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© iShonan
[Web Log] / 08/16 21:04

今回のオリンピックで一番驚いたことは、ネット上での競技動画の少なさだ。
金儲け主義丸出しになってきたIOCの「タダでは見せねぇぞ」という意気込みの顕われでもあろうが、なにより、これまでズルズルだったネット上の著作権問題に、IOC以外の敵も本腰を入れ始めたという証拠だろう。
「天網恢々粗にして漏らさず」という諺は、今では文字通り「ネット(網)上の悪事は許さん!」という戒めなのかもしれない。

前回のアテネくらいまではネットでもやたら競技の模様がアップされていたけれど、今回はほんとにバッサリ。
たまたま見つけるニコ動でも、動画じゃなくてスライドショー(笑)だったりして、声と文字だけで情報を得なきゃいけない始末。

ところで、オリンピックのなにが面白かったかって、それは言わずと知れた誤審の数々。
とにかくテレビがないのでオリンピック競技の動く画はほとんど見ていないのだけれど、日々起こる誤審のニュースをデジタル新聞かなんかで読んではひとり大笑いしたものだ。
各国のホームタウンデシジョン的な感情を排除できないにしても、視聴者の多くがAという結果を予想するところで、審判がBという結果を告げる! 
そこでみんな「え~!」と、吉本新喜劇なら間違いなく全員コケる場面のオンパレードだった。

中でも柔道の誤審は二度コケで、誤審ファンにはたまらない秀逸な作品となった。
審判三人が韓国選手の勝ちを宣言!
「え~!」と、特に日本人視聴者は、怒りと脱力感で間違いなくコケる。
そこで、よくわけのわからんジュリーなるものが登場し判定にイチャモンをつける。
すると今度は三人揃って判定を覆し、日本選手の勝ちを宣言!
「えっ、え~!三人揃って?」と、今度は安堵感とあまりあるギャップにコケる。
いやぁ面白過ぎます。
審判が信用できないから、審判を裁く審判を置く。
この気持ちは分からないでもないが、三人も審判を置いておいて、その全員が信用できないと?
どれだけ信用されない三人なんだいったい!
うん、確かにあんなにアッサリ信念を曲げる三人は信用できん(笑)。
次のオリンピックではジュリーを裁くジュリージュリーが必要だなこれは。

ところで、誤審誤審とは言うけれど、よく考えると誤審とかではなくてルールそのものが最初からおかしいというケースもある。
たとえば、なでしこジャパンがしてやられた「ハンド問題」。
そもそも「ハンド」は、故意だったら反則でそうでなければオッケー。
そんないい加減なルールがあること自体おかしい。
故意だったかそうでないか、そんなもの本人以外誰にも分かりゃしない。
それに、たとえ故意であったとしても、審判に咎められた場合、選手はとりあえず平気でウソを吐いてみる。ウソが通ればラッキーというスポーツマン精神に則って(笑)。
そう、選手はウソを吐くものだと分かっているから、審判は選手の意見など聞かないで勝手に判断してよいということになっている。
そうして選手の心の状態を審判に判断させる以上、それは審判の主観に頼るしかないわけで、どうとろうとそれは審判の勝手。だから誤審とか言われる筋合いもない。
誰が見ても「故意」であっても、本当はそうじゃなく、偶然「故意」に見えるように映った、という可能性だって排除できないのだから。
つまり、「心の問題」をルールに持ち込んだのが大間違いということだ。
したがって、ルールはこう変えるべきだろう。
故意であろうとなかろうとボールが腕に当たったら「ハンド」と。
これが一番クリアーな結論ではないだろうか。故意じゃなかった場合は不運で済ませるべき。
もっとも、当たったところが肩なのか腕なのか、、、その判断も審判の主観なので、どこまで行っても絶対的クリアーなルールというわけにはいかない。

バトミントンの無気力試合はどうだろう。
この動画だけはなぜか一時的にユーチューブにアップされていたので見たけれど、確かにあんな試合を見せられた観客は頭に来るし、審判だって「ちゃんとやれこら!」と思うに違いない。
間が悪いというかなんというか、問題は両チーム共に勝ちたくなかったという点にある。
一方だけでも真剣にやれば、負けたいチームだって上手いことごまかすことができたに違いないし、少なくともあんなにあからさま無気力試合にはならなかったと思う。
その点、なでしこジャパンも似たような事態にはなったが、幸い相手は普通に勝ちたいと思っていたのでやりやすかった。
点を取られないサッカーをする、、、なんてことはよくあることで、引き分け狙いが卑怯だなんてほぼ誰も思わない。
ただ、あれが両チームとも引き分け狙いだったらと思うと、、、あ~見てみたい。
22人がボールを追わずボーッと90分間突っ立っている異常な光景(笑)。

ところで、男子サッカーでの韓国選手による竹島アピール問題?
セルジオ越後氏が「たいした問題ではない」とブログで発言して大炎上しているらしいが、僕はセルジオ越後氏に一票。
そもそも誰のもんでもないだろ、地べたなんて。


高瀬がぶん

[Web Log] / 08/04 15:39

前にもちょっと書いたが、これまで何かのデモがあると大抵の場合、主催者発表10に対して警察発普`4程度。これは世界共通で、多く見せたいデモ主催者側と少なく見せたい体制側のバイアスの結果であることは間違いない。だから真実はほぼその間のどこかにある。
そんなことは始めから分かっているので、テレビなり新聞なりに発表される数字をそのまま鵜呑みにする人も今やそんなに多くはない。

