洗濯物干しっぱなしにしておいたら、なかなか止まぬ雨が降り出して、それでも2日間そのままにしておいて、やがて晴れてすっかり乾いたので取り込んで、シャツを着たら「あっ、雨の匂いがする」、なんかいい感じ。

「はだしのゲン」の閲覧制限が解除されてよかったよかった!
ある調査によると、今どきギャルの9割が閲覧制限に批判的だったという結果が出ているそうだ。
で、たぶんだけど、そのギャルたちのほぼ全員が知らない事実もあったりして、オジサンはなんかしっくり来ないのだよ。
そもそも、松江市小中学校での閲覧制限が報道されるや、本の売り上げが三倍に伸びるって、いったいどれだけミーハーなんだろうこの国の人たちは。
「さてさて、どんな残酷な場面が描かれているんだ?」と、そりゃあもう興味津々?(笑)。
原爆被害がどれほど悲惨なものだったかは、「はだしのゲン」をあらためて読むまでもなく、およそのことはみんな知っている。
毎年夏になれば一度や二度と言わず数回、おなじみの被爆写真がテレビやマスメディアに流れるわけで、それを目にしたことのない人(子供も含め)はほとんどいないし、こんなことが二度と起こってはならないと、誰しもそう思うはず。
にも関わらず、閲覧制限になったからといってすぐに「はだしのゲン」に飛びつく人たちが大勢いるって、、、これはアレです、、、ダメだと言われたとたん、どうしてもそれをせずにはいられない体質の関西芸人がいて僕はけっこう好きだけど、それとたいして変わりない人たちってことですね。
そして、そのミーハーたちは最初の何巻かを読んでこう思う。
「確かに子供にとってショッキングな描写も多い。しかし、原爆の悲惨さを伝えることは重要だ! 閲覧制限なんてけしからん!」と。
でもね、今あなたが読んだ第一部一巻から四巻あたりまでの「原爆の悲惨さを伝えている部分」、そこはもともと閲覧制限になってなんかいませんよ!
閲覧制限されたのは、第二部六巻以降の、主人公が思想に目覚め、どんどん左翼化していく部分なのだから。
まず、そのことを知らずして見当違いに正義を振りかざすのはやめといたほうがいい。
自らの情弱を晒すだけだから。

この漫画が「少年ジャンプ」に掲載され始めたころは、僕自身はもう二十歳を超えていて、漫画雑誌そのものから卒業していたこともあり、パラパラと読んだ記憶はあるものの、通してちゃんと読んだことは一度もない。
それにしても面白くはない、決して面白くはない。
それどころか、考えさせられたりためになっちゃたりする。
僕の信念から言うと「ためになる漫画」なんていらない。
漫画は下らなくて面白くなくちゃ意味がない。
と言いつつ、「罪と罰」を手塚治虫の漫画で済ませた自分(笑)。
おまけに、「ゴルゴ13」ではだいぶ世界情勢を勉強させてもらい、うかつにもとてもためになっちゃったりしたが、エロいサービスシーンも必ずあり、エンターテイメントとしてストーリーも完成されているので、実に面白いという点でセーフ。

その点「はだしのゲン」はアウトっぽい。
なぜなら、漫画のくせに、まるで神格化とまでは言わないまでも、教科書扱いされているのがどうにも薄気味悪いからだ。
その薄気味悪さは、無垢ではない大人の「思惑」を感じるからに他ならない。
そもそも「少年ジャンプ」への掲載が終わった時点で完結させておけば何も問題はなかった。
そうすれば、みなさんのおっしゃる通り、原爆被害の悲惨さの記憶を後世に残すための青少年向け優良漫画として誰からも文句は出なかったと思う。
どんな歴史認識を持っていようと落ちたものは落ちたわけで、原爆投下は歴史的事実としてそこに争う余地はないからだ。
松江市教育委員会もそこんところはよく分かっていて、原爆被害が描かれている第一部については閲覧制限をかけることはなかった。
ところが閲覧制限をかけた第二部以降については、歴史的事実であるかどうか、争う余地のある表現が数多く出て来るわけで、、、。

最初に閲覧制限をかけるきっかけとなったのは、一般市民からの陳情があったからだが、その陳情者も第一部については何も言わず、第二部以降のみを撤去せよと言って来た。
陳情者曰く「天皇陛下への侮辱、旧日本軍のありもしない蛮行など間違った歴史認識を子どもたちに植え付ける。図書室から即座に撤去することを求める」
その陳情に応える形だったのかどうかよく分からないが、結果、松江市教育委員会は第二部以降に閲覧制限をかけた。
さすがに撤去ははばかられたのだろう。
但し、その理由はいかにもお役所仕事らしいものになった。
間違った歴史認識かどうかについては一切触れず、
「反戦を訴える価値は素晴らしく、作品を否定するものではない。しかし、各所に暴力シーンなど過激な場面があり、一定のルールを設けるべきだと判断した」
と述べたにとどまる。
でも矛盾してないか?
第一部で描かれた原爆投下の様子だって言わばアメリカによる壮大な暴力シーンであり、見るに耐えない悲惨な姿をあからさまに描いているではないか。
そっちはよくて第二部の旧日本軍が行ったとされる暴力シーンだけが過激とはこれいかに。

