湘南と全然関係ないかも日記
地域のこと?日々の出来事、感じること
 
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 みなさん、こんばんは。
トラさんこと、tamagoです。
はっちゃんは私のことを「ネコ」のたまだと思っていました。
トラなんですよ。

私はお友達ごっこ(人とつるむ。例えば職場でいい大人の女性がお弁当を一緒に食べたり、どこかへ行くのも一緒に行ったり)は、すきではありません。
会社は友達を作りにいく場所ではないです。
全員にいい顔して“仲良く”したいとは思わないです。(100%好かれるのは無理だし)

「フリ」が嫌いです。
それは、嫌な人にイヤな顔をしてもいいってことではなく、本心はキライなのに、一人になるのがいやだからとか、人目を気にして仕方なく一緒にいるとか。そういう偽りがイヤです。相手に失礼です。

合わないのに一緒にいて、悪口を言うくらいなら、離れてなにも言わない、イヤと思っていても一緒にいるって決めたなら悪口は言わない、そういうことです。

それに、お世辞も言いません。
心にもないことを言っても、どうせ、ウソなんですから。

〇〇グループとか、〇〇ファミリー(よく芸能界ナンかである)って、気持ち悪くてキライです。
自分がボスと認めた人にだけ、気持ちよくついていきます。(ほとんどいないけど)
トラとは、そういうことです。

さて、お琴の音って、お正月のBGMくらいしか思い浮かばなかったので、正直退屈なのかな、って思っていました。

百聞は一見にしかずっていいますが「リクツはいいから聴いてみろだ」って思いました。
知らないからつまらないと思っていたのです、私は。

でも、とってもヨカッタです。
3台になると、それぞれの担当の音(?)があり、3台の音色が重なる部分は特に美しい。

前半に「ふるさと」を演奏したのですが、日本の音楽を日本の楽器で、っていうのは贅沢です。やはり、非常に馴染みがいいです。
音の真土不二とでもいうかんじ。

普段は洋服を着て、パスタを食べていても、その音だけで「自分は日本人なんだ」と、ワープしました。
確実に日本人のDNAがある己に気がつきました(笑) 日本人の血(地)が流れている自覚です。

こんなに強く言うのには理由があり、私は日本の文化とか、伝統芸能とか、文様でも音楽でも小物、インテリア、ナンでもいいですが、全く興味のない人間です。趣味じゃないんです。
日本人でありながら、好きなのは日本食だけです(笑)
そんな、なにも「趣」を解することの出来ないヤツが、いいと感じたのです。
たまには、いつもの自分とは、変わったこともいいものです。


BlogPic
みなさん、こんにちは。
トラさんこと、tamagoです。

昨日は「ドミンゴスさんのコーヒー」で、お琴のコンサートでした。
手違いで、お客さんがやや少なかったようですが、聴衆者の立場としては、正直、非常に満足でした。
お琴って、すごく大きいんですね。
楽器と演奏者以外のスペースに、人がぎゅうぎゅうに入ったら圧迫感があり、落ちついて聴けなかったでしょう。
プライベートな空間での生演奏は、非常に贅沢だと思います。
来られなかった人は、残念ですネ。私はラッキーでした。めったにないことです。

また、私の向かいの席に、知らない人がいなかったのがよかったです。
まだ完全復活でないので、知らない人がたくさんいる中は、落ちつかないからです。

そうだ、楽器がよく見えること、演奏者の姿勢(表情・様子)が見えるのもヨカッタです。
予定外の人数だったのでしょうが、演奏者の女性たちは非常に真摯な態度で演奏していました。

たくさんの人に囲まれて、持ち上げられてがんばる人よりも、私は、その場100%で演奏する人に惹かれます。
非常に素晴らしい人柄が伝わってきました。
演奏って、技術の音が伝わるんじゃなくて、人・心が伝わってくるように思います。