いったい日本の大手マスコミの連中は、いつまで悪評高い「記者クラブ制度」に甘んじているつもりなのだろうか。
各マスコミの記者が集まって「ひとつソースからの発表」を聞き、それを記事にするのだから、当然のことながら数字はみな同じ。
しかも、「警視庁の発表によると、、、」と書いておきさえすれば、その数字に対する自分たちの責任は全くないと思ってるから始末が悪い。
あとで数字が間違っていたと分かっても「いや自分で調べた訳じゃなくて警察から聞いたことを書いただけだから。ふつう警察の言うこと信用するでしょ、だから私は悪くない」と。
横着するんじゃないよ、テメェの足で調べて責任のある数字を書け、と言いたい。
人から聞いた数字を記事に書き写すだけなら小学生だってできるぞ。

多少なりとも良心のあるマスコミは、主催者側と体制側の両方の数字を並べてみせるぐらいのことはする。それでも責任回避には変わりない。自社で数えて発表したりすることはまずない。
自社で数えることが物理的に可能であっても、自社調べというからにはその数字に責任を持たなきゃいけないし、そのことで、ひょっとしてスポンサーに嫌われる可能性だってある。だから、精神上もよくないので、敢えて他人の発表に頼る。

それにしてもだ! このところの毎週金曜日の反原発官邸前デモの人数に関しては余りにも酷すぎやしないか。
6月29日の大飯原発再稼働反対デモの場合、主催者発表20万人に対し、マスコミが伝えた「警察によると」という人数は、1万7000人。
7月29日の脱原発デモ&国会包囲網の場合でも、主催者発表20万人。「警察によると」がたったの1万2500人!
なんだこりゃ!です。しかも端数の500人って、いかにももっともらしいではないか。

「警察発表」としてこの数字を伝えたマスコミだが、実際のところ警察は今回の反原発デモに関して参加人数を把握してはいるが一度も発表したことはない、と断言している。
発表もしていないことをなぜマスコミは書く?
これは詐欺に等しい。何らかの思惑があってそうしているとしか思えない。
かつてのデモに関しては「警視庁」が、それこそ記者クラブで、正式に公表したものだからまだ救いがある。
今回は明らかに違う。
警視庁発表ではなく、警察の誰かさんからみんなで寄ってたかって聞き出した話しに過ぎない。
きちんと言うなら「公式発表ではありません。警察の○○さんという方の話しによると、、、」とすべきだろう。
しかも、それはおそらく確信的なリークで、「公表すると色々問題あるんでしないけど、一応教えるからそれ書いといて」ってなことなんだろう。

ただ6月29日のデモ人数の各マスコミの発表数がてんでんばらばらなのはちょっと興味深い。
これらの数字で、各メディアの原発に対する態度がなんとなく窺えるからだ。

TBS       20万人
主催者発表    15万人
朝日新聞     15万〜18万人
鳥越(報ステ)  4〜5万人
産経       2万人弱
NHK       前回を越えた
警視庁発表    約1万7千人 ←(ほんとは発表してません!)
毎日       主催者発表と警視庁発表をそのまま
読売       記事なし

いやぁ、いい傾向ですね。
真実の数字を知る事はできないが、統一されていないところが実に健全で素晴らしい。
どっちにしろ問題は、これらの数字を目にする読者や視聴者である私たちにあるのだから。
最少17000人から最大20万人まで、ほぼ好きな数字を選べるわけだが、あえてどの数字を選んでどこに信憑性をおくか、、、それを決定づけるのはその人の全人格が関わってくる。
しつこく言うが「人は単に信じるのではなく、信じたいことを信じる」のだから。
住んでる地域、年齢&家族構成、勤め先、政治的信念、宗教的背景、金持ちか貧乏か、バカか利口か、、そう言ったものが複雑に絡み合い、
「17000人!? ふざけんなよー、20万人は軽く超えてたぜ!」(反原発に燃えている人たちか、色んな意味で生活に困っていると感じている人たち)
「何が20万人だ、2万人がいいところだろ!」(大手企業の従業員か、生活にあんまり困っていないと感じている人たち)
「中とって5万ぐらいじゃねっ?」(興味ないひとたち)
「自分は警察を信じる!」(現職公務員か元公務員)
「ほんとは何人か分かりゃしねぇよ」(大手マスコミの人たち)
「デモなんかやっとらん!」(読売のナベツネ(たぶん))
ということになる。

高濃度放射性廃棄物の最終処分場も決まらぬまま、「そのうちなんとかな〜るだろう〜」と故植木等的な態度(古っ)で、今後ざっと3000世代(10万年)にツケを払わせるなんて酷いと思わないか?
10万年という数字は、ネアンデルタール人が出したゴミで現代人が被害を被る可能性がある、っていう話しなのだぞ。
原発肯定派の人たちは、自分、子供、孫、ひ孫、、、せいぜいこの4世代くらいについて心配すりゃそれでオーケーってこと?

放射性物質を安全に自由にコントロールできるほどまだ人間は頭よくない、ということにいい加減気付けよ。気付かないよな、頭よくない連中が揃ってるから。
同じ核でも核融合エネルギーが開発される数百年先まで、当分の間は自然エネルギーとか石油使ってりゃいいよ。
石油がなくなるまでほんとはあと数百年あるし、地球温暖化もインチキだし、タバコと肺がんは関係ないし、とにかくトータルに考えて、原発はやめるべき。


高瀬がぶん

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