1,2年くらい前からだろうか、母を見て「小さくなったなあ」と思っていた。
特別思い当たる不調は見えず、いや、去年の震災直前に「!!」ということはあったが、家族の誰なのかはっきりしないまま東日本大震災が起こり、その後同様のことがなく、気になりつつも記憶が薄れてはきていた。

即入院と言われて私は非常に後悔した。地震が怖くても、忙しくても、なにがどうでも、母を病院へ連れて行けばもっと早く対処してもらえて、こんなことにはならなかったのではないか。
まだ親孝行らしいことはしていない。
勝手な言い草だが、なにもしないまま死なれては後悔する・・・今まで好き勝手にやってきた自分の行動を猛省した。
過去は変えられないけれど、とにかく今に集中してベストの動きをしよう。母がしてくれたことの何分の1も返せないけれど、今回自分ができる事はやりきろうと決めた。

総合病院でまさかの病名も出てショックを受けた母に聞かせないため、弟に電話する時は買い物だと言って外へ出た。
電話ボックスからであれば、会話は外にもれない。
「病気が何かってことはおいといて、輸血しないと危険な状態だって」
「病気に関しては、もしも・・・だった場合、治療や手術をすれば大丈夫な初期とか、末期ってことは今わかるの?」
「血液の質は何ともなくて、ドクターも???な状態らしい。つまり、検査をして調べてみないとわからないんだって。それでも、今考えられる病気はいくつかあって・・・」
・・・五分五分と言われながらも、弟も私もショックで悪いほうに想像がいってしまう。

「私たちは一応最悪のことも想定しないといけないよ。病気の場合と、何でもなくても今後の生活をどうするかね」
「急に、妙に優しくすると本人が‘自分は深刻な病気かもしれない’と心配するから、いつも通りにしよう。」
と打ち合わせた。

その夜、弟が駆けつけ「まずは血を入れることが基本だからさ。検査はそのあとだから。堂々と家事休めるし・・」と入院するようさりげなく言ったところ「観念しなきゃいけないかな」と了承したという。

翌朝、母はもう病気の話を聞きたくないというので、検診をしてもらったD医院へ私一人で行った。
「家族の者ですが、検診結果を取りに来ました」と受付すると、順番を早めて診察室へ通してくれた。
「先生、この度はありがとうございます。先生が強く言って下さらなければ、総合病院へすぐに行ったかどうか・・・。
ガンの可能性も高いと言われ、即入院と言われました。輸血と検査の必要ありだそうです。」
「よかった。血がね、3分の1しかないんですよ。これは内臓のどこかから出血していると考えられます。
データ的には生きていることが不思議な状態でね。僕は早く大きな、入院できる病院へ行ってほしくてハラハラしちゃったよ。
にも関わらず、ご本人は何ともないってケロッとしているでしょう。こりゃ困った、どうしようかとね・・・」
先生は優しい目で話をし、母が言うようなキツイ嫌な人には見えなかった。
それどころか「例えば胃潰瘍でも高齢者の場合は出血するんです。痛みがなくて本人が病気に気づかないこともあります。
出血というのは、ある一定量まで減ってしまうと加速して、高齢の方は夜寝てそのまま・・・ってことがあるんでね。これではご家族の方がやるせないでしょう」
と説明して下さった。

そのあと総合病院へ移動。内科・K医師の予約を取っていた。
これは弟と打ち合わせ、母に内緒で(もはや強引に)入院の手続きをするために予約したものだった。
診察のつもりで病院へ連れて行き、入院をさせようと・・。
先生がいい方で「月曜にいらしたら、私から入院しましょうと話をふりますよ」と言って下さった。
親をだます猿芝居?! をドクターと打ち合わせる娘。なんとも、はぁ〜。

ところで、検診を行った医院のD先生も、総合病院で主治医となるK先生も、普段の顔は非常に優しげ。
K先生など非常にソフトな雰囲気。
・・・だけど、前回も書いたけれど、患者に病気の可能性を告げる時は厳しい顔つきになる。
とても同じ人とは思えない。仕事とはいえ、緊張を伴い、医師としても出来れば避けたい場面なのではないかと思う。
つづく・・・