湘南と全然関係ないかも日記
地域のこと?日々の出来事、感じること
 
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ワンちゃん
01/2012
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[Web Log] / 01/17 23:59

じつは20代の時、本物のおネエ(っつーか、オカマ)に出会ったことがある。
当時は特にそうだけど、私はどちらかといえば、人と違ったデザインの服を着るのが好きだった。
模様がグチャグチャにはいっていて目立つとか、色がギラギラで目立つカッコなのではなく、地元には売っていないデザインの服を探すのを楽しみとしていた。
例えばピラピラしたレース使いの服が流行れば湘南でなく、(よりピラピラを目指し(笑)原宿まで買いに行きたいヤツだった。

さてカマに遭遇したのは夏の湘南だった。
今でもあの時の服は覚えていて、夏だけど秋を先取りした茶系のスカートに白のTシャツ、その上に赤茶のビスチェ(下着でなく秋仕様の生地)をあわせていた。
(下着の上に直接ビスチェでないのは、時代ということでごかんべんを)
某駅前で信号待ちをしていたら、後ろからやや低めの男の声で、
「あ〜ら、あなた、オシャレねえ!!」

振り返ると、あごラインまでのボブスタイル、化粧をしているが口元のヒゲがうっすらと青くなったおカマだった。
筋肉質のカノジョはTシャツ(胸ふくらみはなし)にスカート、サンダルという湘南の夏にふさわしい軽装で、更にこう言った。
「ワタシも着てみようかしら! どこで買ったの?」

その年の湘南の思い出は、おカマから服を褒められたことのみが残り、あとのことは記憶にない。

本物に会ってしまった私は、時々思う。
おネエやるなら、本気でやれ。
そう生きると決めた人たちは、本気で自分の心に従って生きているのだ、と。


[Web Log] / 01/16 22:53

職場で『おネエの店』で通じる店がある。
そこにお勤めだった方(女性)が、健康管理のために治療院へ通うことにしたと近況報告のメールを下さった。
・・・のだが、その治療担当者がどうやら(また!)おネエだったらしい。

2度続けて・・・。すごい確率・・・。失礼ながら「おネエに縁があるのでは」と返事を出してしまった。

さて、我が職場のスタッフTは、今医師から止められているものがあり、それを扱う『おネエの店』へ行くことが出来ない。
いけないといわれると、人間行きたくなるもの。
私やスタッフSたちからおネエの話を聞いているので、自分の目で確認したくてしょうがないらしい。
「まさか、こんなちいさな町(エリア)におネエがいるなんて!」
「どんな外見なんですか? 男のカッコはしてるんですか? 言葉やしぐさは女なんですよね!!」
興味津々。

スタッフSの小学生になるお嬢さんが、
「ママ、あの人おネエなんだね
と店を出てから言った話、しかし関係者からどうやらノーマル(カマでなく、まっとうな男)らしいと情報がはいり(この件に関しては、誰もがなかなかその事実??を受け入れることが出来なかった)、カノジョの「話だけ」はたっぷり聞いているTはコーフンしてこう言った。
「(態度は)おネエだけど、でもノーマルなんですよね?! にも関わらず、わざわざおネエキャラでいこう(仕事しよう)と決心したその発想に興味があります!!」

実は私、最初はカマ→ノーマル?と観察していたのだが、今は本当にオトコなのか【疑わしい】と思っている。
ずいぶん前、おネエの店へ行った時、私が勤める店のお客様Sさんに偶然お会いした。
Sさんと挨拶し終わったところで、おネエがSさんの横にスッ・・と寄っていき、
「お知り合い・・・なんですか?」
カノジョは小さな女の子のようにちょこんと首をかしげ、彼氏の前で甘えた声でしゃべる舌足らずの女子学生のような態度だった。
「そうよ。」と答えたSさん(女性)のほうが、ずっと男らしかったぞ。
やはり、ああいうのを見てしまうとね…。