お琴3台って、いいですね。
「ハナミズキ」を演奏したんですよ。
お琴って、いろいろな曲を演奏するんですね。

昨日は、数ヶ月ぶりの偏頭痛に悩まされましたが、コンサートの間だけはなんともありませんでした。
お琴の音色って、すごいです。



画面修正中です。



画面修正中です。



 昨日、忘れ物を取りにドミンゴスさんのコーヒーへ行ったら、金曜日の英会話『鎌倉史遊会』の主催をするリッチィ先生と奥様のセッチィに会った。
「また史遊会に参加しましょうよ〜」と、はっちゃんから言われていて、英語はわからないけれど、雰囲気だけの取材ならいいかも、と思った(緩んだ)その雰囲気を鋭いセッチィは感じ取ったようで「受け入れてみようかって気持ちになった?(笑)」と言われた。

さて、マンガはそろそろセッチィたちが登場予定。
マンガも描き続けると、だんだん線が勢い良く描けるようになってくる。
これって、中学校の時にペン描きに慣れてきた時の喜びの感覚に近い。懐かしい感覚を思い出した。
体(脳)ってすごいよね。
やれば、やっただけきちんと成果がでる。

中学の時は、マンガ家になりたい子が多く、あからさまに競争があり、それが嫌だった。
今はプロになろうなんて思わず、ただ好きで描いているだけなので気が楽。
好きでやっているほうが、ノビノビできる。
かえって上手くもなるんじゃないの!?

昔は縮こまって描いていたけれど、今は自分の描くキャラクターが素直に好き。
かわいく描けたと思った時は嬉しい。
それでいいんだと思う。
他人に、全員に、いいとねか、かわいいとか、上手といわれなくても。
認められなくても、自分がまず楽しいことが一番。

(一部、絵等の修正中です 12/13)



画面修正中です。


BlogPic
 原因が足指なのに、精神的に不安定(非常に、物事に敏感)になった理由は、足首の緩みによる重心の不安定さが腰-背骨を通してより大きな揺れになって首に伝わったため、常に脳が過剰な刺激を受けていることだと説明された。
(船酔いや、むち打ちのような刺激が継続し、神経が常にON状態。)

とはいっても、もともとが単純な人間、この回復期に「たまたま見つけた情報」を契機に、私は元気になっていった。

 ある日、私は「ドミンゴスさんのコーヒー」のイベント情報を調べていた。
その時、近々の情報は出てこなかったが、今年の初めにあったイベントのお知らせページがヒットした。
そのページに「あ、コタクせんせ」と、お店で顔を合わせる人ものっていた。
ページの案内(リンク)にあるまま、せんせのHPをクリック。
そこで私は大衝撃を受ける。

コタク先生とは、本名を出さないことを約束しているので、ここで彼のHPは案内できないし、詳細は書くことができないけれど、大まかな内容はこんなふう。

それは数年前から更新をしていないページで、当時のせんせの活動状況等が書かれていた。
そこで初めて、私は初めて彼が経験した事柄を知った。
ある出来事に関して、ファンや関係者に向けて書かれたページの、最後の1,2行のメッセージは、形として外に向けてはあるが、自身への決意ともとれた。

私はせんせ本人に会う前から、非常に才能のある、学歴も経歴も高いレベルの「すごい人」ときいていた。
人柄はわからないし、彼が活動する世界は全く知らないので、どれだけの努力の結果の経歴かつかめず、結果としての「すごい」イメージしか持てなかった。

体が悪くなって、仕事を今まで通り続けられなくなり、挫折感を持っていた私からすれば、凄い人と聞けば聞くほど、今の自分には、尚更関係がないと距離感をもった。
本来は好奇心の強い私だが、知らないことでも気軽に受け入れよう、違う世界の人とも話をしようなどという発想(気持ちのゆとり=エネルギー)は、ゼロだった。

しかし、HPの一文から読み取った、せんせがある経験をし、今なお取り組んでいる忍耐力、こつこつと継続する気力をもつこと、新たに今取り組むべき仕事をこなす姿勢、私にとっては、それこそが「凄い」ことに感じた。
なぜなら、私は人には平気な顔を見せていたが、本心はいつも弱音を吐いていたからだ。

