去年の末、パソコンが壊れたため保存していたデータが全て消えた。
あまりにアッサリなくなってしまったので、残念というより、年末だったしスッキリとした気分。

このブログの一部を保存していたPC内のフォルダは消えてなくなり、別の記憶媒体に保存しなきゃだめだと改めて学んだ。

保存の目的は、少しのお金でブログの内容が本に出来るというので、過去の記事をチョイスしていたのだけど、年末にそろそろ地震がきそうと感じたとき、あることを思った。
自分の1年の記念のためとはいえ、わざわざ過去に書いたものにお金を掛けるだけの価値があるのか?
あえてまとめるなら、今までの仕事(出来事や同僚)のことをもっと入れたいなあと思った。
以前書いた正義感のある人気バツグン営業マンの王子様やウマイ、新人時代に仕事を教わった上司はコワイと恐れられていたけれど素顔は情のある人だったしな。
ようは、一緒に働いた人たちを通した仕事への姿勢や生き方考え方、コワイところでは同僚たちの不倫顛末などを書いてみたい。

派遣ではダレでも知っている大手にもいたし、社長と二人の会社でも働いた。
今思えば福利厚生が充実し恵まれた会社にもいたし、残業代不払いや社会保険不加入(不正)の会社にもいた。
天国も地獄も見たとはいわないけれど、物語としては面白いかな??と今なら自分を客観的に振り返れそうと思う。

いろいろ学べたし。まわりがみぃーーんな頭がいい大学(院)卒の人たちとも接し、結局箱(会社)が違っても、人の心理の仕組みは同じなんだなと経験できたりね。

大企業で働く20代~の男性の本音などは、私は彼らからすればビミョーな立場・年齢なので聞くことが出来た。それをそのまま書くことはないけれど、機会があれば出したいと思う。

大企業にいていつも感じていたのは、世の奥さんは子供の学校の話(いいところへはいらせたいと気をもむ)をしているけれど、実際に皆さんが入れたいような企業の中にいると、程度の良い大学を出ても意味はないとわかった。
ようは、どの学校を出ても学歴(経歴)には上には上がいて、学校をどうしたところで仕事には関係ない。
(昔ならいざ知らず学校名は役には立たない。会社で生き残れない。)
つまり医師や弁護士といった学部が職業に直結する仕事でない限り、学歴など今後は役には立たないということ。

それより、子供の特徴・良いところ(“子供が”興味を持つことで好きで得意なこと)を伸ばし、世の役に立つスキル可したほうがいい。
つまり「この人はこれ!」という特徴を作ってしまう。そちらを活かせるほうがいい。
(例が極端か?わからんけど、おさかな君みたいな・・)
更に、言葉の使い方や礼儀、人との付き合い方のコツを身に付けていないと無理、とも感じている。

フリーでも、企業でも、実力、知識のある人などいくらもいて、好きでないけれどガンバる人と好き・興味で働く人ではどうしても好きで努力が苦にならない人のほうが仕事がバンバンできるようになる。
最初は同じ程度でも、年月が経てば経つほど差が開いてくる。

いくら頭が良くても、興味がないと記憶や能力に限界がかかる。これは本人の能力の問題でなく、心(深層心理?)の本音なので仕方ないんだなと、私よりもずーーっと頭がよく能力もセンスも持ち合わせている人たちと働いてみてわかった。
ま、あくまで個人的な経験の話なのではあるけれど。

そんなわけで、塾に行くのもいいけれど、それはあくまでスタートライン(大学に入るのは普通みたいになってしまっているので)なので、手間を掛ける割には平均を作る作業にしかならないんじゃないかと、仕事を通してそう思った次第。
興味のあることをさせたほうがいいのにな、と某企業で働いてみて私は思ったわけで・・。
ま、私の主観であるんだけどね。