スタッフの間では、あんなに人柄のよさそうな関係者の方が嘘をつくはずがない、と一応カノジョは「男」というところで表面上は落ち着いているが、本当のところ3分の1くらい疑惑は晴れないまま今に至る。
まぁ、いつかスタッフTの体調がよくなったら『おネエの店』に行くだろうから、そのときに結果を聞いてみよう。


[Web Log] / 01/15 23:52

またもや「湘南」とは全く関係ない話。

無宗教・無神論者の私だけど、「神様っているんだなあ・・・」って思ったのは、元広島カープ投手の故津田恒実さんの野球殿堂入り。

殿堂入りの期限と得票にラインがあるそうで、今年がその最終年、票は必要票に1票多かった。
それも、東日本大震災のあった翌年だよ。
もっと前に殿堂入りしていたら、これほど感動しただろうか。

私は野球ファンではなかったけれど、祖父や父がGファンで、シーズン中はいつもTVは野球放送だった。
広島カープは、津田さんや北別府さん、大野さんや達川さんのこと(もちろん、コージ山本監督も!)は覚えていて、赤ヘルが若干でもリードして北別府⇒津田リレーになると「広島にはかなわんなぁ(広島の勝ちかな)」という雰囲気にになっていた。
都会のカッコよくスター選手の多いGより、個人的には、広島は惹かれる選手が多かったなぁ。

さて、私が感動したのは、精一杯生きると20年近くたっても人々の記憶に残り、殿堂入りする、こういっては失礼かもしれないけれど、奇跡のようなことが起こるんだということ。
奥様や元同僚のエピソード(泣けるよ・・・)、ファンから息子さん宛てにサインボールが送られてきた話などを読むと、人に優しく思いやりをもって真摯な姿勢で生きたんだなと、みえてくる。

ファンだって好きじゃなければボールをとっておいたかな、息子さんに送ったかなと背景を考える。
別球団(福岡)に移籍した選手が、(脳腫瘍で)入院先の病院に、度々見舞うなんてことをするかな。

いくら山本監督が「ツネのために優勝しよう」といったところで気持ちが団結しかたかな、皆でお守りを忍ばせて試合をする気持ちになったかな。

プロだから当然能力(成績、実績)もあるだろう、しかし、それだけじゃなかったんだな・・・。
こんなカープファンとは関係ない私の心を、亡くなってから20年近くたって動かす、どれだけのことだろうか。

<津田恒実さん>野球殿堂入り



いくつかの地震予知の研究者(所)があるけれど、だいたいの見解(時期が近いということ)がほぼ一致。
北大の森谷先生は、外れて笑われてもいいから人命のほうが大事と、ずっと発表なさっていたよう。(大学内の反対により、個人のHPも禁止になったそうで。つまり圧力ですな)

「くるぞーくん」の地震予兆電磁波ノイズ
1月8日付けで最新記事が更新されており、時期の予測について新たな見解が書かれている。
(決して歓迎できる内容(発生時期の予測)ではないけれど)

琉球大学木村政昭先生のHP、YOSOKUの中に最新の情報あり。太平洋側沿岸の発生予測時期と、富士山の活動が気になるところ。

地震研究家の進村耕喜さんのツイター(余震見解)も、おおよそこれらの情報とだぶり、どういう観測方法であれ「只今、注意」ということろか・・・(-_-;)