仕事(活動)のジャンルを超えて、感動した(共感した)のは体験の部分だった。

頑張って先を歩く人がいる、今を取り組む姿勢を持つ人がいる。
何年も前に書かれた記事に励まされた気持ちになり、その日を境に私は「その姿勢から学び、くじけていたけれど、もう一度前を向こう」と思い直すきっかけができたのだった。



 体って、凄いと思う。気分の落ち込みは、投薬などしなくても、首と肩が柔らかくなってくると共に、なくなっていった。
首は脳(神経)に直結する大切な場所なのだと、改めて実感する。

先生からは「原因が足なので(落ち込みに対する)薬は必要ないです。効いても1割くらいかな?」といわれていた。
毎日気分が不安定なわけでないし、心療内科には行かなかった。

ただ、雨の前日(気圧の変化がある)はさすがにつらく、効かないとわかっていても、薬は欲しかった。
そこで、首冷やさないこと、音楽を聴いたり、アロマオイルを炊くことは心がけた。

音楽は久しく聴いておらず、ピアニストの辻井伸行のCDを1枚持っているだけ。
徳永英明のバラードも好きだが、歌詞のある曲は注意しないと、言葉にひっぱられる(笑)
失恋の曲や片思いの曲など、さすがに徳永さんの声でも、悲し気な雰囲気の漂うものはNG。
失恋したわけでないので、聴いても感情中毒はないが、目的は“安らぎ”なので、選曲には敏感になった。

そこで、夏から注目しているのがクラシック。(歌詞がない!)
ところが、なにを聴けばいいのだろう?
なにせ、辻井伸行のCDを1枚しか持っていないのだから。
ようは、全く音楽にうとい人間なので、自分がどの音(域)や楽器を聴けばリラックスするのかわからないのだ。

7月か8月に「ドミンゴスさんのコーヒー」でヴァイオリンとギターのコンサートがあった。
その時、まだ心を閉じていた私は、せっかくチラシをもらい、何度か声を掛けてもらったにも関わらず、スルーしてしまった。
「知らないけれど、聴いてみよう?」という、柔軟性がもてなかった。

演奏家の人ともお店で1,2度会い、はっちゃんから「こちら(の近い席)へ、どうぞ。今度コンサートをする先生なの」と声を掛けてもらったが全く違う世界の人だと、自分からシャットアウト。
知らない人たちと話をする気力はなく「もう、とんでもありません」と堅く固辞した。
これは、やはり失礼な態度だったと思った。
(4コママンガ2〜3話・11/21〜22)

足「元」とはよくいったもので、数ヶ月の治療:テーピングと足首を固定する包帯を続けることで、私のアタマの中(元)も安定してきたみたい。
今度コンサートがあったら、聴いてみようかなと思うようになった。
余裕が出てきたようで・・・。
そんなある日、自分にとって聴きたくなってしまう、決定的な出来事があった。
この「たまたま」の出来事によって、私は回復する意欲までついてきたのだった。
(つづく・・・)



 「ドミンゴスさんのコーヒー」で、はっちゃんと話しをするようになって、少し経った頃のこと。
私はその頃まだ仕事をしていなかったので、平日も土日も関係なく、フラッとお店に行っていた。
「今日、お仕事はお休みなの?」
と聞かれてチョット足を故障しまして、ナンてことを言ったら、はっちゃんは「休める状況なら、体は治しきったほうがいいわよ。」と声を掛けてくれた。
いつから仕事を始めるのか、どこまで治ったのかと聞かれることはあっても、体を治しきったほうがいいと言われたのは、なんと初めてだった。

退職後「休み」とは名ばかりで、気持ちは全然休めていなかった。

自分が一番働き、一番収入を得ていた頃の記憶があるから、早く全盛期(笑)のように戻さなきゃと焦っていた。
自分がハツラツとして、バリバリやっていた様子を覚えているものだから、早く元気で“理想的な”自分に戻りたかった。

