結果がどう出るのか、とても微妙な段階でこれを書いているので何とも言えないが、またひとり友達が小説家になっちゃったことは確かだ。
というのも、前回のコラムで登場した山下澄人がこの夏の芥川賞候補者になったからである。このコラムは7月15日ころに掲載されるだろう。
一方、芥川賞の発表は7月17日なので、すれすれで結果は分からない(笑)。
僕としては山下君が芥川賞をとってもとらなくてもどっちでもいいのだが、いやそれはとったら凄くめでたいし嬉しいけれど、基本的に僕は山下君に小説家になって欲しいわけじゃなく、劇作家として優れているので、彼の主宰するFICTIONの芝居が更に面白くなればいいなと、正直なところそう願っている。
まさかそんなことはないとは思うが、今後は小説一本に絞る! とか言われたらものすごくつまらないし悲しい。

かつてイソケンこと磯崎憲一郎が芥川賞をとった時は、素直に嬉しかった。
保坂和志と11年前にホームページを始めた時に、「そのうちこのHPの読者からひとりでもプロの小説家が出るといいね」と話していたので、一読者であったイソケンが、プロどころか芥川賞までとるとはある意味でき過ぎの感があった。
イソケンはある日突然小説家になったが、サラリーマンをたぶん辞めないだろうし、当分の間は専業の小説家にはならないだろう。そう予測し、事実その通りの道を歩んでいるわけだが、それはそれですごいことでもある。

山下君にも是非ともそのスタンスでやって欲しい。
芝居作りが主体で小説は余興(笑)。
こんなこと言うと誰かから「小説をなめんなよ」と叱られそうだけれど、その形態がなんであれ、僕の脳をかき回してしてくれるものなら何でもよいのだ。そう、かき回してくれなきゃいけない。
そうじゃなく、頭の中にスコーン!と入って来るものは、感心したり腑に落ちたりするだけで、結局のところ面白くもなんともない。
僕にとって面白いと感ずるものは、決して腑に落ちたりしないものと相場が決まっている。なんだなんだ、どうなってるんだ? と困惑させられることこそが快感で、かと言って訳の分からないものなら何でもいいっていうわけじゃないので、そのへんが微妙で難しい。難しいけれど、それは僕の脳の嗅覚が自動的に判断することになっていて、何だよ単に訳の分からないだけのものか、とか、いやいやこれはものすごく興味をひく訳の分からなさだぞ、とか、ほとんど僕のわがままで決まる。
その点、山下君の創造するものは後者のほうで、それが世間の評価と一致しようとしまいとそんなことは構いやしない、僕は楽しめる。

ところで僕はまず小説というものを読まない。
たぶんここ三十年くらいはほとんど言っていいほど読んでいない。
今回山下君の「緑のさる」という小説を読んだのは、読んで感想を言うという彼との約束があったからで、たぶん保坂が芥川賞をとった「この人の閾」を読んで以来、17年ぶりに読了した小説ということになる。
保坂は芥川賞受賞以降何編も小説を発表しているわけだけれど、僕は一冊も読んでいない。「季節の記憶」では僕がモデルの一部として登場しているけれど、それさえも読んでいない。いや、正確にいうと、読んでいないけれど、半分くらいは読み聞かせしてもらって音読として読んだ?ということになる。
誤解を避けるためにもはっきりさせておくけれど、別に保坂の小説がつまらなそうだから読まない、というわけではない。
小説を読むことにたぶん僕が向いていない(笑)。
それでいいのだ。保坂和志という人物そのものが僕にとって面白いのだから。
強いて小説とは何かと問われれば、「長い例え話」と、僕はいつも答える。
僕にとって小説とは結局のところそういうものなのだ。
小説とは作家のヨタ話し、というと実もフタもないけれど、言い方を換えれば、作者が考えていることを小説という架空の世界を構築することによって表現するもの。
だったら、小説を読むという手間のかかることをしないで、本人と面と向かって、比喩とか暗喩とか抜きで、その例えの元となる「考えていること」を直接聞くほうが面倒臭くないし楽しい。

というわけで、今回、芥川賞候補作となった文学界6月号掲載「ギッちょん」という山下君の小説も僕は読んでいない。
読んでいなくてもだいたい分かる。
小説の内容が分かるのではなく、山下澄人という人物が作り出す世界観が分かっているという意味だ。
これまでに山下君と何度も色々なことについて話しをし、FICTIONの芝居をいくつか観、前作の小説「緑のさる」を読んだことで、それはすっかり僕のお気に入りとなって、たぶん彼が作り出すものはなんでも面白いと確信している。
ちなみに、「緑のさる」の感想は「いつもの山下君」でよし!

山下君が芥川賞をとってもとれなくても、僕は彼を「唯我式芥川賞作家」と呼ぶことにする、と本人に伝えた。
というのも、前回のコラムで書いた若くして亡くなったY君こと井上唯我君。
彼は、長きに渡って山下君と一緒に舞台を作り上げてきたFICTIONの中心人物であり、おそらく山下君とは一番近しい他人という関係にあった。
そして唯我は、山下君が芥川賞候補になったことを亡くなる寸前の病床で知らされ、「絶対とれますって!」と確信し、それはそれは大喜びしたというが、悲しいかなその結果を知る前にあの世に行ってしまった。
だから、現実としてもし山下君が選に漏れたとしても、唯我的には山下澄人はすでに芥川賞作家なのである。
僕がこの話しを保坂にしたら、彼は「じゃ僕は、賞をとったとしてもやっぱり山下君を唯我式芥川賞作家と呼ぶことにする」と言った(笑)。
これで、どっちにしても山下澄人は「唯我式芥川賞作家」になった。
おめでとう!!


高瀬がぶん