つまりこういうことだ。
陳情者は自らの思想に基づく歴史認識との食い違いが気に喰わないので撤去せよ、と言って来たにも関わらず、お役所は「暴力シーン」だけを問題点ととらえ閲覧制限をかけた。
なぜその理由に限定したかといえば、お役所の保身術、「歴史認識」や「天皇」や「思想」や「宗教」などに言及することは基本的にヤバイからだ。

第二部では、旧日本軍の蛮行として、面白半分に人の首を切り落とし、人を銃剣術の的にし、女の腹を裂いて子供を取り出すシーンなどが描かれる。
松江市教育委員会はそれが歴史的事実としてあったかなかったかという問題には一切触れず、その描かれ方の過激さだけを問題点にするというへっぴり腰。
それを読む子供たちは、残酷描写に驚く一方、まず「そんな酷いことを日本兵はしたんだ」という認識を持つだろう。
ませたガキなら、「ほんとうにそんなことしたのかな?」という疑問を抱くかも知れないが、ふつうのガキは「ひどいことしやがる」と、素直にそれを信じるだろう。
では、本当のところはどうだったのだろうか?
難しいところだが、まったくなかったと断言するわけにはいかないだろう。
先の陳情者の「旧日本軍のありもしない蛮行など間違った歴史認識」というのは言い過ぎ。
それはおそらく、ある一定の確率で実際にあったことであろうと想像できる。
但し、それが旧日本軍全体を批判するに値するものであったかどうかは別の問題だ。
なにしろ、この現代社会でも無作為に10万人ほどの人を集めれば、統計上およそ2000人近くが刑事事件の犯罪者なのだから、戦場という特殊な環境を加味すれば、中にはそんな酷いことをした人もいるだろうよと言う話し。
従ってこれは、旧日本軍のみの特殊な事情ではなく、人間はもともと潜在的にそういった愚劣さを持っている、ということでもある。
しかし「はだしのゲン」においてはいささか事情が異なる。
主人公のゲンは明らかに旧日本軍に対し批判的だったわけで、その象徴としてそうした蛮行を例に出したからには、中にはそういう人もいたかもしれない、程度の生易しい話しではなく、旧日本軍全体が常態的にそんなことをしていた、というとらえ方をしているのでやはりそこには議論の余地が生まれる。

フランスの諺で「一冊しか本を読まない人を信用するな」とかなんとかあるらしいが、もしその子供が戦争の歴史について「はだしのゲン」が初めて手に取った本で、それ以外一切読まなかったとしたら、当然のことながらそれを歴史的事実として受け止めたまま成長するだろう。
本来はそういうことこそが問題じゃないのか?
歴史認識ってのは、だいたい「あったかなかったか論争」になるわけで、「あった派」の主張が描かれる漫画が子供たちに広く読まれるならば、同時並行的に「なかった派」の主張が描かれた漫画も読まれなくてはならない。
そうして、子供たちは初めてそこに「歴史認識の違い」があることを知る。
そういう状況が保たれない限り、一方に偏向したものだけを子供に読ませたりしちゃダメでしょ。ましてや義務教育の現場だよ。
それとも、子供がそれを読む度に先生がいちいちついて回って「この漫画ではこういう風に描かれているけれど、それが本当にあったことかどうかということについては色々意見があって、、、」と説明でもしてくれるのか?
松江市教育委員会はそういっためんどくさい論議に巻き込まれるのを避けるために、歴史認識を無視して残酷描写だけを問題にした。
そのへっぴり腰につきる。
もっとも、それに関してはへっぴり腰で正解。
お役所に特定の「歴史認識」や「思想」や「宗教」について積極的にお薦めされたりしたら、それこそたまったもんじゃないからね。

うーん、先の陳情者は少なからず右っぽい人だったかもしれないが、色々事情を知ると右っぽい人じゃなくても「はだしのゲン」の第二部以降はどうなんだ、と疑問に思うのではないだろうか。
なぜなら、「少年ジャンプ」への掲載が終わり、時間をあけて始まった第二部(東京編)以降は、掲載誌が左翼系雑誌の「市民」から日本共産党の論壇誌「文化評論」へ、さらに日教組の機関誌「教育評論」へと続き、やがて作者の体力が尽き未完のまま終了。
これは驚くわ、いや驚けよ(笑)。

