母が退院してほっとしていた頃、K君から連絡があった。
数日ずれていたら、精神的にも時間的にも返事が出来ない状態。
タイミングの良い人っているんだなと思う。

今回の母の入院では、不思議なくらい様々なタイミングが合い、物事がうまく運んだ。
例えば入院手続きのこと。
身心症と診断され薬が出た私、もう限界…と年末に発作的に退職を申し出てしまった。
転職活動の為にとった(ハズの)有給休暇、休みになってすぐ母が入院した。
ようは入院の手続きや買い物が「全て」出来る時間の余裕があったわけ。
あの時期仕事をしていたら、付き添いや入院手続きが一気に出来たとは思えない。
まるで入院に合わせて辞めたみたい・・・。

話はチョットそれるけれど、入院中及び退院してからの母の様子見を見ていると、ギリギリのところで助かったのだと素人でもわかった。
入院前とは顔色や顔つき、意欲、体力がまるで別人だもの。
入院前、二人の医師から生きているのが不思議な検査結果だと言われたが、決して大袈裟な表現ではなかったと改めて思う。
逆にいえば、少し遅れていたら行き先は病院でなく斎場だったかも…。

話を戻し、退院して2日後、眼科検診に付き添った。
前倒しで白内障手術をすることになり、不思議なくらいスムーズな流れにスカッとした気持ちで診察室を出た瞬間、仕事依頼の電話がかかってきた。まるで私の行動を見ているかのようなタイミングの良さだった。

突然決まった眼科手術と私の仕事。
私は外せない研修がはいり、家(神奈川)を1週間離れないといけなくなった。
弟は帰りが遅く、内科の入院前より体の調子が良いとはいえ、母を一人にはしておけない。
これには叔母が「家においで!」と言ってくれ、私たちは安心して仕事に集中出来た。
おまけに料理上手の叔母が栄養バランスの良い食事を用意してくれたおかげで、母は更に元気になっていった。

更に・・前倒しになった左目の手術後、ドクター・ハイテンションが「思った以上に見えるようになって驚き!」というくらい母の眼は順調に視力を回復した。
私の仕事がスタートし毎回病院へ付き添えなくなったけれど、母は今一人で病院へ行かれるようになっている。

「ふんばろう東日本」代表の西條剛央さんの著書『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社)の中で、西條さんの専門分野「構造構成主義」を体系化していたことが、震災や変わり続ける被災地への対応に役立ったとある。
本の中の会話にある「・・・もう西條さんがやるしかないというくらいに、すべてのお膳立てというか、条件が整っていましたよね」・・・コレだよ、これ。
母が休める弟の家、病院の手配が出来る時間と人力が「準備できた」合図が出て、誰かがそれを見ていたんじゃないかと思うほど、見事にコトが動いた。それも“時間内”に。
こういうことって、あるんだね。