実は私、年末から具合が悪かった。
職場で八つ当たりの対象になってしまい、数ヶ月我慢していたら体に症状がでた。
身心症と診断され薬が出た…のだが、薬が残り1となったタイミングで母が入院した。
母の入院前から風邪もひいていた。微熱もあった。
…のだが、「入院」になった時点で自分のことを忘れた。母の命を繋ぐほうが大切なのだ。

この時期、弟の同僚が心臓発作で入院してしまい、彼の休みは10日に1回になった。
夜勤のある仕事なので、朝帰ってきてもっと寝ていたいところを、弟はわずかな時間をつくって母のための買い物をしたり、面会時間に顔を出していた。
弟が仕事で動けないぶん、病院の事務手続きは全て私がしたが、それは当然のことだと思っている。互いが出来ることを出来る限りする、それでいい。

 このブログでも時々話題にする「伊勢白山道」では、うつの人に自分のことはおいといて人のために動くことを勧めている。
母の状態が気になり眠れない、食欲もない、それでも気がつくと心身症も風邪も治っていた。
(うつまでいかなかったけど)自分の体験から、先のアドバイスは有効だとわかる。
面白いことに、私は精神的にも元気になっていった。
今回、自分にできることはやりきろうと決めたので気合が入ったのか、一番元気な時の自分がよみがえった。
必要な物事はバシバシ打って出た。
まあ、“命”が相手なので、躊躇している暇はなかっただけなんだけど。

見栄っ張りでカッコつけの性格も、母のためにはどうでもよかった。つまり、人目なんかどうでもいいと。他人にどう思われたっていい。それよりも大事なのは、私を育ててくれた人を守ることだ。

母の体を心配する叔母からは、毎日電話が掛かってきた。従姉妹は母のことが気になって眠れないと、一旦床に入っても起きてくると叔母は言う。
従姉妹は子供の頃から車椅子生活を送っている。自分のことより、伯母である私の母を気遣ってくれている。
正直体がキツくて、動けない日もあった。叔母の家族まで母を気遣ってくれているのに、そんなこといっている場合じゃない。
だから洗濯物を交換しに病院へ行く時は、笑顔を作ることを心がけた。

先の「伊勢白山道」(ブログ)には、非常に助けられた。
一番の支えになってくれたのは、過去記事にある「やれることをやり切って、倒れるなら前に倒れる。そうすれば後悔しない」という内容だった。
それを思い出し、ひたすら前を向こうと決めた。
暗い想像をする隙が出来そうな時、今後の不安が頭をもたげる時、一旦思考をストップして「倒れるなら前へ!」と何度も自分に言い聞かせた。
「やり切って、倒れるなら前へ倒れよう!!」
何度そう思ったかわからない。

誰が一番つらいのかといえば、大病かもしれないというプレッシャーを抱える母である。
慣れない検査をして、輸血までしている母なのだ。
私の疲れは一時的なもの。病気ではない。時期がきて休めば元に戻る。
自分の時間が全くなくなっても、今までたっぷりあった。たまにはいいだろう。
人目なんかどうでもいい。がむしゃらに突き進もう。
今の自分にとって、何が一番大切か。
生活の中で何を優先させたいか。
それを考えると、私はつらい体験をしているなんて思わなかった。
生きていてよかった。この体験を“させてもらって”いる。この機会を頂けてよかった。これが生きているということなのかもしれない。
そう、思った。
つづく・・・