お〜い! この閲覧制限された部分、いくらなんでも掲載誌が左に傾き過ぎじゃないのか〜い!?
これが小中学生が読むべき、一般の子供向け漫画と果たして言えるのか?
そもそも、特定の思想もなくのほほんと暮らしている一般の大人たちだって、ある意味特殊な雑誌と言っていいこの三つの雑誌自体を手に取る機会はまずないだろう。少なくとも僕自身は六十三年の人生において一度もない。
正直、「はだしのゲン」がいつの間にやらそんな雑誌に掲載されることになっていたなんて、これっぽっちも知らなかった。
「少年ジャンプ」の掲載が終わった時点でもうおしまいなのかと思っていた。
それよりまず、「少年ジャンプ」に載っていた子供向けの漫画が、なんだってまたそんな特殊な雑誌に載るようになるわけなの? その時点からもう子供向けじゃなく、特定の思想を持った大人向けの漫画になったんではないかい? という疑問。
それにはそれなりの、子供向けじゃない大人の事情があったりするので、そこもなんかイヤラシイ。
話しは簡単、主人公のゲンが戦後どんどん左翼思想にはまっていき、旧日本軍を批判するだけにとどまらず、天皇の戦争責任を主張し、国歌斉唱を拒否する中学生のゲンの姿も描かれる。

どっちにしても、こうなるともう、さすがに「少年ジャンプ」っていうわけにはいかないだろ。
内容からして、掲載誌は自ずから限定されて行ったと考えるのが普通だ。
掲載誌が、共産党の機関誌→自民党の機関誌→靖国神社の、、、だったらある意味笑えたのに。
ところで、こういうふうに論理を展開していると、僕自身がひょっとして右じゃねぇかと思われるかもしれないけれど、それは大きな間違い。
選挙では三回に二回は共産党に入れるし、自民党に入れたことは一度もない。
といって、共産主義バンザイ、、、ではないよ。
思想は関係なく、政治に大切なのはバランスと考えているためで、共産党の存在価値を大いに認める者の一人でもあるからだ。
いいかげん野郎と言われてもいいし、究極のノンポリと言われるのも悪くない(笑)。

とは言えだ!
思想的に左に偏向している雑誌ばかりに掲載されていた部分を、思想的に中立であるべき義務教育の現場に置くのは、どうしたっておかしい。
ってことは、僕が感じた「思惑」というのは、最終掲載誌である日教組の思惑、、、かも。
だから初めから原爆部分の第一部だけ置けばよかったのだ。
子供に思想なんてまだ必要ないし、もし必要だとしても選択肢がいくつも目の前に並んでいなければならないハズだ。
従って、第二部を自由に閲覧させよ!という意見をいう人の気持ちが分からない。
そのような漫画を推奨することは、まだ無垢である子供の思想を不自由なものにするリスクがあることを承知の上でそう言っているのか、それとも単なる考えなしなのか。
「思想に深く関わる雑誌」に載っていた漫画であることを知ってもなお、親として、自分の子供に自由に読ませたいと思うものなのだろうか? きわめて疑問だ。

とりあえず、閲覧制限ではなく、僕も陳情者同様、第二部以降は撤去すべきだと思う。
それより、最初っから置くなよ、って話しだけどね。
しかし、陳情者のように左だからダメというわけではない、これが右でも当然ダメ。
ようするに「偏向」がダメということだ。
なのに、、、陳情受けて文句言われるのが怖いから閲覧制限して、それがバレてネットで署名運動とかされて、閲覧解除署名が二万名超えたと知るとさっさと閲覧解除するという松江市教育委員会。
それにしても松江市教育委員会のこのだらしなさ、お役所としていい味出してるとしか言いようがない。
「文句が出た? じゃこうしましょ。え?その反対の文句? じゃああしましょ。ん? その反対の反対の、、、あ〜もうわかんな〜い! けど文句は言われたくないなぁ!!」。
モンスターペアレントに屈する学校のお手本を見るような思いがするわ。

この問題がフューチャーされ自由閲覧になった途端、それは、ご自由にどうぞの域を超え、ぜひ読みましょう! みたいな空気が流れるに決まっている、って言うかすでに流れている。
そしてますます神格化が進む。
やだ〜、怖え〜よ。
そうならないために、とりあえず中和剤として、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」でも置いとくか? 小中学校の図書館に。
いやいや、もう置いてあったりするかも、、、、珍しい右翼の校長のごり押しで(笑)。

高瀬がぶん