情報の扱いに注意の但し書きのあるHPもあるので、興味のある方は検索して記事を読んで下さいネ。

アメリカの「Japan Earthquake Forecast Map for Tokyo」も注目。
発生リスクの%が年末からマックス超えてますけど・・・。


[Web Log] / 01/08 23:50

去年の末、パソコンが壊れたため保存していたデータが全て消えた。
あまりにアッサリなくなってしまったので、残念というより、年末だったしスッキリとした気分。

このブログの一部を保存していたPC内のフォルダは消えてなくなり、別の記憶媒体に保存しなきゃだめだと改めて学んだ。

保存の目的は、少しのお金でブログの内容が本に出来るというので、過去の記事をチョイスしていたのだけど、年末にそろそろ地震がきそうと感じたとき、あることを思った。
自分の1年の記念のためとはいえ、わざわざ過去に書いたものにお金を掛けるだけの価値があるのか?
あえてまとめるなら、今までの仕事(出来事や同僚)のことをもっと入れたいなあと思った。
以前書いた正義感のある人気バツグン営業マンの王子様やウマイ、新人時代に仕事を教わった上司はコワイと恐れられていたけれど素顔は情のある人だったしな。
ようは、一緒に働いた人たちを通した仕事への姿勢や生き方考え方、コワイところでは同僚たちの不倫顛末などを書いてみたい。

派遣ではダレでも知っている大手にもいたし、社長と二人の会社でも働いた。
今思えば福利厚生が充実し恵まれた会社にもいたし、残業代不払いや社会保険不加入(不正)の会社にもいた。
天国も地獄も見たとはいわないけれど、物語としては面白いかな??と今なら自分を客観的に振り返れそうと思う。

いろいろ学べたし。まわりがみぃーーんな頭がいい大学(院)卒の人たちとも接し、結局箱(会社)が違っても、人の心理の仕組みは同じなんだなと経験できたりね。

大企業で働く20代~の男性の本音などは、私は彼らからすればビミョーな立場・年齢なので聞くことが出来た。それをそのまま書くことはないけれど、機会があれば出したいと思う。

大企業にいていつも感じていたのは、世の奥さんは子供の学校の話(いいところへはいらせたいと気をもむ)をしているけれど、実際に皆さんが入れたいような企業の中にいると、程度の良い大学を出ても意味はないとわかった。
ようは、どの学校を出ても学歴(経歴)には上には上がいて、学校をどうしたところで仕事には関係ない。
(昔ならいざ知らず学校名は役には立たない。会社で生き残れない。)
つまり医師や弁護士といった学部が職業に直結する仕事でない限り、学歴など今後は役には立たないということ。

それより、子供の特徴・良いところ(“子供が”興味を持つことで好きで得意なこと)を伸ばし、世の役に立つスキル可したほうがいい。
つまり「この人はこれ!」という特徴を作ってしまう。そちらを活かせるほうがいい。
(例が極端か?わからんけど、おさかな君みたいな・・)
更に、言葉の使い方や礼儀、人との付き合い方のコツを身に付けていないと無理、とも感じている。

フリーでも、企業でも、実力、知識のある人などいくらもいて、好きでないけれどガンバる人と好き・興味で働く人ではどうしても好きで努力が苦にならない人のほうが仕事がバンバンできるようになる。
最初は同じ程度でも、年月が経てば経つほど差が開いてくる。

いくら頭が良くても、興味がないと記憶や能力に限界がかかる。これは本人の能力の問題でなく、心(深層心理?)の本音なので仕方ないんだなと、私よりもずーーっと頭がよく能力もセンスも持ち合わせている人たちと働いてみてわかった。
ま、あくまで個人的な経験の話なのではあるけれど。

そんなわけで、塾に行くのもいいけれど、それはあくまでスタートライン(大学に入るのは普通みたいになってしまっているので)なので、手間を掛ける割には平均を作る作業にしかならないんじゃないかと、仕事を通してそう思った次第。
興味のあることをさせたほうがいいのにな、と某企業で働いてみて私は思ったわけで・・。
ま、私の主観であるんだけどね。


[Web Log] / 01/06 21:35

今年も地震やアレコレと、興味のあることを調べている私。
正月早々(1日から)、鳥島で震度4の地震。
結局、地震が起こる国であるという前提で暮らすしかないんだなあ、と思う。

