先日K君から芝居のパンフレットが届いた。公演まであと3週間。今度はどの役を演じるのだろうか。

舞台って“演技”のはずなのに、芝居の向こう側に、人生が丸見えなんだよね。
演技力でごまかすことができない、重ねた経験が雰囲気に出ちゃう。

俳優業に限らないけれど、例えば恋愛だったらうまくいくことも失恋も、片思いも一方的に好かれることだって、あったほうがいいんじゃないかなとふと思う。

自分で選んでいるつもりの、いわゆるもてる(だけの体験しかしていない)人って可哀想と思う。
自発的に物事を動かしたというより受け身だし、主導権握っているように見える裏でこぼしている体験はあるし。
あ、これは20代の頃はわからなかったんだけど(笑)

日常の生活でも思うよ。
“わからない”人の残酷さ。あぁ、この人
は人の気持ちがわからないのね、って。経験していないのね、って。
若い頃だけだよ、いろいろ許されるのは。
結局、年とれば平等。
不況といわれる今は厳しいだろうね、人間性でしょう、おおもとは。
多少仕事(勉強)ができても、この人仕事もプライベートもだめだろうな(だめになるだろうな)、とわかってしまう。

まあ、経験といっても何でもかんでも出来るわけではないよね。
自分がつらかったことは、誰もがしたほうがいいとは思わないし。
であれば、人の体験から学ぶしかないのか…。
これが想像力なのか。

ところで、K君は、例えばメールの文ひとつにも思いやりがあるんだよね。
文章力とはまた違うもの、雰囲気が残っているっていうか。
私は彼の人生の体験の、多くを知っている訳じゃない。
知らないことのほうがずーっと多い。
だから短い文面であっても思いやりをもって書いてくれているなと優しさを感じる時、この人はどれだけの体験をし、他人の体験から学んだのかと興味をもつ。
演技と文て、全く違うものなはずなのに、似てる?

そのK君に、もうファンがついているらしい。
何か伝わるのかな。
自分のことみたいに嬉しいよ。