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[Web Log] / 05/12 23:32
大物実業家・原田(柄本明) 「戦争で負けて、この国にはどでかい穴が空いた。 その穴を、これからテレビジョンが埋める。 かつて我々が信じるものとされていた、仁義、礼節、忠誠、そういうなんもかんもが全て灰になった。大衆どもにはそれが不安でたまらんらしい。一種の癖だ。 みんな血まなこになって次にすがるべきものを探している。 だけどワシは、それは癖そのものを直せばいいのだ。せんないことに思い煩わせるのをやめ、ただただテレビジョンを見る。プロレスに興奮し、音楽と共に踊り、落語に笑えばいい。頭を空っぽにするのだ。ただ空っぽに。 そこにテレビジョンという風がながれてくる。悩みを忘れ笑いと興奮に……」 私立探偵・増沢(浅野忠信) 「正気ですか!? この国の頭を空っぽにして回る。正気でそれが自分の使命だと?」 原田 「悪いか? 澱がたまるよりは、空っぽの方がずっとマシなんだよ」 増沢 「冗談じゃない。植えた子供に酒を与えるようなものですよ。なるほど、苦痛はまぎれるかもしれない。頭という頭がすべて空っぽになるんですからね。 でもそれは、人間にとって、この国にとって、最も大切なことを奪いつぶして回るということじゃないですか」 原田 「そのお前の頭こそ、ゴミためって言うんだ。 ご立派な高説で腹がふくれるか? お前のような男こそ、100人いたってガキひとり食わせられねーんだよ。能なしのくそったれは、今すぐこの国から追放してやろうか? バカヤロー!」 (HNK土曜ドラマ「ロング・グッドバイ」5/10放映より) NHKで放映中のドラマ「ロング・グッドバイ」第4回放送の、私立探偵増沢と大物実業家・原田とのやりとりだ。原田は新聞社や出版社を複数抱え、テレビ局までつくった大物実業家。政界への進出をもくろんでいる。時代設定は、まだテレビが一般家庭に普及しておらず、これから高度成長期へと向かうあたり。 このやりとり、妙に胸に刺さってしまった。 チャンドラーの「ロング・グッドバイ」とは、ほど遠いものだと思っていたけれど、どこかに共通して流れるものがあるのかもしれない。 もう一度、原作を読み返そうと思った深夜であった。 Add Comment [Web Log] / 05/03 11:54
森美術館で開催されていた「アンディ・ウォーホル展」を見た。 会場の壁にウォーホルの名言が書かれていた。これは最近の傾向なのか?(以前、東京都写真美術館で見たロベール・ドアノーの写真展でも、壁に印象深いフレーズが書かれていた) 「アンディ・ウォーホルって人間について知りたいと思ったら、僕の映画や絵をただ、表面的に見てくれればいい。そこに僕がいるから。裏には何もないんだ」 「お金を稼ぐことは芸術、働くことも芸術、うまくいっているビジネスは最高のアートだよ」 「なぜ、オリジナルでなければいけないの? 他の人と同じがなんでいけないんだ?」 などなど。 他にも、商業デザインに関わっている人間なら、思わずうなずきそうなフレーズもたくさんあったのだけれど、書き留めることができなかったのが悔やまれる。それやっていたら、丸1日かけても終わりそうもなかったけれど。 私が目を外せなかったフレーズをひとつ。 「自分の抱える問題を人に見せることができる場所であり、 そして誰もそのことで嫌ったりしない」 これは、ウォーホルがファクトリーと呼ばれるアトリエを構えたときに言った言葉。 ここで彼は作品を量産していくのだけれど、この言葉にどんな思いを込めたのだろうか。 その後、ウォーホルはファクトリーをオフィスという名に変えて、依頼肖像画を描き始める。 彼はこうも言っている。 「ビジネスアーティストとして生涯を終えたい」 今回、ウォーホル展に行って再確認したのは、彼がポップアートと呼ばれる作品を作りはじめたのは、1960年代だったということ。もう半世紀前の話だ。思い起こせば私の学生時代には、彼のポップアートはもう確立されていたのだけれど(それだけでも30年くらい前だもの)、そんなに昔のことだとは思っていなかった。 今見ても、全く古いとは感じない作品群。やはり彼は天才だったのか……。 写真は「シルバー・リズ」。エリザベス・テーラーをモデルにした作品で1963年のもの。 この作品の解説の中に、以下のような言葉があった。 「写真のありふれた事実と、画家のレタッチという芸術的なフィクション、この相反する2つの融合は、ウォーホルの作品においては、フラッシュライトの残像で輝き続けるような、こうした裕福で華やかな人々を記録するために、とくにふさわしい方法となった。ロバート・ローゼンブルム(美術史家・アメリカ)」 ウォーホルのアートを端的に解説している評だと思うのは、私だけだろうか。 | |||||