今日も湘南しらす漁順調です。

『幸福途上国ニッポン』の著者「目崎雅昭」氏のブログ『ちょっと、それって』でブータン王国の事について興味深い記述を見つけました。

以下その内容をご紹介します。

ブータンは本当に幸福な国か

1972年、ヒマラヤ山脈南麓の小国ブータンでは、当時16歳のシグミ・シンゲ・ワンチェクが第4代国王に即位した。

そしてまもなく彼は、ブータンの将来について「GNP(国民総生産:Gross National Product)ではなく、GNH:Gross National Happiness(国民総幸福量)を国家の目標にするべき」と発表した。

しかしこの事実は、1986年に英国フィナンシャル・タイムスのマイケル・エリオット記者が報道するまで、世界にほとんど知られていなかった。

近年では、GNHという概念は徐々に世界に浸透しつつある。

最近はイギリスやフランスの政府でも、国民の幸福度について真剣に政治課題として議論されている。

また日本の鳩山前首相も「国民の幸福実現に向けて、幸福度を調査する」と発表した。

そして当のブータンは、いまや幸福な国家の象徴ともなりつつある。

しかし、果たして実際にブータンの国民の幸福度は高いのだろうか。


レスター大学の調査では、ブータンは178国中12位であり、幸福度の調査で常に上位を占めている北西ヨーロッパ諸国と肩を並べている。
ブータンの一人当たりGDP(購買力平価換算)は約5,000ドル(約45万円)であり、名目の一人当たりGDPでは、わずか1,300ドル(約12万円)でしかない。

これは北西ヨーロッパ諸国の10分の一程度であることを考えると、ブータンの幸福度は例外的に高いことがわかる。

まさしく「お金はないが、幸せがいっぱい」という、絵に描いたような国家が実現しているのである。


しかしながら、レスター大学以外でも幸福度の調査はたくさんあるのだが、ブータンの幸福度については他の資料がいまのところ存在しない。

そこで、このひとつしかない結果については、もうすこし注意深く見る必要があるだろう。


ブータンの人口は、わずか70万人にも満たない。

これは日本の都道府県で2番目に人口が少ない島根県や、東京23区では練馬区とほぼ同じ数である。
また、ブータンの人口密度は18.1人/km²であり、島根県の114人/km² や練馬区の14,820人/ km²に比べると、極端に低い。

言いかえると、ブータンの人口密度は、島根県の約6分の1、そして練馬区のなんと800分の1である。

これはブータンの人口の80%以上が農家であることが関係している。

ブータンは周囲をヒマラヤ山脈に囲まれているため、国全体が厚い雲によって隠されてしまうことがよくある。

私がブータンを訪れた時に乗った飛行機は、天候の悪化で予定どおり到着できず、国境を越えたインド国内の飛行場で臨時着陸して、天候の回復を待つことになった。

しかし数時間待っても天候が回復しなかったため、結局私の飛行機は出発地のコルカタへもどり、一晩を過ごすこととなった。

翌日は無事にブータンへ到着することができたのだが、近くに座っていたインド人は「今回はラッキーだ」と、着陸前に手をたたいて喜んでいた。

話をよく聞くと、前回彼がブータンを訪れた時、なんと7日間もつづけて着陸できなかったらしい。


ブータンに入国することは、天候の他にも障害がある。

普通の観光客がブータンに入国することが許されたのは、1974年以後のことだ。

しかし政府は、弱小国であるブータンの文化を守るために、毎年入国できる人数を制限してきた。

近年では人数制限はなくなったが、事前に政府直属の代理店を通して日程をすべて決める必要があり、さらに一泊につき最低200ドルを支払わなければならない。

この金額には宿泊代、食事代、交通費、そしてガイド代も含まれるが、個人で自由に行動することは制限されている。

そのためにブータンを訪れる外国人は、ほとんどが金銭的にゆとりのある高齢者の団体で、若いバックパッカーなどはほとんどいない。


しかしそれは、政府の目論見どおりなのであろう。

世界中から若者が集まってくるネパールのカトマンズやポカラでは、現地の若者たちの西洋化が、急激な早さで進んでいる。

そのような状況を目の当たりにしていたからこそ、ブータンはあえて鎖国のような形をとることで、自国の文化を守ろうとしているのである。


ブータンでは母国語としてゾンカ語が話されているが、学校の授業などはすべて英語で行われる。英語は事実上の公用語である。

そのため、私が出会ったブータンの人々は、みんな流ちょうな英語を話していた。自国の文化を守るために外国人旅行者の数を制限しているほどの国が、学校教育をすべて外国語にしていることは、一見すると矛盾しているようにも思える。

しかし英語が公用語となることで、国際的な視点が身につくのは間違いない。特筆すべき点は、若い人々が驚くほどしっかりと自国の文化とその政策についてしっかりとした意見を持っていることだった。

そして政府は、優秀な学生を留学生として世界各国の大学に派遣している。

海外に留学した学生は、ヒマラヤの小国をよりよい社会にするため、90%がブータンにもどり、祖国のために働いている。

これは幕末から明治初期にかけての日本に似ている。海外に出た日本人留学生たちが、開国後の日本の発展に大きく貢献したことはいうまでもない。

ブータンはひとりあたりの実質年間GDPが12万円程度と、数字上では発展途上国に属する。

しかしながら驚くべきことに、教育と医療が無料というヨーロッパ並みの社会福祉が完備している。

これはブータンが山岳地帯という地理的条件を利用して水力発電を活発に行い、電力をインドに売却して外貨を稼いでいることが大きく貢献している。

そして政府は4つの柱という、4つの基本理念によって国家を運営している。

4つの柱とは以下のとおり。
(1) よい統治
(2) 公正な経済発展(経済成長と開発)
(3) 文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興
(4) 環境保全