地位とか昇進には興味などないくせに、ふと「男性だったら、今頃役職に就いて部下がいるかな」とか「もっと違う人生もあったかな。ひとつの会社にずっと勤めて、子供がいて」と、(ひとつの会社とは、私の性格からして・・⇒)ありえない話しを考えては、どんよりしていた。

そのように、うすっ暗くなっていたのだけど、はっちゃんの、そのひと言を聞いたら「頑張らなくていいよ」「人と比較しなくていい。自分のスピードでいいんだ。」という気持ちになってきた。

常に、常に、どうにかして現状を打破しよう、今よりもっとよくなろう、もっともっとと上を見なきゃイケナイ(それが前向き)と、休むことがない人生だったなあ、と気がついた。

自分が休むようになってわかったのは、いかに親に健康に産んでもらっていたかということだ。
丈夫に産んで育ててもらったことが、まず凄い確率なのに。
健康であることをアタリマエとして、感謝もしてこなかったし、体のケアをきちんとしてこなかった。
忙しくても、多少無理しても、体がついてきたので、私は大丈夫とタカをくくっていた。

また、健康であるが故に、体の弱い人や病気の人、弱者の気持ちが想像できていなかったとガクゼンとした。
それは自分が逆の立場になって、人を通して非常にクリアに見えてきた。

自分の半分の速さでしか「歩けない」人が世に存在することを、健康な時には思いつかない。
自分や家族のケガや病気から学んでいないと、
これ以上どうにも頑張れない人に、前向きにいこうと励まし、結果、追い詰めてしまう。
言われたほうは薄笑いを浮かべながら「今はもう無理だよ。この人は不自由したことがないんだな。恵まれててよかったね。」と心の中で思う体験を、今回自分がした。
休みきったらいいよと言われて、気持ちが安らぎまた歩こうって気持ちになる状態ってあるのだ。

 天真爛漫っていいな、とよく思っていた。
家族の仲がよく、お金に不自由しない、人間関係もうまくいき・・・ナンて、影のない人生の要素を考えていた時期がある。
今はそれよりも、起こった出来事を反転させて、他者の気持ちを想像できるようになるほうがいいと思うようになった。
そう思えば、ダメだと決め付けていた出来事がみな、宝になる。

明るさとか、楽しさっていうのは、陰陽の「陽」ばかりを見て、それしかないように振る舞うことではなく、陰もきちんと消化して、陽に転じる心がけだと、今は思う。


BlogPic
 今、目の前にあるもの(こと)が、明日もあるとは限らない。
昨日まで「嫌だ」と思っていた人(や物事)さえ、状況が変わればアッサリ会わなくなる。本当に、人生は一期一会だと思う。

今あるものが、ずっと継続してあったので、それは永遠にあるのだと思うことは、錯覚なのだと知った。
今あるもの、持っているものを、アタリマエにしてはいけないと、今回の足から首までの故障で知った。

逆に、今までキツイと思っていたこと、世界なんてこんなものさ、と諦めていたことが、そうでもないと、光が射す瞬間があることも知った。

 さて、ドミンゴスさんの笑顔は、元気がなかった私がその笑顔を見て、ある意味勝手に、明るい気持ちになるものだった。
直接会話を交わさなくても、明るくしているだけで、コーヒー一杯を飲みながら、客は勝手に元気になる。

2度めか3度めに店に行った時、隣のテーブルで個性的でオシャレな服を着た、きれいな女性が話をしていた。
その女性はマスターの奥様で、テーブルで会話をしていたお客さん達を送り出した後、ケーキを食べた私に「はじめまして。いかがでしたか。」と話しかけてきた。
バターが程よい香ばしさで効いたしっとりした土台の上に、トッピングしたかぼちゃのタネは、しっとりとカリカリの間くらいの絶妙な食感だった。満足していた私は「おいしいです」と答えた。
「まあ、ありがとうございます。」と奥様。
隣に「うちの奥さんが焼いたんですよ。」とニコニコしたドミンゴスさんが立っていた。