昨年末は北大の研究者の個人のHPが閉鎖されたのを残念に思っていた。
閉鎖を告知するページで、地震に備えることは重要である旨の一文を読み、研究者の意地とか良心を感じていた。
つまり、閉鎖はされたものの、どうやら緊急時である雰囲気はビシバシ感じていた。

さて、このたびNPO法人国際地震予知研究会のHPにたどり着いた。
かの北大の先生の最新研究データがこの掲示板に出ていた。
解説はなかったが、ようは、“データ的には”いつ大地震が起こってもおかしくない状態だということがわかる。
特に年末から、そろそろかなあ!? と空(地震雲)を見ながら思っていた。
改めて(あくまで、だけど)データ上でマックスなのか、とわかると腹もだんだんすわってくる。

ようは、津波は3.11より大きいと予想されており、(各自が)想定していた避難場所よりも更に高い場所へ行くほうがいいこと、水(海、川)から遠くに避難という行動をとればいいことがわかる。
3.11では、当地での川の津波被害はなかったけれど、これは考えておいたほうがいいのかな!?
そして、備蓄、防災用品をそろえることか・・。

今回見たデータは、“くるぞーくん”の地震予兆電磁波ノイズ(NPO法人国際地震予知研究会)
※くるぞーくん掲示板(一般用)がわかりやすい。

他の研究者の見解も。
進村耕喜さん(地震研究家)のツイッター。

(地震予知情報に関しては、情報の取り扱いに関する注意があるHPもありましたので、ご興味のある方は検索して各情報を読んで下さい。)


[Web Log] / 01/06 19:35

早くも1月は6日経過。早い・・・。
昨日は自分のストレス、今日は母の付き添いで病院へ。
昨日、今日と合計10時間病院にいた・・・。
今日の眼科は、午前に出かけ戻ったのは夕方だった。
混んでいるという事は、評判がいいという、良い意味にとるとしても・・・さすがにグッタリ。
いや、命に別状がないのだから、多少疲れても有難いことなんだよな。

さて、母の右目がここ数ヶ月で急に見えなくなって眼科へ。(「急に」と本人は言うが、医師の見解は徐々にですねと。ようは怖くて何ヶ月も病院へ行くことが出来なかったわけ。)
ドクターは経験が豊富で、今回受診した目と逆の左目(長年放置)も手術で見えるようになるのが可能、というオマケがついてきたことはラッキーだった。
いやはや、見えなくなってくると気が弱くなり、考えが消極的になって沈む母を見るのはつらかった。
それだけに、診察室で両目を手術して今よりも見えるようになる:世界が広がるという、ドクターの説明を受けながら前向きになっていく母を見るのは嬉しかった。
思わぬお土産(?)を頂き、私のほうがホッとした。
遅い昼を食べる時は、お腹が空ききっちゃっていて、話しなんかせずひたすら食べた(笑)
母はホッとしたらしく、食欲が出てきたという。

それでも、手術は最短で3ヶ月後。その間に検査がある。それさえ本人は楽しみにしている様子。
はぁ〜、これでやっと年が明けた気分。

改めまして、明けましておめでとうございます。
iSHONANのマイページが黒い現象が突然直り、こうして更新作業も出来ている次第。
ま、なにかチョコチョコあっても、うまく収まったということで新年はスタート。
読んで下さっている皆さん、いつもありがとうございます。
今年も、よろしくお願いします。


[Web Log] / 01/01 0:00

暮れになってから心身の調子を崩し、販売職にありえないほどの連休をとっている。
医師の指示通り、体と心を休めると、確かに症状が軽くなっていくのを実感する。

発疹による少しの食事制限はあるものの、体は動くので、年末に前職の忘年会に行ってきた。
酒は飲めないけど、気分転換になると思って。

久しぶりに会う元同僚たちは、一番忙しい時期を共に過ごした仲間。
忙しくバタバタと過労で倒れる社員もいたが、互いを思いやり、イライラを他にぶつける人はいなかった。
だから、“その時”が終わった今「あの時はよくやったねえ」と懐かしい思い出として語り合える。