この4つの柱のうち、「よい統治」以外の3つは非常にわかりやすい。

そもそも「よい統治」とは、いったいどのような統治を差して「よい」とするのか、かなり曖昧な概念である。

結論からすれば、国民の幸福度が高ければ、
それがよい統治ということになるのだろう。

そこでGNHを研究しているブータン研究所は、国民の幸福度を測るために9つの領域を示している。


9つの領域とは、(1)生活水準(2)健康(3)教育(4)生態系と環境(5)文化の活力と多様性(6)バランスのある時間活用(7)よい統治(8)コミュニティーの活力(9)心理的な幸福感である。


しかし、ここには自分の人生を思い通りにコントロールしているかという、個人の自由度に関する項目はない。

それは、ブータンの人口の大半が農民であるという事実にも関連しているのだろう。

そしてもうひとつ、そこにはあまり語られていないブータンの恥部がある。

個人の自由や人権について、ブータン政府が公言できない理由が隠されているのである。


ブータンの恥部

ブータンの母国語がゾンカ語であることはすでに述べたが、実はブータンは多民族国家であり、人口の6分の1近くはネパール系の住民で占められている。

1980年代後半になると、増加しつつあるネパール系住民に対して、ブータン政府は危機感をつのるようになった。

人口構成比への脅威と、文化の存続への脅威である。


実は先例として、1975年に隣国であったシッキム王国が、ネパール系住民の増加でインドに併合されてしまったのである。

そこで政府は、出生率の高いネパール系住民へ神経質になっていた。


そして1990年代になると、政府はネパール系住民を強制的に国外退去させていった。

いわゆる民族浄化である。その時に、拷問などの人権侵害があったという報告もされている。

人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチによると、ブータン国籍を剥奪されたことで、ネパールにある難民キャンプで生活する人々は、現在約10万人いる。ブータンの人口が70万人程度であることを考慮すると、これはかなりの数である。


文化を守るという大儀があるとはいえ、人権の侵害するようなブータン政府の行為は、個人を軽視するという、典型的な集団主義である。


もとよりブータンは、先進諸国のような産業が中心とした社会ではなく、村社会としての集団主義的な側面を強く残しているのが現状である。

これは社会心理学者エーリッヒ・フロムが指摘した、個人主義が台頭する以前の社会と似ているのかもしれない。

したがって、今後もブータンの経済構造が変化しないのならば、個人の自由や人権については、あまり重視されない可能性はある。


それは裏を返せば、今後ブータンが国際社会からの影響を受けていくにしたがって、人々がもっと個人主義的に変化していくことも充分に考えられる。

その時には、「個人の自由度」という項目が追加されるのかもしれない。

しかしながら、それはブータンの伝統ではないとして、かたくなに拒否する可能性も考えられる。


ここで、ブータンに関するその他のデータを見てみよう。


ブータンの平均寿命は66.1歳である。これは他の先進諸国に比べて10歳以上も短い。

ブータンの経済状態から考えると、高度な医療を国民全般に普及させることが困難なのであろう。

そこで幼児死亡率は、先進諸国の約10倍と非常に高い。

また、高齢者を始め、多くの重病患者への医療が先進国並みに提供できないことは、ブータンの平均寿命が比較的短い大きな原因のひとつだと推測できる。


それからブータンの識字率は、なんと47%である。
これは世界でも最低のレベルだ。国民の半分以上が、文字が読めないことから、学校教育が無料という名目でも、実際には多くの子供が学校に通っていないのが実態であろう。

これも、奥深い山に住む農家が中心となっている人口構成が理由だと考えられる。

そこで「社会福祉がすべて無料」という宣伝文句は、額面どおりに受け取るべきではない。


いずれにせよ、ブータンを「幸福度の高い国を目指している」として、ひとつの手本とすることはできるかもしれないが、国家のサイズ、地理的条件、産業構造、経済発展の進度と、どれをとっても現在の日本とはかけ離れている。


もしも「日本を江戸時代の生活に戻す」という名目をかかげ、知識人を国外へ追放し、国民のほとんどを自給自足の農民へと強制的に就労させる、などという政策を断行するならば、話は別かもしれない。

ただし1970年代、カンボジアのポルポト政権では、それと似たような思想があった。その結果として、近代科学を一切否定し、知識人階級をはじめとする数百万の同国民を虐殺している。

教育を受けていない人々を、国の政策として無教養のままにすることはできるだろう。

しかし日本のような先進国において、教育レベルの高い国民に対して、すべて農家になることを強要するのは現実的ではない。

これまで人類の歴史という大きな流れのなかで、世界のどこでも「個人の選択の自由」を獲得する精神が養われてきた。

そして選択の自由は、多様なライフスタイルを必然的に生み出す。

しかし時には、自由を人為的に抑圧しようとする国家も現れた。全体主義や、イスラム原理主義などはその例である。

しかしそういった国家でも自由を求める動きが消えたことはない。

長期に渡って国家が自由を抑圧しつづけることは困難であろう。

ブータンが近代化を目指さない限りは、現在の幸福な国家を維持できるかもしれない。

しかしそれは同時に、これから先もブータンに入ってくる情報と人の流れを制限すること、つまり鎖国のような状態を維持する必要があるだろう。

したがってブータンのGNHという政策は、残念ながら日本を始め多くの国にとって、国家の目標とならないばかりか、あまり参考にもならないだろう。