になった。
社内での管理職教育(意識、部下への教育等)を受ける機会があって、自分でも勉強をしてる人はそれとわかる。
YさんやIさんの話は面白く、自分にも取り入れられる人脈のつくりかた、リーダーとしてのものの考え方、物事の捉え方、乗り切り方など面白くてもっと聞きたいと思った。
もっともっと、こういう、自分をシャキーンとさせる会話の機会がほしい。

気がつくと、彼らといた間、最後のほうは薬が切れた時間であるにも関わらず、全く痒みも体の不快感もなくなっていた。
それに気づいた時、今後を考えなきゃ、とふと思った。