当時、各グループの統括をしていたYさんも参加した。
Yさんは、あまりの激務に何度も倒れ、皆で心配したものだ。
社員、他支所(他県)からの応援社員、派遣、契約社員・・と寄せ集めの部署だったが、会社に忠誠心のないよそ者からでさえ“心配”されるというのは、信頼があるということ。
彼は派遣社員に対し「うちの窮状を助けてもらっている」と言い、出来る限りの気遣いをしてくれた。何度思いやりの言葉を掛けてもらったことか。

話はそれるけど、派遣で会社に入り「忙しいところを手伝ってもらっている」、「(社員を採れないから)きてもらっている」と、トップがそういう考えでいると、その職場はうまくまわっていた。
例えば、一般職が不適切な発言をした場合「うちの社員だけでは仕事が出来ないから、きてもらっているんだ。助けてくれている人に対して何を言うか」と叱る。
ぶっちゃけ正規雇用でないよそ者で、会社への忠誠心なんかないんだけど、大切にされている気持ち(人間扱いされている)ことが伝われば、この人の為に頑張ろう、会社にいる限りはより力を出し切ろうと思う。

反面、「時給○○円払っているのだから、その分働いてもらう」と言う会社は、多くの外部社員(契約、派遣)が長く続かなかった。
人=お金で換算し、いくらだから、損益を出さないようにこれをやらせる(=払ってやっている。仕事をさせてやっている)式の考えは心が通わない。
結局人がすぐ辞めてしまうので、仕事の知識が途切れ途切れになり、効率、生産性が悪い。
時給分働くのは当たり前なんだけど、それを本人に向かって「お前は金だ」とばかりの発言をすればやる気はなくなる。

私は一般社員(ヒラ)で終わる人と、人望で上に引き上げられていく人の違いはここであるといつも感じていた。
仕事が出来ることと、部下を統括する(人がついていきたくなる)センス・人望は別モノだ。
今自分が言ったことを、他人はどう感じるか。
想像力がないと、出世はある程度で止まるだろう。これからは、特に。

店でも同じ。自分が上司(経営者)だから、先に入ったからと何を言ってもいいわけではない。
人に何でも「言えて」しまう人は、その先がないといってもいい。
客を大切にとわざわざ口に出す人に限って、案外スタッフをぞんざいに扱う。
社員は辞めたらその会社(店)の客になるのに、その想像力が欠落している。
その先を見れない勘の悪さが売り上げを失う。
スタッフを大切にしない人は、たいがい顧客にも失態をしている。

オフィスの場合、たいがい今は社員に1メールアドレスが付与されているから、管理職であれ一般職であれ不適切発言、行動の事実は一瞬で人事に飛ぶ。
辞めた会社では、それで出世の道を閉ざされた人が何人かいた。

話は戻り、Yさんは上司にも部下にも、外部の派遣にも評判がよかった。
Yさんの上司にあたるIさんも忘年会に参加していたが、部下への対応、下からの評判は評価の一部になるのだろうか。Yさんは職位が上がったそうだ。

前よりエラクなったYさんだけど、お酒がはいり気分が明るくなってかなりお喋りになって、以前と変わらぬ親しみやすさだった。

ある程度、人数がいて競争(?)がある環境で部下を持つ人の話は勉強になった。
社内での管理職教育(意識、部下への教育等)を受ける機会があって、自分でも勉強をしてる人はそれとわかる。
YさんやIさんの話は面白く、自分にも取り入れられる人脈のつくりかた、リーダーとしてのものの考え方、物事の捉え方、乗り切り方など面白くてもっと聞きたいと思った。
もっともっと、こういう、自分をシャキーンとさせる会話の機会がほしい。

気がつくと、彼らといた間、最後のほうは薬が切れた時間であるにも関わらず、全く痒みも体の不快感もなくなっていた。
それに気づいた時、今後を考えなきゃ、とふと思った。


湘南
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