その後、二,三会話を交わしたあと「どうぞ、ゆっくり過ごしていってくださいね。」と、ドミンゴスさんたちは、コーヒーを発送する作業を行っていた。
私は持っていた本を読みながら、ボーッと過ごしていたので、ジロジロ観察することはなかったが、
「はっちゃん、大丈夫? ムリしなくていいよ。」
というドミンゴスさんの言葉が耳にはいった時は驚いた。
というより、素直に感動した。
その後もドミンゴスさんは、奥様を気遣う言葉を何回かかけていた。

私は自分の家族間で、両親が互いを思いやる会話を1度も聞いたことがない。
それどころか、子供として、父が母を罵倒する言葉に何度も傷つき、いっそ一家離散でもしたほうが幸せでは、と思い続けた。
子供というのは、両親の仲が悪いことに、それだけで傷つくものだ

今は両親が悪いとは思わない。互いへの接し方は両親間の問題(学び)で、子供とは別の人生なのだ。
人(子供)は自分の置かれた環境から、他者への思いやり等を学べればいいのであって、今ではその経験もOKではある。

そんなベースがあるものだから、私はご夫婦のやりとりに非常に感動した。
そう、感動なの。「自分もこうだったらよかったなあ」と、センチな気分でなく「まあ、素敵」って気持ち。

もちろん、過去にも仲の良い夫婦は何組かはいたけれど、ドミンゴスさんの年齢の方で「仲がいいなあ」というか「思いやりをもって接しているんだなあ」という実際のやりとりを見る機会は、、、意外になかった。

根底には思いやる気持ちを持っていたとしても、特に男性は、言葉としてそれを発しない傾向があるように思う。
同僚や上司を見ていて、よくそう感じた。

人のことはよくわかるもので、恥ずかしいのだろうとは思うが、言葉にしたところで、命がなくなるわけではないのだから、どんどん、奥さんを褒めたり、奥さんに限らず仕事のパートナー等にでも感謝の気持ちを表現すれば、物事がうまくまわるのに、と感じる男性が大半だ。
どの位置(社会的地位、健康状態、金銭)にいたって、今があるのは自分ひとりでは無理だったのだから。
おだてる必要はないが、ただ、素直に言えばいい。

話しは変わるけれど、家族に優しくても、他人に冷たい人がいる。
ドミンゴスさんは、いつ行っても、お店が「マスターはどこにいるの〜?」と探すようくらいお客さんでごったがえすほど忙しくても、いつも笑顔で「いらっしゃーい」と迎えてくれる。

これを、商売なんだからアタリマエと思ったらいけない。出来ていない店・会社はいくらもある。(私だって、過去に100%できてはいなかった)

また、ある時は、知人の調子が悪くて・・・というお客さんに自分の体験を話し、励ましていた。
「大丈夫、ぼくが今こうして元気に過ごしているんだから。」その人に大丈夫だよ、と伝えてあげてと。

正直、それにもひっくり返りそうになった。
自分の経験を笑い飛ばし、人を励ます。明るくまわりを照らしている人がいる。
私は、それに比べたらトゲが刺さった程度のことで、ナーバスになっていた自分に気が付いた。

お店に行くたび、自分が“閉じて”固くなっていた状態が、だんだん緩んでくるのがわかった。
基本には正しい診断による適切な治療があってこそだけれど、メンタル的な、生き方、考え方、接し方といった部分は、ドミンゴスさんや奥様のはっちゃんをみて学んだ部分が多い。
また、何人かの私以外のお客さんと接したことが励みになり、回復(!?)の後押しになったと感じることがある。

だから、この一連のエッセイは、ドミンゴスさんのコーヒーを「売る」とか、おだてることを意図してはいないことを最初にいっておきます。
ましてや、PRしてよと頼まれたわけでもない。
私が元気になっていく過程を語る舞台が、ドミンゴスさんのコーヒーなのです。


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