湘南と全然関係ないかも日記
地域のこと?日々の出来事、感じること
 
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ワンちゃん
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[Web Log] / 02/22 22:32

母が入院して1週間。見舞いに行ったら姿が見えない。
部屋の奥を見ると、個人ごとの仕切りに使うカーテンの裾から、淡いオレンジ色のパジャマが見え、靴下から母と分かった。
自分のベッドを離れ、奥の人の所までしゃべりに行っていた。
調子が良くなったら、じっとしていられないらしい。

出血は子宮筋腫からだったらしく、処置をして今は問題なし。
婦人科医は「検査しましたが、他の病気もありませんでしたので、卒業です」と厳かにおっしゃった。
他の臓器の疾患もみつからず「これだけ検査して何も見つかりませんでしたから、大っじょ〜ぶ!」と主治医のK先生が親指と人差し指でOKサインをつくったと、母は嬉しそうに真似をした。

母は案外入院生活を楽しんでいた。
先生や看護師さんは優しいし、同じ病室の患者さんたちとは仲良くなった。
上げ膳据え膳だし、何より大病ではなかったのがいい。
「大腸の検査はこれきりでいいけど、他は楽に終わっちゃったッ」とケロッとしている。
最初は2週間も入院なんて嫌…と言ってたのに、自宅より居心地がよかったらしく、K先生から予定より早く退院出来そうだと聞いたら暗い顔になった。

…ら、その夜から手が3倍に腫れあがった。手のひらがカサカサで水泡ができ、グーパーが出来ない。
同じ病室の人も以前似た症状になり、乾燥が原因だったという。
母の場合は輸血をし、体の3分2は他人の血がはいっている。
弟が同僚から、大量輸血をすると体質の変わる人がいると聞いてきた。一時的に抵抗力が下がるためだという。
念のためこれを調べた内科では異常がなかったが、K先生が心配して皮膚科受診を手配して下った。

私達はまたこれを逆手にとることにした。
これでは家事は出来ない。退院後は腫れがひくまでゆっくり休まないといけない。
血が馴染むまで、大事をとらなければいけない!!
…ということを、弟や叔父、叔母、私が繰り返した。
新たな洗脳である。
しつこく言い続け、弟の家で私が食事を作ると説得したら、少しの間なら行くという。
つづく…。



[Web Log] / 02/22 12:26

母が入院する時、父の見舞いはいらないと言った。
その頃はガンの疑いが一番あったので、余計な神経を使い治療に差し障るのは避けたいと思い、私は母の意志を尊重したいと思った。
弟にこの件を連絡すると「仲がいいとは言えないけれど、何十年も連れ添った夫婦じゃない?」と信じられない様子だった。

叔母(母の妹)に電話すると「会わせないほうがいい。退院してからも、家には帰らないほうがいい」と言う。母から愚痴を聞いていた叔母から、子供達も知らない父の酷い言動が明らかになった。

子供の私からみても、父は母を“お手伝いさん”のように扱い、私や弟は従業員の子供のような感じだった。
父だけが威張って母の自由は殆どない。
100歩譲って両親の年代独特の亭主関白と表現したとしても、家族・夫婦の雰囲気は愉快なものではなかった。
父から思いやりの言葉を聞いたことはなく、大病の可能性が有る今回の入院に関しても、母の体を気遣うどころか父は自分のことしか考えていない様子だ。

最近は特に、企業でも政治でも今まで隠れていた“不適切”な事柄が明らかになり、人間の“良心に従った”改善を求められている。我が家も同様で、今まで見て見ぬふりをしてきた家族のあり方、父の勝手ぶりをこれ以上継続させてはいけないし、母の環境を改善しなければいけない状況に直面した。

入院以来、私と弟は毎日電話かメールで母の様子と、今後の生活を話し合った。
叔母からは毎日電話があり「お母さんを家に帰しちゃいけない」と繰り返す。
妹として悔しいと。
なんとか自宅へ戻ることを阻止したい思いを感じた。
自宅に戻ったら、また父の世話ばかりで自分の体を休めることは出来ないだろう。

叔母と叔父は出来る限りのサポートはするので、母の部屋を用意できないかと弟に頭を下げた。
私には中部地方にいくのを止めて、神奈川に残り、母(弟)の家の近くに住んで欲しいと言う。
正直最初は迷いがあった。
県までターゲットを絞り、給与や家賃水準を調べていた。具体的には給与水準は神奈川と同じで家賃は3分の2、物価もここより安いから、神奈川で生活するより楽になる見込みはつく。
数日悩んだが、自分の良心に従うと、今まで好き勝手にさせてもらったし、母に何か出来るのは今しかないと腹をくくった。
弟も腹を決め母の部屋を用意し、必要な物を買いに行った。

…以上が父のいないところで、決まっていった…。
弟は見舞いの度、母に部屋を用意したのでうちにおいでと説得したが、なかなか首を縦に振らない。

週末、K先生が「暫くは通院で様子を見なきゃいけませんが、来週早々退院できそうです」とおっしゃった。
一瞬、母の表情が曇ったのを私は見逃さなかった。
なんとかしなければ。
つづく…。



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